2017年4月24日月曜日

2017.4.24 アンソロの話4とOHAYOのヨーグルトなど

22日土曜日。
翌日がアンソロジーの対談なのでその準備をする。
アンソロジーに収録予定の54人は取り上げ方に二段階あり、18人については4ページ84句(大きな字で28句、下に小さく56句)を取り上げ、私と誰かとの対談が2ページで(『桜前線』と同じかんじ)。ほかの36人については2ページ42句(大きな字で14句、下に小さく28句)を取り上げ、半ページの紹介文になる。54人を3章に分けたので、1章につき84句枠が6人、42句枠が12人となる。
84句枠の作家18人、各章6人ずつについて、3人の大人(1968年以前生まれの方)に対談をお願いした(なので3回対談をする)。その対談の1回目が日曜なのである。とにかく6人についてエクセルでメモをつくって印刷したら矢鱈字が小さくなって、夫に見せたら、ちょっとそれ送って、と言うので、これはきっといいかんじにしてくれるに違いないと思ったら、予想通りいいかんじのメモができた。内容についても言い方がよくないところを少し指摘されて直した。

一度ユリちゃんと行って、店の良さと味の良さにひどく興奮し是非ともここで結婚パーティーをやりたいと思った阿佐ヶ谷のお店を18時に予約してあったので、夫を連れて行く。荻窪で下車し散歩がてら南阿佐ケ谷経由で阿佐ヶ谷へ。歩き出したら雨が結構降ってきてだいぶ濡れたが、澄子師匠の家の近くを通るのでピンポンして(ダッシュはせず)少し挨拶だけした。夕飯はやはり素晴らしく、料理名をまったく忘れてしまったが、前菜はふたりともうるいなど山菜の載った鰹のたたきとレモンバター風味の牡蠣のパスタ添え、メインは私はマグレ鴨で夫は牛煮込み、デザートは私は苺のムースで夫は苺のミルフィユ的なもの。飲み物は夫はビールで私はミュスカデ、そのあとはメルロー90%くらいのフルボディをカラフェでもらった。最後はコーヒー。夫に良さを語り尽くし会計後に貸切の日程をおさえて帰宅。

23日日曜日。
まずは中村裕さんを送る会。受付をした。会場の奥には、遺影のまわりに裕さんの写真や著書、関連雑誌が並んでいて、そのまわりを花が取り囲むかたちで、春らしくてよかった。向かって右のモニターには、今までの裕さんの写真がスライドで流れていて、吟行会のときのおちゃらけた写真やかっこつけた写真や、髭もじゃの頃も最近のも、みんな裕さんだった。遠山陽子さんの挨拶がよかった。敏雄だったらこう言った、悟空の会で裕さんはいつもそう言っていたのが懐かしかった。小田原の海に飛び込んだ思い出なんかも聞いたりした。私は裕さんや陽子さんから三橋敏雄を摂取するのが嬉しいのだ。桑原三郎さんが乾杯、師匠池田澄子の挨拶あたりまで聞いて会場を出た。久しぶりの方とも何人か少しお話できた。裕さんの息子さんのコズミさんの演奏が聴けなかったのは残念だった。

スタバで休憩したあと、対談会場へ。一人では心許なく、卒倒しそうなほどプレッシャーがかかっていたので、思いついて惣一郎に同行を頼んだ。荷物も持ってもらい、話も少し補足してもらい、本当に助かった。対談相手はまだ内緒にしておこう。たぶんうまくいったと思います。あと2回の対談はGW後である。19時すぎに終わって夫に電話。「ビールが飲みた過ぎるので飲んで帰るわ。夕飯が何もないからすまんが買ってきて一人で食べて」。そしてビールを飲み、日本酒も少し飲み、鯵のたたきやキス天も食べて帰った。
夫はちゃんと一人で夕飯を食べていた。それどころか布団も干し、クリーニングも出していた。素晴らしいので「こいふわヨーグルトキウイ」を買って帰った。喜んで食べていた。やはりOHAYOのヨーグルトは信頼できると思った。

24日月曜日。
11時まで寝た。ここのところ俳句の夢ばかり見る。かつての女性俳人をマッピングする夢だった。昼ごろ自転車で家を出て、イオンのなかのスタバで諸連絡の返信をしたりメール句会の選句をしたり明日のカルチャーの準備をしたりかれこれ5時間くらいいるのでそろそろ帰ろう。もちろんわくわく広場に寄って野菜を買って帰る。

2017年4月21日金曜日

2017.4.21 桃咲くや放物線はみな相似  関悦史

19日水曜日。
洗濯をどばっと干し、銀行ふたつへ行き、タリーズで4時間仕事をした。帰宅してからシャンプーの詰め替え、カビキラー、ブーケの活けかえ、洗濯物をたたんで次はドライ洗い、スーツケースの片付け、台所の床拭きなどもした。関さんと電話をしていたら夫はめずらしく22時前に帰宅。その後も延々と資料の印刷などをした。4日分くらい働いたといえる。

