2019年1月24日木曜日

2019.1.24 こんにゃくを料理するときに思い出すこと

去年の最後、日記をつけないまま1ヶ月が経過してしまい、もはやどんなことがあったかは忘却の彼方。noteを始めて、それはそれでいいのだけど、なんとなくBloggerも捨てがたく、何をどっちで書くのがいいか考えていたら時間が経ってしまった。

note

これまで毎日のことをなんとなく書いていたのだけど、とくにそのあと必要になるわけではないので、これからはもっとあとからつかえるもの(加筆訂正してエッセイ集にするだとか)にしていきたい。と思って、最近はエッセイのネタになりそうなことがあるとメモ帳に書くようにしている。
ただ、そのときけっこう面白いと思っても、あとから見るとそうでもないことってありますよね。すぐにエッセイにすれば面白くなるんだろうか。

具体的には、「こんにゃくを料理するときに思い出すこと」みたいなメモがあるわけです。試しに書いてみます。

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こんにゃくは最近までこわくて使えなかった。だいたい、下ごしらえのいる食材はこわいと思っていた。どうも、洗えばいいだけ、というのがあっておそるおそる買うようになり、思ったよりくさいことに驚いたり、炒めてみたら泡が出てきてビビったりしたが、熱湯をかけて適当に切って煮る、ということにしたら抵抗がなくなった。

そこで思い出したのは、いや、思い出しきれてないのだけど、小学生のときの「●年の科学」だったかあるいは中学生になってからのベネッセの付録だったか、都道府県の特産品をモチーフにした短い推理小説集みたいなものの存在だ。別に読み物として面白いわけではなかったのだが、社会の勉強にそういう冊子というのがめずらしく、通読した。今思えば、クオリティはともかく、47都道府県で1話ずつ推理もの、というのは、おそらく外部に委託して書いてもらったのだろうが、けっこう大変だったんじゃないかと思う。

そのなかの群馬県の話。
工事現場で働く男が、転落死した。事故に見えたが、調べると栄養失調。妻が毎日のご飯や弁当にこんにゃくを大量に仕込んでいたのが理由で、妻が犯人、というものだった。せっかくの特産品なのに、こんにゃくの栄養価の低さが殺人に使われるという酷さ。ほかの県の話はまったく覚えていないが、これだけは今でも覚えている。

妻として台所に立つようになった今、夫の体重管理はある程度わたしの仕事だが、とはいえこんにゃくの食わせすぎには注意せねばならない、と、毎度こんにゃくに湯をかけながら思うのである。

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うーん、書きようによってはもう少し面白くなるのかもしれないが、いまいち「スベらない話」とはならない。果たして需要はあるのか。
まぁでも、10回に1回くらいは面白いものも書けるかもしれないので、これからも思いついたら書いてみます。