2019年2月19日火曜日

2019.2.19 高校のときは一度も遊んだことのなかった友達をご飯に誘った

松山にいる。今日の午後の便で東京に帰る。

美女会メンバーが里帰り出産で松山にいるからそれにあわせて集まろう、ということで、プライベートの帰省というか旅行(実家ではなくホテルに泊まった)ではあったが、勤勉な著者なので『そんなことよりキスだった』の販促で、まちなかの書店3店舗に一人で挨拶に行った。2泊したので、夜はそれぞれ別の友達を誘ってご飯に行った。高校時代は一度も遊んだことがなかった2人だ。

1人目はピアノで音大に行きドイツに留学、帰ってきて母校の小学校で音楽を教えているMちゃん。中学、高校と一緒で、中学のときMちゃんはコーラス部のひかえめな部長だった。私は総体が終わってから臨時コーラス部員として参加して、2つの全国大会に行った。NHKの合唱コンクールの方は宿の記憶がないが、福島県に行ったとき、ホテルの部屋に大量のカメムシが出たのを思い出した。Mちゃんは、私が声が低くてCD録音のときテナーに採用されたことを覚えていてくれた。
中学時代、うちの学年にはピアノがうまい子がたくさんいて、伴奏が取り合いになるような状況だった。Mちゃんは伴奏をしなかったから、ピアノがすごくうまいとは知らなかった。おもしろい人だったが、なんとなく冷めているというか、自己顕示欲がなかった。本人も、なんで部長やったんやろねぇ、と言っていた。私はピアノは全然だめだったけれど音楽が好きだったので、合唱コンクールではいつも指揮をしていた。
6年間、Mちゃんと同じクラスになったことはないが、高校1年のときの芸術選択の音楽で、ふたりで組んで歌うという場合いつも一緒にやった。Mちゃんがソプラノ、私がアルトだった。やる気がない人と組むのを避けたい同士でちょうどよかった。
今回初めて聞いたが、Mちゃんは浪人して芸大を受験し、一次試験は通過。でも二次試験の日、会場に行かなかったという。ここで弾いたら通ってしまう、と思った、と。結局、一年目も受かっていた私立の音大に入学した。Mちゃんのお兄ちゃんはT大に行って医者になっている。たぶん、自分や親からの期待、そこでやれてしまう可能性を、その段階で断つことで、何かを守ったのだ。
飲まなかったMちゃんは、ホテルまで車に乗せてくれた。そっか、車の運転ができるんだ。できるよな。

2人目は、高校3年のとき同じクラスだったI。Iは背が高くイケメン、運動神経がよく応援団長で、勉強はしないが本は読んでおり、性格もよかった。本当は、高校時代にもっとしゃべったりしたかったが、私はあんまりイケてなかったから、仲良くなるのはためらわれた。何年か前の同窓会で会ったとき、酒の話で盛り上がったのを思い出し、今回誘ってみた。ふぐ料理の店に連れて行ってくれた。大人だ。
Iのお父さんは船員で、本だけはなんでも買ってやると言われ、意地になって本を読んだという。谷崎とか三島とかを読んでいたが、高1のときの担任(やっちん)に「君の人格形成のためにはそれを読むのは少しはやい」と言われたとか。逆に反抗のために本を読まないことを選んだ私は高2のときの担任(やっちん)に「君はまあまあよくやっている、しかし」と延々本を読まないことを詰られた(やっちんはしきりにドストエフスキーをすすめてきたが、私は読まなかったし、Iは読んでも面白くなかったと言っていた)。
Iは、中学のときまで勉強はしなくてもテストはできたようだ。高校に入ってはじめのテストで真ん中くらいで、「もう勉強をやめようと思った」。体育の推薦で行けるほどうまかったバスケも高2でやめてしまい、やる気をなくして高校もやめようと思い、親にもそう言ったという。そんなとき、のちにグループ長になるM岡に声をかけられた。今自分はこういうことをやっている、お前みたいなのは他におらん、一緒におもろいことしようや、と。「俺、今でもあいつがいたら言うもん、あんときM岡がおらんかったら高校やめとったわ、って」。知らんかったぞ、そんな青春。そうしてIは、勉強はしなかったがかっこよく卒業した。実家に、M岡とIに囲まれて嬉しそうな私の写真がある。卒業式の日に、一緒に撮ってもらったやつだ。
うちの高校は、イケてないと面白いことに参加できない空気があった。とくに女子は、ヒエラルキーがはっきりしていて、私みたいなのが空気を読まない行動に出ると牽制された。いや、いろんな面白い人がいたんだけど、それはそれぞれ何かに秀でた人たちで、「特技はないけど何か面白いことがしたい人」という自分みたいなパターンは、少し不幸だったと思う。私は俳句を選び、生徒会役員をやり、無難に勉強したけれど、本当はもっと、縦割りグループのどまんなかで、そのグループに寄与することをやりたかった。男子だったらよかったのだろうか。
でも今回、Iに「サトゥーもなんとなくこっち側の人間やと思っとったで」「(優等生ヅラしてたわりに)クズのにおいがしとった」と言われた。救われた。クズってのは、若さゆえに諸々をバカにして、不器用でアホなことをして、怒られて笑って、みたいなのを繰り返して、遠回りでどうしようもない、そういう。そういうのがやりたかった私は。
Iはディケンズが面白いと教えてくれ、「文学やる人が財布なんか出したらいかん」と、飯を奢ってくれた。