20日木曜日。
毛布を一枚洗濯。メイク道具の筆類4本を洗って干す。すこし仕事をして家で昼を食べ、電車でも仕事をしながら新宿へ。アンソロの件で若くんに手伝いを頼んでおり、3時間かけて図を完成させる。ふたりで同じ画面を見ながらの作業だったので、MUJI CAFEの大テーブルが非常に便利だった。そのあと新宿三丁目の鳥田むら支店。誘ったら惣一郎も来た。葱間に酢味噌、ぼんじりに練辛子がイケた。日本酒が1種類のみなのが惜しいがそれもまたよい(純米辛口だったので)。二軒目は近くのビル3階の怪しいラム(酒)専門店に入る。店長もいい感じで、3人で別々のラムを頼んで飲み比べる。若くんはコカコーラの原液みたいな濃くて甘い薬草系の味のが気に入り、私はバニラココナッツが高貴なかんじに香ってくるようなやつに惹かれた。帰りは日暮里で夫と落ち合って帰宅。酔っ払って、子規博の前で写真を撮る夢を見て、電車の中で夫に子規博がどうのと言っていた。

21日金曜日。
調子がよくない。二日酔いというほども飲んでいないので、昨日一昨日仕事をしすぎたのかもしれない。こういうときは夫の朝ごはんを用意だけしてまた寝る(もっとひどいときはグラノーラだけ食べてもらって送り出す)。10時ごろまで寝て、大きな虫が出る夢や葬式で預かった弔辞をなくす夢などにうなされた。一昨日から下腹が微妙に痛いので検査がてら婦人科へ行く。前から筋腫は3つあるが、それが原因ではないらしい。場所的には宿便か盲腸だと言われる。どっちにしろ嫌である。整腸剤と痛み止めをもらってフォーを食べて帰宅しまた眠った。うちの母から大量の結婚式の写真が、夫の母から「むじゃき」(鹿児島の有名なかき氷屋)の「しろくま」(かき氷)の6個詰め合わせが、関さんから祝句のサイン入り『俳句という他界』が届いた。第二句集にあまりめでたい句はないが数学俳句でいいのがあったからということで書いてもらった。

  桃咲くや放物線はみな相似  関悦史 『花咲く機械状独身者たちの活造り』(港の人)

いろんな角度の放物線があるように見えるが、あれらはすべて相似だそうだ。私の場合結婚式に友人などは呼ばなかったためブーケトスはしなかったけれど、祝句としてもらうとそんな気分になるいい句である。桃の咲くあたりの高さに目をやって、その遠くを見れば明るい。

夫が帰ってくる前にむじゃきのしろくまを食べている。うまい。

  しろくまはむじゃきに春は春のなかに  文香

2017年4月18日火曜日

2017.4.18 なぞなぞで済んでよかった

15日土曜日の続き。
天気はよく、結婚式は無事に終わった。
とくに期待していなかった自分のウエディングドレス姿もそんなに悪くなかったし(エステは功を奏した)、夫は若干緊張して壇上で眼鏡を曇らせていたもののどうにかなった。私はまったく緊張せず、ずっとにやにやしていた。終わったあと神父さんが「新婦の方(の親族)は(聖歌を歌うときに)よく声が出ていましたね、歌がうまい人が多い」と言った。それもそのはず、うちの妹夫婦はアカペラサークルで出会ってまだアカペラをやっているし、うちの両親もカラオケ好き、おばあちゃんでさえコーラスをやっている。
教会を出たところでフラワーシャワーを浴びるというとき、親族が8人しかいないので、そのへんのスタッフさんが何人も来てくれて花びらを振りかけてくれたので嬉しかった。

話が合わなかったらどうしようと懸念していた食事会も和やかにすすみ、AIは俳句をつくるかなどの話になって、「最新の俳句といえば〈ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ〉(田島健一)っていうのがあるんですよ、これなんかは、なかなか、今までの俳句のやり方をインプットするだけではできない句です」という話もした。
食事会の最後にうちの祖母が急に「なぞなぞを出します」と言い出した。「上野には浴衣の西郷さんがいます。さあ、西郷さんは何向きでしょう」……「正解は夏向きです」。祖母はわりとおしゃべりなわりにそれまで静かにしていた。その間これを考えていたのかと思うと何度思い出しても笑えた。
食事会のあとは妹夫婦を誘ってバーへ。待ってましたとばかりにうちの両親も来て6人で二次会。うちの母とわが夫は柴田元幸の話などをしていた。
部屋に帰ってやはり疲れていたのか、新郎新婦ともにパンツ一丁で寝ており、ふたりで3時ごろ起きて洗顔や歯磨きなどをした。外は雷雨だった。

16日日曜日。
相変わらずひどい天気で竜巻注意報まで出て、飛行機が飛ぶか心配だったが、11時ごろには晴れた。鹿児島中央駅で少し時間をつぶし(ここでも夫は紀伊國屋でなにか本を購入していた)、空港へ。示し合わせたわけでもないのに、妹夫婦とは帰りの飛行機が一緒で、席も前後だった。羽田からは直接小石川後楽園・涵徳亭へ。週刊俳句の10周年記念オフ会。夫も連れて行ったら、皆さんに祝ってもらって恐縮した。結婚後佐藤文香は私のペンネームになったわけだが、本名は基本的に非公開なので夫に名字を名乗らせないようにした。夫はトオイダイスケさんと話してもらっていたので、安心して適当に何人かと話した。鹿児島の焼酎の古酒を買って持って行ったが、食べ物が少なかったので薩摩揚げにすればよかったかもしれない。二次会は出ず、新御徒町から流山おおたかの森経由で柏に帰宅。

