2019年10月23日水曜日

2019.10.23 ガムとスリッパ、いもの旅人と廃刀令

・昨夜、りんごと鶏肉とたまねぎとキャベツを、レモンとローズマリーを入れて煮たら、おどろくほどまずかった。レモンの皮が苦かったのが一番の原因だが、りんごがあまりよくなかったことやローズマリーを入れすぎたのもよくなかった。こういうことがあるので料理は好きになれない。がんばって報われないことがきらいなのだ。じゃあレシピを見てやれよと思われるかもしれないが、レシピを見ることの方がもっときらいである。

・飯のまずさでとてもつらくなって、22時をすぎてから、夫と近所のコンビニまで散歩した。ひとりぐらしのときは夜コンビニまで散歩することも多かったが、ふたりになってからはそんなにしない。でも、別にふたりで夜ふらふらコンビニまで散歩したっていいのである。フォーとヨーグルトドリンク、サラダとガムを買った。ふたりでガムを噛みながら、ガムラン、かんがみる、などと言いつつ帰った。

・今朝は晴れたので、気を取り直して洗濯を2回おこなった。1回は通常モード。並行してころもがえ(俳句の季語として書くと「更衣」なので、「衣替え」と書くのがためらわれる)もおこなった。洗濯後かどうかよくわからないものたちは、2回目のドライ洗濯につっこんだ。

・人生で初めて、スリッパを3足洗った。スリッパというのはこんなにきたないのか。いや、部屋と足がきたないのか。さらに布団も干した。さらに、だめになったバスタオルを切って小さなボロ布にした。ボロ布は汚れたところを拭いて使い捨てる。洗濯や掃除など、目に見えて成果が出る家事や、体を動かす家事は嫌いではない。いつも本を読まずに家事をしてしまう。

・この前1週間ぶりに掃除をしたと書いたが、これは床掃除(クイックルワイパー)のことで、台所とテーブルの上はいつもきれいにしているので心配しないでください。ゴミも毎日捨てている。でも、きれい好きの人は毎日床掃除をしないときっと耐えられないのだろう。私も、5日くらいで耐えられなくなる。

・スリッパを買った。冬用のあたたかいものと、台所用のもの。今までの夏用のサンダル的なものは、風呂上がり用にすることにした。便所とベランダのスリッパもあわせると、家で5つのスリッパを履き分けることになる。そうでもして、家での生活に変化をつけないと、家で仕事をする楽しみはない。仲のよい友達におかれましては、リモートワークに我が家をつかっていただきたい。コーヒーは豆を挽いて淹れています。

・うちで淹れるコーヒーは、こだわっている喫茶店以外の喫茶店よりは美味しいと思う。別に私が淹れるのがうまいというわけではなく、単純にいい豆を買っているからだ。平日の朝は自分だけ飲み、休日の朝は夫にも淹れている。休日の昼は、日本茶か紅茶などを飲んだりする。昨日の昼、紅茶かカモミールティーどっちがいい?と夫に聞いたらカモミールティーと言うので、自分用にアールグレイ、夫用にカモミールをつくった。夫に食卓に持って行ってもらい、夫がさきに飲み始めた。何も考えずに自分の席に置かれたものを飲み始めたら、カモミールティーだった。夫は、味の違いがあまりわからないのかもしれない。そういうこともあって、夫にコーヒーを出すのは休日だけにしている。

・しかし夫は昨日のひどい煮物もまずいとは一言も言わずに食べてくれたので助かっている。「昼のパスタはおいしかった」と言ってくれた。一勝一敗。勝率50%。でも私は、勝率100%でないと耐えられない。

・夫には、昨日はさつまいもを用意した。いもならだいたい好きみたいだ。生協で、いろんな種類のいもが毎週送られてくる「いもの旅人」という企画を見て、「登録するか」と言っていた。


・ふと見ると、リビングに金木犀がこぼれていた。どこからきたのだろうと思ってよく見ると、さっき切ったバスタオルのオレンジの糸くずだった。

・友達に「この前イベントで大学生の男の子としゃべってちょっと仲良くなっちゃったんだよね///」と言ったら、「文香さん!刀をしまってください!」「もう廃刀令出てます!」と言われた。

2019年9月18日水曜日

2019.9.18 学生なのでめちゃくちゃ〈夏休み〉しました

7月末に大学の春学期が終了、夏休み前に12年(?)ぶりのレポートと期末試験をがんばったため(成績、4科目全部Sだったのでえらい)、この50日はとにかく遊び倒した。

やることリストの、イベントや旅行の部分はすべて完了のピンク色に。整理整頓系が進まず。



これ以外にも、休み期間中に句会や飲み会などが計16回(すごいな、自分。案外体力ある)。合間に仕事の打ち合わせなどもありました(大丈夫、本職は学生です)。企画したイベントや同人誌の依頼、11月に予定している展示の計画など、わりといろいろ進行中。
那須どうぶつ王国と鹿児島市平川動物園に行き、どちらも大変良かったので、各地の動物園めぐりをライフワークに加えようと思った。


平川動物園のハゲコウ

さて、下は夏休み前につくった読書するぞリスト。後半減速したのが残念だったけど、計画を立てたのはよかった。ピンクは読了、薄いオレンジは途中。白は今から読みます。




以上の本はすべて8月上旬くらいまでに手に入れたんだけど、本を買うのをはじめて面白いと思えた。大型書店に心踊る意味がわかった。欲しい本があって本屋に行くと、さらに欲しい本が見つかる、ということなんだな。というわけで、これ以外にも買った本あります。
読み途中ですが、町屋良平と松本清張がとても面白い。本棚にある本の続きを読みたいと思える、というのは幸せなことなんだな。どちらも短編だからいいというのもある。分厚い本はやはり手を出すのをためらっている。日本語学の勉強系の本を全然読めていないので、秋学期の授業が始まったら読もう。
夫は本と本屋が大好きで、旅行のときは羽田空港で一冊文庫本を買う、旅先の本屋でも記念に単行本を買う、みたいな人なのだが、はじめてその気持ちがわかった気がする。ちなみに夫は今回の鹿児島行きも羽田空港で文庫本を一冊買って、その下巻を帰りに羽田空港で買っていた。