人生は、誰の思うようにもならない。親がのぞむ我が子像を裏切らないと始まらないし、誰かに必要とされることで世界が変わる。

**

話がぶっ飛びますけど、近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』を読んでいたく感動したので、帰京したら片づけをして人生をときめかせる所存です。

2019年2月10日日曜日

2019.2.10 太陽肛門とKBOとスパパーン

最近ツイッターで知り合って友達になったKBOは、弁護士なんだか弁護士じゃないんだか知らないがとにかく同い年だそうで、ツイートは音楽アンド文学とかるい下ネタでできており、褒めるときは「まぢでいい」と書くので見たくもない彼のいぼ痔を想起させるが、音楽や文学に関してマニア体質でない私としては学ぶところ多そうという理由でフォローしたのだった。初めて会ったとき中古CDを3枚くれた。そのなかにエリオット・スミスの名盤 「XO」もふくまれておったのでその節は本当にありがとう。夕方から渋谷のフレッシュネスバーガーでビールを飲んだ日だ。KBOは2階席までなんどもビールを運んだ。私は腹具合がわるかった。

そのKBOが、「太陽肛門スパパーン」がいいと言っていて、それがバンド名ということは知人のインスタグラムで存じ上げておる。白いブリーフで演奏することも存じている。この「存じている」の使い方はKBOのそれだ。それはともかく太陽を図案化すればたしかにかくじつに肛門であり、さらにスパパーンだかスパパパーンだかで、ブリーフは白いわけだ。知人は音楽好きな人だからきっと聴く価値あるバンドなのだろうが聴こうと思ったことはなかった。白ブリーフの男とは付き合ったことがない。というより肛門でブリーフなのはつきすぎだ。つきすぎは俳句用語だ。

というのを頭の片隅に置くでもなく先日、拙著『そんなことよりキスだった』の書店まわりにおいて行動をともにしてくだすった営業のAさんが海外文学が好きで佐藤さんにオススメしたい本があるんです〜とふだん私ひとりでは行かないカタカナの名前の多い棚の前に連れて行ってくださりオススメしてくだすったリディア・デイヴィス『ほとんど記憶のない女』は見つからず、かわりに佐藤が目にしたものとは!!! 次回には続かず以下です。


太陽肛門。


スパパーンはついていない、すっきりとした太陽肛門である。ピュア太陽肛門。

それは書名だった。
作者名、ジョルジュ・バタイユ。

バタイユといえばかしこい私の友人たちがちょくちょく話題にするたぶん偉大な人である。ということはだな、あの白いブリーフの彼らというのは。バタイユの引用というかオマージュというか本歌取り的なアレということなわけなわけか。すっかり見直したぜブリーフ兄さん。といっても佐藤文香はまだ「太陽肛門スパパーン」を聴いたことがなく、もちろんバタイユは読んだことがない。