17日月曜日。
PCの電源コードを宅急便に入れてしまったことがわかり、仕事をするのを諦めて散歩。流山おおたかの森S・C(ショッピングモール)に行くがとくに興味あるものはなく、ららぽーと柏の葉まで行くがいまいちで、サンマルクカフェに入ってチョコクロを食べ、わくわく広場(ここにもあった)で野菜を買って終わった。
柏に着いて夕飯をつくる気がなくなったので、高島屋の地下で惣菜とワインを購入して帰宅。雨に降られた。ローストビーフと赤ワインでひとりの夕飯。祖母と夫の実家、うちの実家にお礼の電話。祖母が、「本当は謡曲をうたおうと思っとったけど、謡用の扇を忘れたでやめといた」と言うので驚いた。来年の妹の結婚式ではなぞなぞでは済まず謡をやるのではないかと不安だ。夫はちゃんと朝から仕事に行き、23時ごろに帰宅。

18日火曜日。
リハビリの担当者が若い男性に変わってあまりよくなくなった。プロの仕事というのは普通全体の把握から入ると思うのだが、細部をどうかなどうかなと押されるだけなので「違います」「もっと強く」など言うのみ。怖い人だと思われただろう。前の担当の小林さんもいたが、代わってほしいと言えないのは残念だった。帰りに、前から行こうと思っていた雰囲気のいいカフェに行ったが期待したほどではなかった。
ヤオコーで芹や筍などを買って帰り、夕飯をだいたいつくって、山下澄人『しんせかい』を読みながら宅急便を待つ。『しんせかい』はよかった。初めから最後まで、固有名詞としての「天」が効いている。読んだところで宅急便が到着し、開封。ホテルで捨てるのは忍びなかったブーケは、少し茶色くはなっていたがまだ見られるので脚立に飾った。
PCと電源コードを持ってタリーズへ。滞っていた諸連絡を終えただけで満足してしまい仕事をやる気は出ず。何もかも明日からにしよう。

2017年4月15日土曜日

2017.4.15 鹿児島にいる

12日水曜日。
上野でアンソロ打ち合わせ。進み具合が悪いのに、対談の文字起こしも自分でやりますと言ってしまう。帰りに夫のスーツをもらって帰宅。夫はわりと早く帰宅し、食事会の式次第をつくってくれた。夫は書類作りが得意すぎる。

13日木曜日。
東急ハンズで御車代袋と黒板型の簡易ウエルカムボードを買い、ブライダルエステ専門店に行く。背中や二の腕、顔の毛を剃ってもらい、パックやマッサージなどをしてもらった。店員さんがかわいくて満足。そのまま行きたいと思っていた立ち飲み屋へ。ラム(酒)が多い店。コロナのあとキャプテンモルガンをストレートで飲み、なんか足りなかったのでいつものカフェでスパークリングワインも飲んで帰る。帰宅後、冷蔵庫のものを使い切るべく料理。浅蜊と長葱、豌豆の酒バター蒸しがうまくいった。夫の帰宅は0時半。

14日金曜日。
鹿児島に行く日。結婚式費用を振り込み、ジュンク堂に寄る。夫がふと法律を勉強したくなったと言うので、その関連書を買いに行った。私は全く興味ないでごわす。電車と飛行機では、夫はその本を読み、私は平田俊子さんの『低反発枕草子』を読んだ。食べると豆腐がなくなってしまう、というのがよかった。飛行機から見える鹿児島の山並みはごつごつと萌えていて元気だった。
ホテルの部屋は桜島ビュー。古いホテルだがけっこういい部屋にした。ヘアなどの打ち合わせをしたあと、天文館には出ずに、ホテル内の和食屋でさつま懐石を食べた。きびなご他の刺身、薩摩揚、薩摩汁、豚骨煮込みなど。ビールはゆずエール、日本酒は薩州正宗、ワインはなんだったか忘れたが、焼酎は魔王を飲んだ。ホテル内のバーへ移動し、タンカンでドライショートカクテルをつくってもらって飲んだ。足りずにマッカランも飲んだ。部屋に帰ってすぐ寝た。

15日土曜日。
結婚式当日。鹿児島はやはり今日桜満開らしい。1953年の観測開始以来、最も遅い満開だという。天気も、先週中は雨の予報だったが晴れ。朝食バイキングのあとホテル内の温泉。貸切状態でラッキーだった。露天風呂から桜が見えたので、私も桜に裸を見せておいた。
式は17時からでまだまだ時間があるので、タクシーでまず山形屋に行き、白いハンカチと黒い靴下などを買う。天文館を歩いて写真を撮ったりし、イタリアン系のカフェに入ったらわりとおいしい。スパークリングワインを飲んだ。
部屋に帰って部屋着に着替えだらだらとする。両親、妹夫婦、祖母、義叔父が鹿児島着。妹はコンタクトが切れて鹿児島で購入することにしたらしく、妹の夫がおばあちゃんと一緒にホテルまで来てくれたようだ。妹曰く、鹿児島のメガネスーパーの店員より南九州コンタクト店員の方が訛りが強いらしい。夫は昼寝。私はブログを買いている。