昨日人生二回目、東京宝塚劇場へ。礼真琴さんが本当に好きすぎて、沼にハマる気がしている……。まずはオペラグラス買お……。

紅ゆずるさん退団公演。青いのが次期星組トップの礼真琴さんです。


大学、秋学期は日本語系の2科目に絞ります。今週から授業開始。

2019年7月15日月曜日

2019.7.15 夫の話(ファンサービス)

今日、私のブログのファンだという奇特な方とお会いしたので、久々にブログを書く。

その方は夫の上司にあたる人で、F君が結婚した相手が俳句をやっている、というので面白がって探して読んでくださっていたらしい。俳句がどうこうというよりたぶん、ふたりはちゃんと家庭生活をやっているのかと心配してくださっていたのだと思う。私が夫のことをよく書くので、それを読んでほっとしていた、とおっしゃっていた。(なお、最近ブログを書いていないのは、結婚から2年して、かなり生活が安定したのと、科目等履修生として大学に通っていることもあり、逐一書ける内容が減ったからである。)

うちの夫に会ったことのある方はおわかりかと思うが、夫は誰かと会ったとき、にこにことはしているもののかなり無口だ。

どうも、職場でもあまり多くは話さないらしい。家でも、夫から話しかけてくることはあまりない。仕事が大変だとも言わないし、人間関係の愚痴も一切聞かない。だいたいの場合私が「ちょっとすごい発見があるんだけど」とか「ねーねーちょっとこれありえなくない?」とか言って会話が始まる。私は感情のアップダウンが激しいので、何がひきがねで怒ったかや、どういう素晴らしいことがあったかなどを話しまくり、自分で話しながら答えを見つけて納得したり、どうすればいいかアドバイスを求めたりする。夫はだいたい静かに聞いている。コメントするときも私に同調したりせず、私の考えるヒントになるようなテレビ番組(いつの間にかいろいろ録画してある)を見せてくれたり、部屋からおもむろに本を数冊持ってきたり、意見を言うときももどかしくなるくらい客観的な見解を述べる。私は話し散らして気持ちがだいぶ冷めると、なるほどと気づかされることも多いので、たいへんありがたく思っている。

みたいなことを書くと、「本当にいい人と結婚できてよかったわね」と諸先輩方から言っていただくのだが、そう言われると嬉しい反面、毎度ちょっとストレスが生まれているのも事実である。

夫とて、私と結婚できてよかったのである。

いや、結婚するのがゴールではないし、そもそも皆が結婚すべきとは微塵も思っていない。もちろん、夫君の方もよかったわなんて、そんなこと言わずもがなでしょう、と言われるだろう。が、なにかが違うのである。

じゃあ夫の話をしなければいいじゃないかと言われるとする。と、自分はほとんど“夫が趣味”であることに気づいた。もっと言えば“推しが夫”なのである。これは私に限ったことではなく、うちの父、亡くなった父方の祖父もそうで、私を含むこの3名は、どこへ行っても家族の話ばかりするという共通点がある。私など大学時代に、教わっている先生(父の大学時代の先輩)から「お父さんはあなたが今の彼氏と結婚してしまったら…と悩んでおられたよ」と聞かされたり、父の授業を受けている友人から「サトゥーのお父さん、またサトゥーの話しとったよ〜」と言われたことがあるくらいだ。祖父に至っては町内全域で私たち姉妹の話をしていたのではないかと思うレベルに言いふらしていたようである。
家族の話をするというのは遺伝だと思う。そういえば父も祖父も、趣味らしい趣味がない。私同様音楽が好きとかはあるが、そのレベルだ。たぶん、言うなれば“家族が趣味”の血筋なのだ。

私に関しても、なにも推しは夫だけでなく、迷惑だろうが妹も推しだし、妹の夫も推しだし、仲のいい友人も推しで、よく好きな人のことをしゃべっている。俳句オタクが俳句の話をして生き生きするように、私は夫や家族、仲のいい友人の話をするのが楽しいというだけだ。だから「いい人と結婚できてよかった」と言われるのは、それはそうなのだが何かが違う。
究極のところ、今の夫以外の人と結婚していればその人のことをこれくらい話すだろうし、結婚していなくとも誰かとお付き合いしていればその人の話をするというだけのことである。基本的に、そのときその人の話をしたくなるような人としか付き合わない。
俳句が好きな人が今好きな俳句の話をし、家族が好きな私が今好きな夫の話をするのは、同様に自然なことなのだ。

なのでたまには今日のように、「F君は仕事と結婚してるような人だったから…結婚できて本当によかった」と言ってもらえると、とても喜ぶ。だって、俳句オタクとなった人が俳句に出会えたことはもちろん素晴らしいが、俳句作品、俳句というジャンル全体にとっても、俳句オタクとなるべき人に出会えたことは最高の喜びにほかならないじゃないですか。

「夫は私と出会えてよかったねぇ、ねぇ」と言ったら、目の前で勉強をしている夫が顔を上げて、「そういうブログか」と笑った。




2019年6月3日月曜日

2019.6.3 花、名前、記憶

紫陽花が咲きはじめ、少しすると一斉に立葵が咲く。そのうちに棚の凌霄花も咲く。小さなバス同士が、かつて商店街であったはずの、今でも豆腐屋や文具屋がぽつぽつと並ぶ細い道をすれ違う。

夜はジャズバーをやっている店の、昼ごはんを食べに階段をのぼる。先客は大学生グループで、少し賑やかではあったがドライカレーを頼むような学生は信用できる。私は『記号の国』を少し読み進める。すみません、と背の高いアルバイトが到着する。腰に黒のサロンを巻いてすぐ仕事に入り、私にジャークチキンを運んでくれる。水菜の上のラタトゥユが冷たくて愉快だ。
砂糖細工のような照明が、各テーブルの上に吊られていて、昼ながら暗い店内を照らすというよりはそれ自体の美のためにほの明るくある。ターメリックで炊かれたライスに、チキンのスパイスとあぶらが移って美味い。チキンはたいへんやわらかかった。

