*K高校、とイニシャルトークにするのは、単に検索にひっかからないようにするためです。
私は4年前に東京で俳句甲子園OBOGの俳句講座をしたあとで、K高校のH先生から声をかけていただいて、何度か高校に行きました。その際、今後なにかあったら引き継ぎできるようにと福田若之さんにも一緒に来てもらいました。そのあとK高校のみんなは、自力で俳句甲子園を目指しました。K高校が地方予選で敗れた年から、全国大会に行けることになるまで、心のなかではけっこう応援していましたが、本大会については私は仕事で取材や実況などがあり、あまり表立って応援することはしませんでした。
今年1月、H先生から連絡をいただきました。「生徒から、コーチがほしいという声が上がっている」という話でした。私はここ何年かで俳句甲子園OBOGの講座から実質的に引退したということもあり、4年前に一緒に行った福田さんと、私の後任として柳元佑太さんと一緒に、K高校に出向きました。柳元さんにお願いした理由は
1書いている俳句が面白く、私よりも俳句についてよく考えていること
2若いこと(生徒との年齢差が少ない)
3高校から家や大学が近いこと
です。
それが決まったあと、学校側に講師として、安里琉太(俳号)さんが赴任。若い俳句の書き手が指導者としてたまたま3人揃ったかたちになりました。
よって、指導者が3人が集まった理由としては
1生徒自身、謙虚な気持ちで、指導者が必要だと感じたこと
2顧問の先生が(4年前も含め)フレキシブルな対応をしてくれたこと(私立の学校で顧問が変わらなかったのも利点)
3たまたま(安里さん)
ですが、俳句甲子園が全国大会であることを考えると
4場所がいい
が挙げられるでしょう。俳句の若手は、一極集中とまではいかなくても、東京近郊にたくさんいます。K高校は、新宿から1駅。東京のなかでもアクセスがいいんです。
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今年は、私は(はじめて、くらいだろうか)俳句甲子園本戦で、なにも仕事がありませんでした。なので、以上のような理由から、縁のあるK高校とA高校(母が顧問をしている)を特に応援していました。「どこかを応援する気持ちで見た方が盛り上がる」からです。K高校については、地方大会で見て作品も気に入っていました。
でもそれは、親戚の子がいる学校を応援している、というかんじに近いものです。ほかの学校にもたくさんいい句はあるし面白い子もいます。すべてを平等に見た上でK高校に注目したわけではなく、はじめから見ている範囲が狭いです。あと、今年はレジャーとして俳句甲子園の時期の松山を楽しんでみたかったので、朝もだらだらして敗者復活戦が終わってから起床したりしていました。
なお、佐藤はもっと責任を持って発言をした方がよい、一部の生徒のファンだと公言したりするのは控えよ、というご意見については、もっともだと思います。と言いつつまた言ってしまいそうだが。すみません。
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なにも仕事をしなかった俳句甲子園でしたが、終わってから仕事が発生しました。それは、今月末くらいにアップされる予定の、K高校へのwebのインタビュー記事です(これはほんとはまだ内緒の予定でしたが)。上記のとおり
1私がK高校の子たちとは話したことがあるのでしゃべりやすい
2声をかければ先生がフレキシブルに対応してくれることが目に見えている(取材に行きやすい)
3K高校が決勝リーグに残った(作品やディベートによいところがあった)
ということに加えてやはり
4場所がいい(取材に行きやすい)
という理由で、K高校を選んでいます。
たまたま私に来た仕事だったので、K高校になりましたが、ほかの俳人に依頼が行っていたら、ほかの学校になったと思います。
へんな言い方ですが、ほかの高校に比べてK高校が注目に値するからK高校に行ったわけではありません。単に条件が揃ったからです。
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「こんなにがんばっているのに、じぶんは注目されていない」と感じている人がいると思います。(「注目されるとかされないとかどうでもいい」とおっしゃる隠居派俳人のみなさんは、これ以降の文章は読まないでください。)でも、読んでいただければわかるように、注目というのは偶然やメディア側の事情でつくられるものです。今わたしは少しメディア側に立ってみて、そう感じます。
私の高校時代は、俳句甲子園は今と比べものにならないほど小さい、レベルの低い大会でしたが、それでも、そのなかでいえば、自分は注目される側の人間でした。田舎の高校だったので、自分はなかなかいい線いってると思っていました。でも、大学に出てきて、大人と同じ土俵で審査される賞に応募してみると、俳句甲子園の予選で負けてからずっと俳句を熱心にやっていた同級生が予選通過し、自分は通過しなかった。焦りました。それから本気で句会や講座に通いました。自分にはこの経験があってよかったと思っていますが、どこで注目されるのがいいかは、その人次第なのです。
俳句は狭い世界です。これは、多くは悪い意味で使われる言葉ですが、いい意味もあります。作品が面白ければ、必ずや誰かが読んでくれます。くさらず、面白い俳句を書いていこうではありませんか。また、どうしても注目されたいのなら、いい読み手「目利き」になるといいです。いい作品を取り上げて、どこがいいかを言い続けていたら、絶対にみんなから必要とされる存在になります。原稿依頼もたくさん来ます。なぜなら俳句の世界は、俳句を書きたい人が多くて、読んでくれる人が少ないからです。プロの俳人とは、読みのプロです。夏井いつきさんを見てください。毎月どれだけ他人の作品を読んでいることか。(そういう意味で、自分はプロの俳人ではないなーと思います。俳句のプロデューサーみたいなところをやりたいのかもね)
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地方にいて、指導者がほしい、同世代や若い書き手と会える機会が少ない、という人へ。まず、誰に教わりたいか考えましょう。そして、顧問の先生と協力して、コンタクトをとるのです。今はwebの時代です。メールやskypeなど、いくらでも手段はあります。私が灘高校を教えていたときは実際にskypeで夜中までぐだぐだやってましたし、今年は名古屋高校の句会に遠隔参加したりもしました。
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すべての人に平等な環境、というのは難しい。でもそれは、大人になってもそうです。みんな、頭をつかって、うまくやるんだ。そして面白い句を書いて、きっとどこかで会いましょう。