さて、そろそろブライズルームに行くか。

2017年4月12日水曜日

2017.4.11 青と赤

月曜は2時間かけて杏林大学病院へ。前回の診察同様「マリッジブルー」と言われる。それもあるだろうが、どちらかといえば無能感が主だと思う。薬が増えた。前つかっていて、調子がよくなったからといってやめていたもの。
帰りにひとつ手前のバス停で降りて井の頭公園のなかを歩いた。桜はもちろんのこと著莪の花が盛りで、山吹も全開だし、石楠花も咲き始めていた。乙女椿もまだ咲いている。ちょっと黄泉っぽかった。ランチは、高円寺に本店があるベトナム料理「チョップスティックス」の吉祥寺店でコムガーと生春巻きと蓮茶。
そこで思いついたことには、今週は自分を甘やかすため、ほしいものは全部買っていいことにしよう、ということ。さっそく柏のTHREEで基礎化粧品のセットを購入した。夜その案を夫に言うと、じゃあ僕は30万くらいのカメラ買おうかな、と言い出したのでそれは止める。あくまでも私用の制度ということにしてほしい。夫は大学時代写真部の部長だったらしく一眼レフやミラーレスなどいくつか持っている。
夕方また調子を崩すが、夕飯の生姜焼きが思い通りの味になって満足。パーティーの連絡系の庶務を引き受けてメールに勤しんだ。夫は23時半すぎに帰宅。

昨日は気圧の低下がひどいことを前の日のうちに把握していたため、酔い止めを飲んでから活動を開始。2/13からつけていてすでに傷つきまくっていた結婚指輪を、購入した池袋西武でクリーニングしてもらい、何でも買っていい制度を適用してA4が入るきれいめのくすんだ青の鞄を買った。それを夫に報告すると、僕は赤い鞄を買おうかなと言うので、登山リュックくらいならいいよと言っておいた。家庭内イメージカラーは私が青で夫が赤と決まっており、歯ブラシはもちろん、いただいたバスタオルもいただいた江戸切子もすべて私が青、夫が赤をつかっている。結婚式後の食事会は、私が水色のワンピース、夫はピンクのネクタイの予定。
8Fのレストラン街で昼を食べて護国寺の句会へ。これはお寺の婦人会の句会なのだが、高齢化が進んで欠席投句が増え、今日も参加者は2人。それでも、90代の人たちが句作に取り組んでくれているのは嬉しく、どれだけ伝わるかわからないけれど全力で講評する。お題は「山笑ふ」だったので、自然を擬人化した季語だから自然物とも人間の行いともつきすぎになる可能性があること、主述の入っている季語なので体言をあてがうのがやりやすいことなどを伝えた。豊子さんに、いつものように菠薐草や蕪をもらった。
最近電車に長く乗るのも辛い。ホームで何かしら甘い飲み物を買って、それをお守りのようにして電車に乗るのだが、帰るときにいいものが買えず、柏に帰ってモスバーガーでビールを飲みながら泣く。
昨日家の近くの薬局に行ったらこの薬は取り寄せになると言われていたので、それを取りに行って、泣きながら帰る。帰宅しても非常に調子が悪く、頓服薬を飲んで夕飯をつくり、本格芋焼酎「一どん」を飲みながらホワイトチョコがけいもけんぴを食べ(芋同士だからか、非常に合うことが判明)、頓服薬もう一錠ともらってきた薬を飲んで寝た。夜やろうと思っていた仕事はできず。せっかく夫は22時前に帰ってきたのに、おかえりとだけ言って寝ていた。朝聞いたら夫はちゃんと風呂に入って三国志13をしていたようだ。主人公司馬懿に飽きて今は卑弥呼でやっているという。卑弥呼はゲスト出演らしい。

2017年4月10日月曜日

2017.4.10 土日が週に2回あれば仕事が捗るのに

土日は夫と過ごした。
土曜日はまず夫に俳句月評の相談に乗ってもらう。最後の一文が決まらず、ふたりで悩み、夫も案を出してくれたりした。
午後は夫は眼科に行き、そのあと落ち合って、サカゼンで夫のスーツを買った。サカゼンに入るとすぐに結構年配のおじさんが夫の腹回りを測ってくれる。そしてこのサイズから選ぶようにと促す。丈を詰めるのもささっと手配してくれて、非常に満足な接客。ただしそのおじさんはレジ打ちは若い子にやらせていた。きっとあれは百貨店なんかでずっとスーツを売っていた人が再就職したのだろう、サカゼンもなかなかいい、と思った。でももしかすると働き者の店長とかかもしれない。
ユニクロでふたりの普段着を買い、本屋で6冊購入。

私は
平田俊子『低反発枕草子』(幻戯書房)
絲山秋子『離陸』(文春文庫)
マデリン・パケット ジャスティン・ハマック『The WINE』(日本文芸社)