いただいた百合と芍薬、緑がかった白薔薇トルコキキョウの花束は、我が家のなかで私や夫よりも強烈な存在。玄関を開ければもう、百合に香りを嗅がされている。蕾はふくらみ、開いていたものはより開こうとする。私たちの注目の的。
道管がよくはたらくようまめに水切りする。百合は単子葉類なので維管束はばらばらだろう。芍薬には形成層があるはずだ。そういった知識は中学校で身につけたものだ。コヒョートユージョー、ジューニソクミツブセ、ユミハツヨシ、これなども中学校で覚えた。マダツボミ、プテラ、ニドリーノ、ペルシアン、これは小学6年生のときに覚えた。大学の授業では教養としてガンダムを学んでいる。家でガンダムの話をすると夫がしきりにYouTubeを見せてくる。

夫の母は何かにつけてお酒を送ってくれる。今回は日本酒とワイン、それに家で漬けたという梅酒も送ってくれた。誕生日前夜の昨日はワインを開けた。エチケットの梟の可愛さ。キャンティはサンジョベーゼを主体としたブレンドワイン、というのも飲みながら身につきつつある。Chiantiはイタリア語、étiquetteはフランス語。最近覚えたことといえば、プリミティーボはジンファンデルであること。Primitivoはイタリア語、Zinfandelは英語。Chiantiは地名だが、PrimitivoもZinfandelも葡萄の名前でイタリアはプッリャ、アメリカならカリフォルニアを中心に育つ。

子供のころ花の名をいくぶんか覚えたのは、母親が花を見るとその名前をかならず呼んだからで、教育ではあっただろうが癖とも言え、自然と私にもうつった、だから私も何か花を見るたびに、クレマチス、カシワバアジサイ、ホタルブクロ、などと夫の横で口にしながら歩く。ひとりで川沿いを走りながら川を見ていたら月見草、その向こうに鴨、そういうときは心の中で月見草、鴨、と言う。

連休に諏訪ではじめて見たと思った苧環は、4年前の連休に伊香保でも見ていたが、そのときは名前を調べず写真にだけ撮っていて、知らない花として記憶から漏れていた。というのは、過去に自分で撮影した紫陽花の写真を探していたら、苧環の写真が出てきてわかったのだった。その日も、不思議な花だと思って写真に撮ったのだろう。もう君は知っている花だと、苧環に告げた。
榛名湖では馬に乗った。諏訪湖では遊覧船に乗った。諏訪湖の遊覧船はすわん号であった。榛名湖の馬にも名前はあっただろう。4年前はまだ、夫に出会っていなかった。今日は、34歳になった。

2019年5月23日木曜日

2019.5.23 自分はちっともすごくないし、全然ダメでもない

大学の図書館のカードをつくったら、何か借りないともったいない気分になり、『ロラン・バルト著作集7 記号の国』を借りた。翌日、美容室でそれを読もうと持参したが、大学の授業でどんなことしてるの?と聞かれ、漫画の話で盛り上がって、担当のHさんオススメの『約束のネバーランド』を読み始めてしまい、2巻の途中まで読んだところでカットが終わったが、続きが気になりすぎて5巻まで借りる。そのまま句会へ行く道中もずっと読んでいた。句会や二次会でよくわからないギアが入っていつも以上によくしゃべってしまった。帰りの電車でも漫画を読み、帰宅して5巻まで読み終わってしまった。『記号の国』の方も、今朝申し訳程度に少し読んだが、どちらを読むのが自分のためになるかはわからない。この日は漫画を読んだことに意味があった。そういえばHさんに借りた『ソラニン』をまだ読んでいなかった。次美容室に行くときは読んで返そう。私からは『映像研には手を出すな!』をすすめた。『約束のネバーランド』とは、中性的な主人公格3人が、互いの能力を補い合って頭脳でいろいろをクリアしていく点で似ているかもしれない。

また英語の勉強を始めようとしている。やり始めてはすぐやめるのを繰り返していたが、今回はTOEICを申し込んだので少しはやるだろう。今まで、何をやってもすぐにやめてしまう自分は、本当にダメなやつだと思っていた。でも、何度でもやり始めてやめたらいいと思ったら気が楽になった。だらだらするか仕事か勉強か、ではなく、だらだら仕事をしたり、だらだら勉強をしたりするというかんじでいければと思う。休んでも終わりじゃない。TOEICは何度も受ければいいし、本だって読めなくてもそれで終わりじゃない。またいつか読めばいい。

これからなにをやっていくかについて、可能性のある選択肢をありったけ増やす作業をしている。どれも少しずつやってそこから選べばいいし、何かからやり始めて、そのあとで何かをやってもいい。やり始めたことができなくても、別に誰も困らない。適性がないから馬鹿というわけではない。何もできなくて俳句に帰ってきても、それはそれでいいじゃないかと思う。

自分はちっともすごくないし、全然ダメでもない。誰とも比べなくていい。何か少しでもやれば、少しかしこくなったり、楽しかったりするだろうから、毎日少しずつやればいいし、何もできない日があっても、翌日は少しやればいい。

去年一昨年と、毎日体調が悪くて、午前中はつかいものにならなかったが、今年度に入ってからほとんど二度寝をしなくなった。一日あたり平均3時間くらい使える時間が増えた。それだけでもいいことだ。健康が一番だ。

2019年4月23日火曜日

2019.4.23 今日の「できたこと」を数える

6時45分に起きて、朝ごはんを用意した。
自分の分だけだが、適当に弁当をつめた。
洗い物をした。
窓を開けた。
洗濯物を干した。
仕事のメールを送った。
かんたんに掃除。
化粧など、学校に行く準備をした。
行く途中、郵便局で通帳記入。
授業をまじめに聞いた。
授業後先生にアポをとりにいった。
弁当を外で食べた。
wifiの講習を受けた。
金曜の授業用のアンケートの下準備をした。
帰る途中、自転車屋でタイヤに空気を入れてもらった。
帰る途中、春菊と苺とえのき、コーヒー豆を購入。
帰る途中、銀行でお金をおろす。
帰る途中、処方箋で薬をもらう。
帰宅して、おやつを食べないでいられた。
6月の会の日程調整のメールを送った。
洗濯物をとりこんで畳んだ。
スマホのオプションサービスを電話で解除。
生協の注文表を書いた。
ゆっくり4km走った。
やりたいことについて考えた。
走った帰り、弁当用の小さいタッパーを買った。
かんたんな夕飯をつくった。
たくさんのマヌルネコの写真を見た。
飲みに行かないことができた。
機嫌よくいられた。