というのをだな、KBOに話したわけ。話したってかLINEね。そしたらひどいんですのよ奥さん、画面のあちらであの方大爆笑ですのよ。「佐藤文香、バタイユ知らなかった これツイートしていい?w」そんなの、ツイートしていいに決まってるだろうが。ツイートしてもいいけどツイートされるくらいならブログに書くわ。というわけで書いたわ。正確に言えばバタイユは知っていた。名前だけな。

ほいで、太陽肛門スパパーンの方は聴いた。さぞかし文学的?哲学的?なのだろうと思いましたのでね、夫と一緒にリビングでね。「むさし〜こーがねいのえきに〜〜(「哀愁グッドバイ」)」で、お、いいやん、と思ったのもつかの間、「女子高生組曲」のはじめの語りで驚きましたよね。「女子高生は!オ○ニーが!好き!」

あわてて言い訳というかこの経緯、夫に話したところ、おもむろにリビングの本棚から『現代思想の冒険者たち11 バタイユ 消尽』(講談社)を手に取り、ぱらぱらとめくって「これだね」と指差してくれました。『太陽肛門』。嗚呼、やさしくてかしこい素敵な夫。私も読めるかな、太陽肛門。

2019年2月8日金曜日

2019.2.8 日差しと風、ヒヤシンス

少しあたたかいように感じたので、3つの部屋の窓を開けた。北にある夫の部屋の窓から、南にある寝室とリビングの、ベランダへ出ることのできる2つの窓にむけて風が流れた。
昨日洗濯物を取り込み忘れていたことに気づいて、ベランダに出た。洗濯物を取り込んで部屋に戻ろうとすると、レースカーテンが大きくベランダにふくらんでいた。網戸を閉め忘れていたな。
部屋に入ろうとレースカーテンをかきわけたとき、ヒヤシンスの香りがした。わが家の北からきた風が、リビングに満ちたヒヤシンスの香りをわが家の南に運ぼうとしている。
洗濯物をとりあえずダイニングテーブルに重ね上げたころには、すでに部屋は北風に冷えていた。朝の日差しの色にだまされたらしい。そういえば明日は雪も降るという。

薄曇りの午前。出窓のヒヤシンスは光に向かって斜めに咲いてしまったので、昨日わざと部屋の方向にあたまが向くように置きなおした。球根用の花瓶の代わりに丸いグラス、9割まで水を入れて縁に割り箸二本を渡し、その上にお神輿のように球根を置き、二本の箸の両端に輪ゴムをかけてある。さらに、重さで片方に倒れそうなので、そちら側の箸とグラスの間にキッチンペーパーをくしゃっと詰めてある。
透明なグラスにはリラックマのかんたんな顔が白で描かれており、水のなかを上から下へ伸びるヒヤシンスの白い根の束が、クマの顔の内部へ奇妙な柄を施している。彼にあとから与えられた脳みその配線すべてが、スケルトンな顔面を通過しているようだ。脳みそは、あおく咲いている。

レースカーテンの色が一段変わった。ふたたびの日差しである。

2019年2月4日月曜日

2019.2.4 親父のウコン乾燥機

年始、香川の叔父叔母の家に遊びに行った。叔母というのがうちの父の妹だ。
元体育教師の叔父、「最近は飛っびょんよ」というので何かと思ったら退職してパラグライダーを始めたらしい。

叔父に誰かから電話がかかってきて、電話を切った途端、「今週末スキー行くことになったわ」と言う。「スキーは前からやっりょんですか」と聞くと「平成十七年にな、」と話が始まった。

「納屋が燃えたんよ。スキーの板やら一式全部燃えてしもたん」

「え、それって何が原因やったんですか」

「思うに、親父のウコン乾燥機や」

どうやらウコン乾燥機が発熱したかなんかで火が出て納屋が焼けたらしい。その後スキー用具を買い直し、またスキーをやるようになった、という話だったんだが、私は「親父のウコン乾燥機」という単語に釘付けで、スキーのことはどうでもよくなった。

ウコンはじぶんちで育てるものなのか。ウコンはじぶんちで乾燥させるものなのか。そのウコンはどうするのか。売るのか。粉末にして家で飲むのか。ちゃんと聞けばよかった。