夫は
太田肇『なぜ日本企業は勝てなくなったのか』(新潮選書)
天野祐吉編・南伸坊絵・正岡子規著『笑う子規』(ちくま文庫)
現代俳句協会編『昭和俳句作品年表(戦後篇)』(東京堂出版)

なお、すべて支払いは夫のクレジットカードから。
夕飯は駅前の回転寿司。こちらは私のおごり。
私はエンガワ、生ダコ、鮟肝巻きなど、夫は玉子、ネギトロ、サーモンガーリック炙りなどを食べた。
魚の好みは、夫よりも、後からふたつ隣の席についたおじさんの方が私と似ていた。

日曜日もまずは私の仕事のことを考えた。アンソロジーの小論がまったく進まないのでどうするかを考えていて、座標に分布させる案を夫に言うと、すぐさま座標をパワーポイントでつくってくれ、知っている俳人の名前を適当に分布させて見せてくれた。
イオンモールへ。夫は処方箋薬局で目薬をもらい、私はわくわく広場でクレソンと小蕪と長葱を買う。そして私の枕を購入。枕について、詳しくは「鏡」24号(次号)のエッセイをご覧ください。

土曜の朝昼、日曜の朝昼晩の食事は私がつくった。それが当然であるということに改めて驚くとともに、なぜできるようになったか検証した。
一人暮らしのときは昼セブンイレブン、夜は飲みに行く、みたいな人間だった。もちろん、ふたりいるから相手のためにつくる、というのはあるのだが、今までは彼氏がいても毎日つくるということにはならず、よくふたりで飲みに行っていた。それがなぜ、朝起きたらスクランブルエッグをつくり、昼になったらうどんをつくり、夜は蕪のスープと牛肉とネギのすき焼き風をつくれるようになったのか。
考えた結果、「私が食事をつくると信じている人がいるから」だろうと思った。味に期待はせず、しかし私がなにかしらつくると疑わない。なるほど、「今晩は彼女の手料理!なにかおいしいものをつくってくれるかもしれない」というのと逆だ。うちはもう、夫は仕事、私は家事をすることに決まっている。ただし私も少し仕事をするし、夫はゴミ出しとクリーニングに服を持っていく係、土日の買い物では荷物を持ってくれる。それは、夫が男で私が女だからではなく、単純にお金を稼ぐ適性がある人が仕事に行くという分担だ。もし私がバリバリ働ければ、私は別に家事が得意というわけではないので、自分より家事の得意な人と結婚したかもしれない。

夫は土日の隙間時間すべて三国志13をやっていたが、夜はやる気が出たようで仕事をしていた。私は時折呻いたりしながら「鏡」24号の作品をまとめてエッセイを書いた。

2017年4月7日金曜日

2016.4.7 天然スタジオ

昨日は小部屋句会だった。句会のお題は「上五の途中に切れがある句」で、皆果敢にチャレンジ。5句中1句題でつくればいいのに、全部それでつくっている人が2人もいた。精神的に調子が悪い反動で飲み会で言わなくていいことをしゃべりすぎてしゃべりながら反省し始めていたがしゃべってしまったことは忘れてもらう以外ない。凱くんが連れて行ってくれた中華料理屋は安いし美味くて最高だったのに。私は頭痛を懸念してお酒は紹興酒1杯でやめておいたが過食傾向で結構食べてしまった。夫は4日連続タクシーは免れて、西日暮里を23時ごろ通過する千代田線に乗ったので、3号車で待ち合わせて一緒に帰った。
24時前に帰宅、夫は夕飯がまだだと言うので、つくっておいたトマト煮と菜の花ベーコン炒め、豆腐を出した。夫が携帯がないと言い、私が電話をかけてみたらタクシーの運転手さんが出た。柏駅から乗ったタクシーに携帯を落としたらしい。ありがたいことに運転手さんがそのあとすぐに届けてくれた。尻の神経痛が始まった。

今日は植本一子さんの天然スタジオで写真を撮ってもらう日だったが、やはり調子は悪く、行きの電車で泣いていた。昨日も柏駅に行くときに泣いていた。毎日叫びたくなるけれど叫ぶのを我慢しながら暮らしていて、しかし涙腺がゆるいのか泣くのはなかなか我慢がきかず、駅や電車、歩きながらよく泣いている。心配されたいわけではなく、心配になるから書くなと言われるのも違って、ただこれが現状というだけ。撮影に着ていく服がないのも惨めだったし、化粧もどうすればいいかわからず、神経痛は続いていた。つらいつらいと思い続けるのをやめるにはどうするのがいいのか。
天然スタジオは小さな部屋で、そのわりに窓が大きく、雨上がりの曇り空ではあったが自然光で明るかった。ここでも私は調子が悪い反動でメイクの青木さんに俳句のことをしゃべりまくり、しゃべりながら後悔。髪の毛が湿気でたいへんなことになっていたので、スタジオにいた時間のほとんどはヘアセットだった。撮影時間自体は短く、でもたくさん撮ってもらった。「そう! そうそうそう!」と言われるのが面白かった。帰りにてぬぐいをもらった。『かなわない』を持っていたけれど、サインしてもらいそびれた。あまり話せなかったが、植本さんは繊細な人だというのが空気で伝わった。