本当はまだまだいろいろできたような気がするけれど、とりあえず今はこれでじゅうぶんだ。あとは、洗い物をして、風呂に入り、歯磨きをして、眠れればいい。

できなかったことは明日やればいいし、明日が無理なら明後日やろう。
明日は、今日ほどいろいろなことはできないかもしれないけれど、それでもいい。
人生は長い。

2019年4月12日金曜日

2019.4.12 マラソンと自己肯定感

先週の土曜日にSさんを誘ってマラソン大会に参加した。最近では毎週マラソン大会的なものが各地で開催されていて、そういうのをとりまとめて紹介するサイトがあり、自分の行ける日時場所のものに申し込めるようになっている。Sさんは10kmまでならいけます、とのことだったが、5kmにしてもらった。5kmというとマラソンのなかでは最短くらいだ。その日も、30km、ハーフ、15km、10km、5kmから選択できた。

5kmにした理由は、単に10km以上は走ったことがなかったからである。私の中学高校時代のマラソン大会は距離が異常に短く、中学が2km、高校が1.5kmだったため、練習で家のまわりを少し長く走るときでも、せいぜい5kmかそこらだった。逆に言えば、5kmであれば、最悪練習ゼロでも走りきれるだろうと思った。それが10kmになると、練習できなかった場合、怖気付いて大会前につらい気持ちになり参加が危ぶまれる可能性がある。ここ最近の完全なる運動不足を少しでも打開することが目的なのだから、まずは完走して、これからランニングを続けるのにはずみをつけたかった。

しかし練習では、走り出しても3kmくらいでやめてしまうなど、5kmちゃんと走ったのは大会まで2週間を切ってからだった。しかも、走るたびに筋肉痛になるので、とても毎日は走れず、結局大会前に5km完走したのは3回のみだった。

さらに私は、走るたびに、かつて走れた自分のイメージと戦わなければならなかった。中高時代のマラソン大会は、短い距離だったとはいえ、中学3年のときは学年女子80人中2位、高校3年のときは学年女子220人中1位だったのである。走るなら速く走りたいのだった。

ところで、あなたは、人生で一番嬉しかった記憶はなんですか。最近たまたま句会のあとの飲み会で、この話になった。何度も言っていることなので、またかと思われる方もいらっしゃるだろうが、私はこの高校3年のときのマラソン大会での結果が、もうすぐ34年になる人生で一番嬉しかった。俳句甲子園で優勝したときよりも、初めて彼氏ができたときよりも、句集が完成したときよりも、結婚よりも、である。

またしてもところで、小さいころ読んで好きになった絵本というのは、その後の人生に深い影響を与えるということを言われることがある。あなたが好きな絵本はなんですか。私が好きだったのは『ちょろりんのすてきなセーター』(福音館書店)だ。とかげのちょろりんが、ある日ショーウインドウで見たすてきなセーターがほしくてたまらず、一所懸命アルバイトをして手に入れるが、それはへび用だった。しかし、とかげが着られるようにかえるのおばさんに直してもらって、最終的には着られるようになるという話だ。うちの家の指導方針も、それに近いものがあった。「努力すればある程度はできる」。そして私は努力をし、努力の結果、たしかになんでもある程度はできた。ある程度というのは、中の上〜上の下、学校の勉強は上の中くらいだった。

(俳句甲子園で最優秀句に選ばれたときは、嬉しかったが、内心自分の句のどれかかもな、と思っていたし、逆に、これは運だな、とも思った。たくさんつくったり、がんばってみんなで対策したりしたけれど、”努力が報われた”というかんじではなかった。それはその後、俳句の賞に応募したり、句集が賞にノミネートされたりしたときにも感じた。努力が結果に直結しない。芸術はだいたいそうだろう。なんなら俳句は傾向と対策が結構可能なジャンルだが、それで特選などを獲ってもたいして面白くない。)

でも、マラソン大会は違う。高校1年で7位、2年で5位だったから、3位を目指して練習した。たぶん、雨の日以外は毎日走ったと思う。それで結果が1位だった。1.5km、5分47秒。最近この話をしたら、なんでそんなタイムまで覚えてるんですか、と言われたが、人生で一番嬉しかったからに決まっている。運動部の人たちが部活を引退し、受験勉強を始めたからというのもあったが、客観的に見て、女子で6分(4分/km)切れれば、選手じゃないなら速いと言っていいだろう。俳句で賞をとるよりも、多くの人にとって意味がわかる記録だ。体育館で、3年の男女1位が代表で賞状をもらった。陸上部でもハンドボール部でもない、俳句部の私が、だ。これは、小さなちょろりんでも、素敵なセーターを着ることができる、そんなかんじかもしれない。

ここでようやくはじめの話に戻って、今回の5kmマラソンである。走るなら速いのがよかったが、運動不足も運動不足だ。女性のふつうのタイムとはどれくらいだろうと調べたら、あるサイトに31分54秒とあった(男性は28分36秒)。ならばとりあえずは6分/kmで、5km30分と設定し、練習で走ってみたら、それは余裕だった。結構がんばったら26分10秒、まあまあがんばったら27分2秒だった。大会当日は、26分台くらいを目指すことにした。

当日、暑いくらいのいい天気で、川沿いなので清々しく、コンディション的にも悪くなかった。しかしコースは直線、しかもスマホを置いて走ったのでラップタイムが計れず、はじめの1kmくらいを男性陣のうしろに位置するかたちで、たぶん4分半/kmくらいで走ってしまった。そこから4kmはひたすら辛く、もう少し意志が弱かったら途中棄権しかねないくらいにバテた。ラスト200mくらいで少し持ち直しはしたものの、本当に疲れただけに終わった。記録は25分20秒。平均すれば5分4秒/kmなので、思ったよりは速かったけれども、走ったあとの「こんなはずじゃない」感が強かった。

たぶん体感として、4分40秒/kmくらいで5km走りきるのが、自分の理想のかんじなのだと思う。毎日しっかり3ヶ月走れば、今でもそのペースでいけるという気もする。でも私は、今回は努力ができなかった。客観的に見れば、そんなに練習しないで30代女子が25分台で走れれば速い方で、たしかに当日もすごく速い人と楽しく走る人の真ん中に位置していた。27人中9位、女子の中では3位である。もし、これが努力を重ねての結果だったら、素直に喜べただろう。

高校時代は、理想の自分と、努力をして底上げした自分をイコールで結べたことで、自分を好きでいられていた。当時の私のつよい自己肯定感は、努力ありきだったのだ。鬱になってから、うまく努力ができなくなって以降、自己肯定感をマイナスから積み直してきたけれど、ここへきてまた、かつての自分に阻まれているように思う。人によっては、もともとすごくかしこかったり、走るのが速かったりして、努力するのとしないのとでそんなに差がなかったり、あるいは努力を努力と思わなかったりすることもあるのだろうが、私のように努力をするのとしないのとでできることに大きな差があるタイプの人は、努力をし続けるか、しないでい続けるか、どこかでギャップに苦しむか、なかなか難しい。

ここで私は、今からまたすごく努力をしてみることができるかもしれない。でも、言い訳に聞こえるかもしれないが、それをしないでも自分を許す、さらにはそういう自分も好きになれるかどうかが、そんなに高くなくてもいいから健全な自己肯定感を育むことにつながるのだろうと思う。「だらだら努力をする」「努力をしたりしなかったりする」、「努力したバージョンもしてないバージョンも自分」みたいなのが、大人なのではないか。大人というか、余裕を持って自分を愛すること、か。

でも、じゃあ今度はゆっくりでいいから10km走ってみよう、となるかと思ったけれど、その気持ちは今のところまったく湧かない。なぜかというと、走っていることに飽きるからだ。だいたい5kmも長すぎる。俳句も短いから好きなので、次出場するにしてもまた5kmがいい。次の目標を立てるとすれば、もう少したまに走るのを続けてみて、同じタイムでいいから爽やかに走りきること、くらいか。でも少しまた欲は出るから、25分ちょうどくらいを目指すか。

と、こんなことを書いていたら、本当なら走りに行こうと思っていたのに、こんな時間になってしまった。私はまず、走りに行けない自分を責めるのをやめるところから始めなければならないし、走りに行った自分を過剰に褒めるのもやめなければならない。あと、ればならない、とか言うのもやめろよ、な。もっとナチュラルに、機嫌よく、だよ。

マラソン後に、Sさんと夫と3人で食べたハンバーガーは美味しかった。あとから思えば、一緒に走ってくれる友達がいたことと、夫が応援に来てくれたのが一番嬉しかった。

2019年3月24日日曜日

2019.3.24 やってきた句会のこと

2009年3月、松山の実家に住むことにした。俳句のみんなは東京で句会やらイベントやらできるのに、自分だけが取り残されるだろうことが怖かった。松山での私を勇気付けてくれたのは、松山西中等教育学校での活動と、オンライン上の枡野浩一短歌塾だった。高校生たちに2年間、週1のペースで俳句を教え、短歌塾で出会った太田ユリに、その前から知っていた石原ユキオを紹介して、3人で「期間限定短詩系女子ユニットguca」というのをつくった。その当時黎明期にあった電子書籍をつくることにした。仕事はうまくいかなかった。

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2011年、震災後に再上京。gucaの企画で「句荘guca」という句会をやり、そのあとその名前をとって、秋から「句荘佐藤」という句会をやりはじめた。

2012年のはじめ、短歌塾で一緒だった野比さんに空き地というスペースを借りて俳句のワークショップ「ハイクラブ」を開催。その後、ハイクラブは土日に行う吟行句会、句荘は阿佐ヶ谷ユープケッチャで行う飲み句会となる。

2013年4月から、ハイクラブは東大サブ句会と合体し、ラブ句会となる。この前年に、松山で教えていた今泉礼奈が上京して大学2年生となったので、一緒にやろうという話になったため。句荘は会員制として佐藤自宅で開催するようになる。6月から、野比さんの提案で空き地句会を開始。空き地句会は初級編と中級編に分けて開催する。
句荘、年末に終了。句荘のおわかれ会の参加者は、辻一郎、後藤グミ、福田若之、篠原謙斗、白井舞、伊藤奈緒子、泉かなえ、外山一機、上田信治、佐藤文香(トオイダイスケ欠席投句)。このあと、辻さんとグミちゃん、北海道へ転居。ラブ句会も終わる。

2014年4月、森鷗外記念館の吟行イベントに来た佐藤智子を句会にスカウト。8月、空き地句会中級編を小部屋句会と名称変更、新宿に場所変更して開始。9月、空き地句会presents秋の高山俳句旅行。参加者は平岩壮悟・田中惣一郎・高瀬みつる・今泉礼奈・青木ともじ・佐藤智子と、当時まだ東京には住んでいなかった黒岩徳将、そして私。11月、中村裕・遠山陽子と、20句持ち寄る悟空句会を開始。空き地句会は12月で終了。

2015年1月、『君に目があり見開かれ』お披露目会。3月、泉かなえちゃん壮行句会。8月、朝倉彫塑館吟行。9月に森鷗外記念館の句会イベントに来た松本修が中心となって、11月から初心者向けの指導句会として鰺句会を開始。

2016年7月〜NHKカルチャー青山教室で講師をつとめる。

2017年1月から小部屋句会の会場を西日暮里に変更。4月、中村裕さんが亡くなり、悟空の会休止。8月、天の川俳句大会開催。11月、小部屋句会ふたたび新宿に。

2018年1月、走鳥堂句会@枡野書店を開始。3月、休止していた悟空の会を、鴇田智哉・福田若之・遠山陽子と再開。9月、指導句会をやめようと思い、NHKカルチャー、鰺句会を終了。10~12月、枡野書店を毎週借りて、マヌルネコ句会(3回のみの幻の句会となる)・自習室・真鯵句会も行う。小部屋句会、フルーツポンチ村上さんの取材を受ける。実験句会「虎とバター」開始。