下北沢は笹塚在住時代よく散歩していたから懐かしかった。行こうと思っていたフレンチのお店のランチが終わっていたので、知らない店に入ったら私しか客がいなくてカウンターで気まずかったが味は悪くない。クリームパスタにしたのでカロリーが気になり、下北沢から笹塚まで歩こうと思った。が、笹塚に行ってしまうと千代田線で帰れなくなることを思い出し、井の頭通りに出たところで右折、代々木上原を通過し代々木公園の横を通って原宿まで歩いた。
近所に住んでいる友達が体があいたというので、代々木公園の中を通って代々木八幡駅に戻った。夕方の白ワインと赤ワイン、そしてレモンのムースは美味しかった。店員さんが赤ちゃんをしょって接客していて、寝ている赤ちゃんの足を触ったりした。隣の若いカップルのお客さんも赤ちゃんを可愛がっていて、そのふたりとも心が通じた気がした。俳句の話をして、また自信がなくなった。もっとがんばらなければと思った。
柏まで帰ってきて、まだ今日が足りない気がして、GAPでワンピースを2着買った。定価なら2着で16000円のところ、セールで4000円台だった。最近高めの服を買おうとがんばっていたけれど、それだと結局日常的に着る服は増えない。毎日着て楽しい服をちゃんと買わないといけない。GAPだとMサイズがちょうどいい。
帰宅して、今日撮ってもらった写真を見た。まず、顔がでかいと思った。あと、つらそうだと思った。顔が腫れている。それは被写体のせいで、それでも、本気で笑っている何枚かはいい感じで、それは写真家の腕がいいのだ。本当なら私は作品のなかに自分がたまたまいるようなもの撮ってほしいのに、今回お願いしたのはアー写だったので、次回はもっと違う写真を撮ってもらおう。やはり天然スタジオは家族写真だから、夫と撮ってもらえるならそれがいい。
昨日つくったトマト煮にルーを入れてハッシュドビーフのビーフ抜きをつくり、ピーマンの肉詰めをつくった。夫は今日は21時ごろに職場を出られると言っていたが、結局23時になった。ひとりでどぶろくを飲んで、これを書いて待っている。

2017年4月6日木曜日

2017.4.6 かけがえがないので交遊録だって書かざるを得ない

昨日は午前中カフェで仕事をしたのち、昼はパンを買って近所の公園に行った。家族連れで溢れる桜の下、ひとりでベンチであんクロワッサンとチキンのピタを食べた。鳩が来たのでパンを少しやったら4羽も来た。鳩に餌をやりまくるおばさんの意味がわかった気がした。気分がよかったのでPCを開き公園で少し仕事をした。帰宅して野菜を茹でて、また頭痛になったので少し寝た。

もともとは夫が飲み会だと言っていたから、じゃあ花見にでも行ってくるとれなりんを誘い、そしたら日帰り出張が入ったと言うので、ならば出張帰りの時間にあわせて一緒に帰れるかなと期待したのも束の間、出張から帰った夫はそのまま職場に行ってまた仕事だというので、あーあと思いながら浅草へ向かった。れなりんと鞆彦さんと酒屋の角打で飲んだあと、仕事がはやく終わったという惣一郎と雷門で待ち合わせ、隅田川沿いを歩いてりゅーたんと合流した。敷物などは持ってきていなかったので、5人でビールを飲みながら歩いた。桜は満開で、そこまで寒くもなく、夜桜を見る日としては最高だった。私は夫の父親がくれた甘栗の大袋(小袋が6つ入っている)を持参して、皆に小袋を配布した。歩きながら鞆彦さんがここはハッテン場で危険な目にあった、などと話してくれた。皆で写真を撮っては夫に送った。
二軒目に行く流れになったあたりで頭痛がひどくなりだしたので、さきに帰宅した。浅草からだと東武線で北千住乗り換えなので、柏はわりと近い。頭痛でそのまま布団に入ったらいつの間にか寝ていて、夫はやはりタクシーで帰宅した。

交遊録的なことを書いたりせずにいたい、というのを誰かが書いていてそうだとも思ったし、仕事でアンソロジーのことなどやっていると、つくづく誰とも友達でなければどんなにラクかと思うのだが、今の私にとっては友達といることを書かずにおくことは少ない喜びを減らしてしまうことになるので書くことにした。大好きな誰かといられることが直接幸せに結びつく。その記憶を反芻でもしなければ生き難い。

去年まで桜は別に好きではなく、今だって梅の方が好きで、ソメイヨシノのぞっとする感じはいまだにいただけないのだが、今年はとにかく淋しいので、桜の下にいれば誰かと心がつながる気がして、毎日桜を見るたびに慰められている。
父によると、昨日西日本で一番遅く、鹿児島で桜が開花したらしい。満開は15日だという。われわれの結婚式は、その日に鹿児島でやる予定だ。天気がよいといい。