2019年3月、走鳥堂句会終了。

現在は小部屋句会(第一木曜)・真鯵句会(第二水曜)・虎とバター(火曜)・悟空の会。週1回ペースでいきたいと思っています。今年は吟行もやるつもりです。

10年前から、いろいろ形を変えながら続いているなぁ。

2019年3月3日日曜日

2019.3.3 ずいぶんと俳句を発表してきたものだ

19歳のときに入会した里俳句会を、この3月末で退会することにした。一昨年、個人誌(同人誌)「翻車魚」をつくったので、それくらいのころからそろそろ里を卒業しよう、みたいな気持ちでなんとなく毎月投句を続けていたが、この4月からちょっと生活スタイルを変更するのにともなって、3/1に退会の旨をメールした。
奇しくもこの日、19歳からずっと聴いていたGRAPEVINEのLIVEがあり、このバンドを好きになったきっかけである「光について」がアンコール1曲目だった。今日が人生の節目だ、という気持ちになった。

「里」への投句は、入ってわりとすぐに1年くらい休んだことがあったけれども14年半くらいいたんだから、1回7句×12ヶ月×13年半=1134句、それに特集などで特別作品を出しているので1200句近くは発表している計算になる。2012年の4号から参加している「鏡」は、1回に見開きで14句とエッセイが掲載される。30号まで出ていて欠詠なしなので、ここでもすでに378句を発表したことになる。
0号と1号で終刊した大学時代の「ワセハイ」、1号2号は紙媒体、3号は「週刊俳句」に掲載させてもらった「クプラス」、これらはすぐ終わってしまったけれども思い入れがある。「里」若手による「しばかぶれ」1号2号にも参加した。現在つくっている雑誌は第2期「guca」(第1期「guca」は電子書籍で3冊と紙で1冊出して2年の活動期限を満了)と「翻車魚」、ともに2017年創刊で2号まで出ている。「guca」は作品発表の場ではないが、ほかはそれぞれ10句程度以上は掲載されている。
発表というのとは少し違うものとしては、2006年から10年ほど角川俳句賞に応募していて(落選していて)、それだけで500句ある(一部は読めます→こちら)。その他、各総合誌や新聞等の依頼で書いたものもあるが、依頼が特段多いわけではないので、そのへんはほかの人と変わらないと思う。1年に1000句くらい書いた年もあったが、ここ2年は450句くらいだ。以前に比べれば捨てる句の割合は減った。

発表数が多ければ素晴らしいというわけではない。同人誌の場合、完全に自分の判断で発表するわけで、発表後恥ずかしくなるパターンも多く、あとから黒歴史が暴かれる可能性がある。高校時代から少しのあいだ入っていた結社「櫟」にも作品が載っているし、その前でいえば雑誌ではないけれども「FAX句会 俳句の缶づめ」には中学時代の句があったりするのは恐怖だ。けれども、一旦発表したものをあとから見て恥ずかしいとわかれば句集には入れない、とフィルター代わりになるのはありがたい(私の既刊句集2冊が厳選気味な所以である)。

「里」に出した句は、〈絵心よこんにちのカレーの名店よ〉〈ドット絵のおすしのうるむ日永かな〉〈松葉松脂すぺしゃるな海を出て〉のような外部からの依頼に出せなかった妙な句が多いが、〈手紙即愛の時代の燕かな〉は、たしか初出が「里」で、それを越智友亮が見つけてきたのではなかったか。

だからどうというわけではないが、少し感慨深くなったので書いた。

2019年2月19日火曜日

2019.2.19 高校のときは一度も遊んだことのなかった友達をご飯に誘った

松山にいる。今日の午後の便で東京に帰る。

美女会メンバーが里帰り出産で松山にいるからそれにあわせて集まろう、ということで、プライベートの帰省というか旅行(実家ではなくホテルに泊まった)ではあったが、勤勉な著者なので『そんなことよりキスだった』の販促で、まちなかの書店3店舗に一人で挨拶に行った。2泊したので、夜はそれぞれ別の友達を誘ってご飯に行った。高校時代は一度も遊んだことがなかった2人だ。

1人目はピアノで音大に行きドイツに留学、帰ってきて母校の小学校で音楽を教えているMちゃん。中学、高校と一緒で、中学のときMちゃんはコーラス部のひかえめな部長だった。私は総体が終わってから臨時コーラス部員として参加して、2つの全国大会に行った。NHKの合唱コンクールの方は宿の記憶がないが、福島県に行ったとき、ホテルの部屋に大量のカメムシが出たのを思い出した。Mちゃんは、私が声が低くてCD録音のときテナーに採用されたことを覚えていてくれた。
中学時代、うちの学年にはピアノがうまい子がたくさんいて、伴奏が取り合いになるような状況だった。Mちゃんは伴奏をしなかったから、ピアノがすごくうまいとは知らなかった。おもしろい人だったが、なんとなく冷めているというか、自己顕示欲がなかった。本人も、なんで部長やったんやろねぇ、と言っていた。私はピアノは全然だめだったけれど音楽が好きだったので、合唱コンクールではいつも指揮をしていた。
6年間、Mちゃんと同じクラスになったことはないが、高校1年のときの芸術選択の音楽で、ふたりで組んで歌うという場合いつも一緒にやった。Mちゃんがソプラノ、私がアルトだった。やる気がない人と組むのを避けたい同士でちょうどよかった。
今回初めて聞いたが、Mちゃんは浪人して芸大を受験し、一次試験は通過。でも二次試験の日、会場に行かなかったという。ここで弾いたら通ってしまう、と思った、と。結局、一年目も受かっていた私立の音大に入学した。Mちゃんのお兄ちゃんはT大に行って医者になっている。たぶん、自分や親からの期待、そこでやれてしまう可能性を、その段階で断つことで、何かを守ったのだ。
飲まなかったMちゃんは、ホテルまで車に乗せてくれた。そっか、車の運転ができるんだ。できるよな。

2人目は、高校3年のとき同じクラスだったI。Iは背が高くイケメン、運動神経がよく応援団長で、勉強はしないが本は読んでおり、性格もよかった。本当は、高校時代にもっとしゃべったりしたかったが、私はあんまりイケてなかったから、仲良くなるのはためらわれた。何年か前の同窓会で会ったとき、酒の話で盛り上がったのを思い出し、今回誘ってみた。ふぐ料理の店に連れて行ってくれた。大人だ。
Iのお父さんは船員で、本だけはなんでも買ってやると言われ、意地になって本を読んだという。谷崎とか三島とかを読んでいたが、高1のときの担任(やっちん)に「君の人格形成のためにはそれを読むのは少しはやい」と言われたとか。逆に反抗のために本を読まないことを選んだ私は高2のときの担任(やっちん)に「君はまあまあよくやっている、しかし」と延々本を読まないことを詰られた(やっちんはしきりにドストエフスキーをすすめてきたが、私は読まなかったし、Iは読んでも面白くなかったと言っていた)。
Iは、中学のときまで勉強はしなくてもテストはできたようだ。高校に入ってはじめのテストで真ん中くらいで、「もう勉強をやめようと思った」。体育の推薦で行けるほどうまかったバスケも高2でやめてしまい、やる気をなくして高校もやめようと思い、親にもそう言ったという。そんなとき、のちにグループ長になるM岡に声をかけられた。今自分はこういうことをやっている、お前みたいなのは他におらん、一緒におもろいことしようや、と。「俺、今でもあいつがいたら言うもん、あんときM岡がおらんかったら高校やめとったわ、って」。知らんかったぞ、そんな青春。そうしてIは、勉強はしなかったがかっこよく卒業した。実家に、M岡とIに囲まれて嬉しそうな私の写真がある。卒業式の日に、一緒に撮ってもらったやつだ。
うちの高校は、イケてないと面白いことに参加できない空気があった。とくに女子は、ヒエラルキーがはっきりしていて、私みたいなのが空気を読まない行動に出ると牽制された。いや、いろんな面白い人がいたんだけど、それはそれぞれ何かに秀でた人たちで、「特技はないけど何か面白いことがしたい人」という自分みたいなパターンは、少し不幸だったと思う。私は俳句を選び、生徒会役員をやり、無難に勉強したけれど、本当はもっと、縦割りグループのどまんなかで、そのグループに寄与することをやりたかった。男子だったらよかったのだろうか。
でも今回、Iに「サトゥーもなんとなくこっち側の人間やと思っとったで」「(優等生ヅラしてたわりに)クズのにおいがしとった」と言われた。救われた。クズってのは、若さゆえに諸々をバカにして、不器用でアホなことをして、怒られて笑って、みたいなのを繰り返して、遠回りでどうしようもない、そういう。そういうのがやりたかった私は。
Iはディケンズが面白いと教えてくれ、「文学やる人が財布なんか出したらいかん」と、飯を奢ってくれた。

人生は、誰の思うようにもならない。親がのぞむ我が子像を裏切らないと始まらないし、誰かに必要とされることで世界が変わる。

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話がぶっ飛びますけど、近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』を読んでいたく感動したので、帰京したら片づけをして人生をときめかせる所存です。

2019年2月10日日曜日

2019.2.10 太陽肛門とKBOとスパパーン

最近ツイッターで知り合って友達になったKBOは、弁護士なんだか弁護士じゃないんだか知らないがとにかく同い年だそうで、ツイートは音楽アンド文学とかるい下ネタでできており、褒めるときは「まぢでいい」と書くので見たくもない彼のいぼ痔を想起させるが、音楽や文学に関してマニア体質でない私としては学ぶところ多そうという理由でフォローしたのだった。初めて会ったとき中古CDを3枚くれた。そのなかにエリオット・スミスの名盤 「XO」もふくまれておったのでその節は本当にありがとう。夕方から渋谷のフレッシュネスバーガーでビールを飲んだ日だ。KBOは2階席までなんどもビールを運んだ。私は腹具合がわるかった。

そのKBOが、「太陽肛門スパパーン」がいいと言っていて、それがバンド名ということは知人のインスタグラムで存じ上げておる。白いブリーフで演奏することも存じている。この「存じている」の使い方はKBOのそれだ。それはともかく太陽を図案化すればたしかにかくじつに肛門であり、さらにスパパーンだかスパパパーンだかで、ブリーフは白いわけだ。知人は音楽好きな人だからきっと聴く価値あるバンドなのだろうが聴こうと思ったことはなかった。白ブリーフの男とは付き合ったことがない。というより肛門でブリーフなのはつきすぎだ。つきすぎは俳句用語だ。

というのを頭の片隅に置くでもなく先日、拙著『そんなことよりキスだった』の書店まわりにおいて行動をともにしてくだすった営業のAさんが海外文学が好きで佐藤さんにオススメしたい本があるんです〜とふだん私ひとりでは行かないカタカナの名前の多い棚の前に連れて行ってくださりオススメしてくだすったリディア・デイヴィス『ほとんど記憶のない女』は見つからず、かわりに佐藤が目にしたものとは!!! 次回には続かず以下です。


太陽肛門。


スパパーンはついていない、すっきりとした太陽肛門である。ピュア太陽肛門。

それは書名だった。
作者名、ジョルジュ・バタイユ。

バタイユといえばかしこい私の友人たちがちょくちょく話題にするたぶん偉大な人である。ということはだな、あの白いブリーフの彼らというのは。バタイユの引用というかオマージュというか本歌取り的なアレということなわけなわけか。すっかり見直したぜブリーフ兄さん。といっても佐藤文香はまだ「太陽肛門スパパーン」を聴いたことがなく、もちろんバタイユは読んだことがない。

というのをだな、KBOに話したわけ。話したってかLINEね。そしたらひどいんですのよ奥さん、画面のあちらであの方大爆笑ですのよ。「佐藤文香、バタイユ知らなかった これツイートしていい?w」そんなの、ツイートしていいに決まってるだろうが。ツイートしてもいいけどツイートされるくらいならブログに書くわ。というわけで書いたわ。正確に言えばバタイユは知っていた。名前だけな。

ほいで、太陽肛門スパパーンの方は聴いた。さぞかし文学的?哲学的?なのだろうと思いましたのでね、夫と一緒にリビングでね。「むさし〜こーがねいのえきに〜〜(「哀愁グッドバイ」)」で、お、いいやん、と思ったのもつかの間、「女子高生組曲」のはじめの語りで驚きましたよね。「女子高生は!オ○ニーが!好き!」