2017年4月5日水曜日

2017.4.5 郵便局前で食べきれず残しておいたデコポンをイオンで電話しながら食べた

月曜の昼は夫の職場に行き、弁当を買って中庭で一緒に食べた。忙しいらしく一緒にいられたのは30分くらいだったが晴れていたしよかった。週に1度くらい弁当を持って行って一緒にランチをしてもいいかなと思った。そのあと俳句文学館に行き少しだけ調べ物をして、新宿の紀伊国屋書店に行ったら『俳句という他界』はまだ売っておらず、MUJI CAFEで少し仕事をしていたら夫からやはり残業の知らせが入ったので、新宿にいるから誰かと飲みに行きたいと思ってツイッターでそうつぶやいてみたが、友達はおらず、そうか柏にいたって新宿にいたって友達はいないのかと悲しくなり、それならばと12月まで住んでいた家の近所の大好きな日本酒の店に行くことにした。こういうとき若い人にはおごってあげたいので暇なら誰か来てください。
かつての最寄駅とは丸ノ内線支線の中野新橋駅で、新宿駅から電車で10分かからないのだが、夕方のラッシュの時間帯だったので駅に着いたときには疲れていた。その上ひどい雷雨で、引き返そうかと思ったが、腹は減っていたので雨の中を店へ向かった。駅から店は徒歩3分くらいである。蛍烏賊に菜の花、水蛸の刺身や蕗の薹味噌を食べ、獅子の里や加賀鳶などを飲んだ。遊穂のうすにごりが微発泡かつ後味に少し苦味があり気に入った。鰺フライを頼んだら遠方特典と言って牡蠣フライをひとつ付けてくれた。幸せだったが帰路は頭痛になり帰ってはやく寝た。夫は終電がなくタクシーで帰宅、内側からしか開かない鍵をかけてしまっており、バンッといってドアが開かない音で起きてドアを開けた。

昨日は整形外科に行った。腰の痛みに腰椎椎間板症という名前がついてリハビリ、というか少し揉んだりしてもらって生活指導を受けるというのを繰り返している。担当の小林さんはあまり話しかけてこない愛想のないタイプの女性だ。隣の男性は施術をしながら「銀杏は臭いから街路樹は全部マテバシイにすればいいんですよ」などと言っていてそれにも好感を持っていたが、何もしゃべりかけてこないのもいいものだった。しかし今回で担当替えになるという。いろいろお世話になりました、無口なかんじがよかったです、腰のことで来ているのに肩こりがひどいと言ったら肩も揉んでくれてありがとう、などと言いたかったが施述してもらったのは3回ほどなので「残念です」とだけ言った。小林さんも少し残念そうな顔をした。
通っている整形外科は隣駅にあって、一度家から歩いて行ったら1時間くらいだったので、昨日は晴れていたし自転車で行った。少しはやく着きそうだったので、途中の川沿いの公園で10分ほど花見をした。川は手賀沼に流れ込むやつである。お母さんたちが子供を遊ばせているのを見るのはわりと楽しい。しかしマスクでひとりで平日花見の人たちの合間を歩いている30代くらいの女性というのはかなり不審者っぽいだろうと思った。だとしても、こういうところでお昼を食べようと思ってコンビニでおにぎりと、なぜかデコポンが売っていたのでデコポンを購入した。リハビリが終わったあと、美容院に行く予定で、Google mapで道筋を調べたら、柏公園というのが道沿いにあったのでそこでお昼にするつもりだった。しかし、公園は高台にあって、道は低いところを走っており、うまく公園にたどり着けなかったので、公園的なところで座ってご飯を食べる機会を逸した。そこで美容室の近くをゆっくり自転車を漕ぎながらおにぎりを食べた。デコポンについては漕ぎながら食べるのは無理だったので、近くの郵便局の自転車置き場に自転車をとめて、自転車に乗ったまま皮を剥いて食べた。完全に不審者である。郵便局前でデコポンを食べる30代女性。デコポンは食べきれなかったので、鞄にしまって美容室に行った。
美容室を出てそのまま自転車でイオンに行き、イオンでユリちゃんから電話がかかってきた。どうやら自転車に乗っているときに手が滑って私から電話をかけていたらしい。1時間半ほど電話していろいろ話して希望を得た。イオンの誰でも座れるスペースに腰掛けて、残っていたデコポンを食べながら電話をした。同じテーブルの椅子におばあさんが座って蒸しパンを食べていた。隣のテーブルではジャンパーのおじいさんが本を読んでいた。無職の人しかいないなと思った。イオンのわくわく広場では近場の新鮮な野菜をたくさん売っているので、気を取り直してそこで菜の花やサラダ系の葉っぱの詰め合わせなどを購入して帰った。夫の食べない烏賊も買った。
帰宅して烏賊をバターで焼き、葉っぱにオリーブオイルをかけて食べた。また頭痛が始まったので「夜になると頭痛」とググったら「緊張型頭痛」というやつらしい。毎日なるので困る。結局一日仕事はなにもしなかった。生駒くんと電話をし、ラジオ体操をして風呂に入りだらだらして寝た。夫はまた2時半ごろにタクシーで帰ってきた。おかえりと言って夢遊病者のようにふらふらと歩いてまた寝た。

今日は月評の締め切りなので珍しく10時台に家を出て駅の近くのタリーズで原稿を仕上げて送った。夫は今日は日帰り出張らしいが、出張前に職場に行き、出張から夜帰ってきてもまた職場に行かなければならないかもしれないらしい。飛行機で寝なね、と何度も言った。それくらいしかアドバイスできることがない。