あわてて言い訳というかこの経緯、夫に話したところ、おもむろにリビングの本棚から『現代思想の冒険者たち11 バタイユ 消尽』(講談社)を手に取り、ぱらぱらとめくって「これだね」と指差してくれました。『太陽肛門』。嗚呼、やさしくてかしこい素敵な夫。私も読めるかな、太陽肛門。

2019年2月8日金曜日

2019.2.8 日差しと風、ヒヤシンス

少しあたたかいように感じたので、3つの部屋の窓を開けた。北にある夫の部屋の窓から、南にある寝室とリビングの、ベランダへ出ることのできる2つの窓にむけて風が流れた。
昨日洗濯物を取り込み忘れていたことに気づいて、ベランダに出た。洗濯物を取り込んで部屋に戻ろうとすると、レースカーテンが大きくベランダにふくらんでいた。網戸を閉め忘れていたな。
部屋に入ろうとレースカーテンをかきわけたとき、ヒヤシンスの香りがした。わが家の北からきた風が、リビングに満ちたヒヤシンスの香りをわが家の南に運ぼうとしている。
洗濯物をとりあえずダイニングテーブルに重ね上げたころには、すでに部屋は北風に冷えていた。朝の日差しの色にだまされたらしい。そういえば明日は雪も降るという。

薄曇りの午前。出窓のヒヤシンスは光に向かって斜めに咲いてしまったので、昨日わざと部屋の方向にあたまが向くように置きなおした。球根用の花瓶の代わりに丸いグラス、9割まで水を入れて縁に割り箸二本を渡し、その上にお神輿のように球根を置き、二本の箸の両端に輪ゴムをかけてある。さらに、重さで片方に倒れそうなので、そちら側の箸とグラスの間にキッチンペーパーをくしゃっと詰めてある。
透明なグラスにはリラックマのかんたんな顔が白で描かれており、水のなかを上から下へ伸びるヒヤシンスの白い根の束が、クマの顔の内部へ奇妙な柄を施している。彼にあとから与えられた脳みその配線すべてが、スケルトンな顔面を通過しているようだ。脳みそは、あおく咲いている。

レースカーテンの色が一段変わった。ふたたびの日差しである。

2019年2月4日月曜日

2019.2.4 親父のウコン乾燥機

年始、香川の叔父叔母の家に遊びに行った。叔母というのがうちの父の妹だ。
元体育教師の叔父、「最近は飛っびょんよ」というので何かと思ったら退職してパラグライダーを始めたらしい。

叔父に誰かから電話がかかってきて、電話を切った途端、「今週末スキー行くことになったわ」と言う。「スキーは前からやっりょんですか」と聞くと「平成十七年にな、」と話が始まった。

「納屋が燃えたんよ。スキーの板やら一式全部燃えてしもたん」

「え、それって何が原因やったんですか」

「思うに、親父のウコン乾燥機や」

どうやらウコン乾燥機が発熱したかなんかで火が出て納屋が焼けたらしい。その後スキー用具を買い直し、またスキーをやるようになった、という話だったんだが、私は「親父のウコン乾燥機」という単語に釘付けで、スキーのことはどうでもよくなった。

ウコンはじぶんちで育てるものなのか。ウコンはじぶんちで乾燥させるものなのか。そのウコンはどうするのか。売るのか。粉末にして家で飲むのか。ちゃんと聞けばよかった。

2019年1月24日木曜日

2019.1.24 こんにゃくを料理するときに思い出すこと

去年の最後、日記をつけないまま1ヶ月が経過してしまい、もはやどんなことがあったかは忘却の彼方。noteを始めて、それはそれでいいのだけど、なんとなくBloggerも捨てがたく、何をどっちで書くのがいいか考えていたら時間が経ってしまった。

note

これまで毎日のことをなんとなく書いていたのだけど、とくにそのあと必要になるわけではないので、これからはもっとあとからつかえるもの(加筆訂正してエッセイ集にするだとか)にしていきたい。と思って、最近はエッセイのネタになりそうなことがあるとメモ帳に書くようにしている。
ただ、そのときけっこう面白いと思っても、あとから見るとそうでもないことってありますよね。すぐにエッセイにすれば面白くなるんだろうか。

具体的には、「こんにゃくを料理するときに思い出すこと」みたいなメモがあるわけです。試しに書いてみます。

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こんにゃくは最近までこわくて使えなかった。だいたい、下ごしらえのいる食材はこわいと思っていた。どうも、洗えばいいだけ、というのがあっておそるおそる買うようになり、思ったよりくさいことに驚いたり、炒めてみたら泡が出てきてビビったりしたが、熱湯をかけて適当に切って煮る、ということにしたら抵抗がなくなった。

そこで思い出したのは、いや、思い出しきれてないのだけど、小学生のときの「●年の科学」だったかあるいは中学生になってからのベネッセの付録だったか、都道府県の特産品をモチーフにした短い推理小説集みたいなものの存在だ。別に読み物として面白いわけではなかったのだが、社会の勉強にそういう冊子というのがめずらしく、通読した。今思えば、クオリティはともかく、47都道府県で1話ずつ推理もの、というのは、おそらく外部に委託して書いてもらったのだろうが、けっこう大変だったんじゃないかと思う。

そのなかの群馬県の話。
工事現場で働く男が、転落死した。事故に見えたが、調べると栄養失調。妻が毎日のご飯や弁当にこんにゃくを大量に仕込んでいたのが理由で、妻が犯人、というものだった。せっかくの特産品なのに、こんにゃくの栄養価の低さが殺人に使われるという酷さ。ほかの県の話はまったく覚えていないが、これだけは今でも覚えている。

妻として台所に立つようになった今、夫の体重管理はある程度わたしの仕事だが、とはいえこんにゃくの食わせすぎには注意せねばならない、と、毎度こんにゃくに湯をかけながら思うのである。

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うーん、書きようによってはもう少し面白くなるのかもしれないが、いまいち「スベらない話」とはならない。果たして需要はあるのか。
まぁでも、10回に1回くらいは面白いものも書けるかもしれないので、これからも思いついたら書いてみます。