2017年4月2日日曜日

2017.4.2 花見と妹

昨日から4月だ。夫は職場でひとつ横の机に移動したらしく、荷物の整理に行くというので、職場に潜入した。職場の人は2,3人来ていたがとくに突っ込まれるでもなく、夫が1時間半ほど片付けをしている横で、私は本を読んでスマホで少し原稿を書いていた。終わって近くの店で飲んだ。そのあと夜の散歩ということで日比谷公園に行って桜を少し見た。幅広の階段になっているところでこけて、この冬買ったズボンをダメにした。帰宅したら膝から血が出ていた。寒かったからかひどい頭痛に襲われて早めに寝た。

今日はうちから3分の公園で夫と花見をした。去年の春にリップグロスを買ったときにもらった一人用のレジャーシートと、水筒に入れた焼酎のお湯割り、もらいもののおかきを持って行った。柏の桜は3分咲きといったところだ。公園の向こう側にいつも行くスーパーがあるので、まずスーパー併設のクリーニング屋に服を持って行ってからスーパーでよなよなエールと唐揚げ、ねぎとろ巻きとおにぎり、ポテトサラダとジュースを購入して公園に戻り、ふたりで同じ方を向いてレジャーシートに座って、レジャーシートはふたつのお尻しか入らないので、買った食べ物をビニル袋の上に置いて、ふたりで食べて飲んで昼の小一時間を過ごした。ひとつ商工会連合のような団体がお琴を持ってきていたが我々の滞在時間中には鳴らなかった。家族連れがほとんどで、子供達を遊ばせて親たちは酒盛りをしていた。サッカーボールを蹴っている子たちのなかに入りたかったが大人なのでやめておいた。うちにも子供ができたらこういうかんじでママ友なんかと家族合同花見をするのかなと思ったけど、いろんなお母さんやいろんなお父さんがいるのを見ていたら、少しめんどくさそうにも思えた。とりあえずはユリちゃんとユリちゃんの息子と花見に行くくらいが楽しそうだ。

帰宅して結婚式用の席札のなかに、それぞれへの短いコメントを書きながら号泣した。いや、できるだけ感動的でないようにつとめて書いていたのだったが、さきほど見た子供たちと同じ年代のときの妹が目に浮かんだからであった。私は4歳下の妹を連れて遊びに行ったりしたものだったが、ただでさえイケてない自分が連れていく妹は明らかに足手まといで、あまり歓迎されなかった。私は自分が輪に溶け込むことで精一杯だったので妹をかばったりできなかった。そのときの私の姿は自分自身写真に残っているもので思い出すほかないが、妹の姿はなんとなく目に残っているのだった。
外ではなかなか妹をかわいがってやれなかったが、家ではふたりで楽しかった。セサミストリートのプラスチックのフォークとスプーンをもらったとき、私がさきに「あやかはオレンジ!」と言った。妹は「なっちんは黄色!」と言って、取り合いにならなかった。親がケーキを買ってきたときなども、相手のものがほしいと思わない姉妹だったので喧嘩をしたことはなかった。とくにお姉さんらしくふるまうようにも言われなかったし、妹の方がよくできたので九九は私が小2のときに4歳下の妹も覚え、ポケモンは妹が小2のときに4歳上の私も一緒に覚えた。私が高校1年の終わりだったか、複素数を習い始めたときに、小6の妹に説明したら座標を指差して「ならこれが1-iね」などと理解したので妹はえらいと思った。そして妹は姉のふり見てわがふりなんとやらでちゃんと国立大学に行き自分で奨学金をもらって大学院も行き、ちゃんと会社勤めしている。妹からはあるときまで「オネエマン」と呼ばれていたが、あるとき恥ずかしくなったようで「おねえ」になり、「ねえさん」と呼ばれ、今は「あやかどん」だったり「姉」だったり決まった呼称はない。
そんな妹は3月に婚姻届を出した。私は2月に出したから姉妹でばたばたと結婚したことになる。うちの父は香川の田舎の佐藤家の長男だったが、私も妹もあっけなく佐藤でなくなってしまったことについて、母親は「佐藤は日本中にいくらでもいるから大丈夫」と言ったので、たしかに、と思った。30過ぎても親に家賃を払ってもらってふらふらしていた姉が電撃的に結婚し、7年付き合った相手とのようやくの区切りで妹が結婚し、ふたりがふたりとも結婚する親の気持ちになるといくらでも泣けた。両親はよくがんばったと思った。感謝しだすときりがないので席札の両親へのコメントにはあえて「ありがとう」とは書かなかった。夫が親に書いているのをちら見したら大変そつなくコメントしていてちゃんとした人だなと思った。夫は一人っ子である。
私は号泣したまま洗い物をした。夫は相変わらずPCのゲーム「三国志13」をやったり仕事をしたりした。「三国志」は好きな主人公が選べるので、夫はまず曹操でやってクリアし、孫策でやってクリアし、今は司馬懿でやっている。晩ご飯は夫の好きなハンバーグをつくった。なぜか中から緑茶色い汁が出たが味は悪くなかった。