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2024年11月20日水曜日

2024.11.20 『君に目があり見開かれ』の、10年後

この前、カラオケに行った。句会後の、飲み会のあとだ。
鴇田さんと若くんと私で、だ。

福田若之とは2011年『俳コレ』で私が福田若之100句の小論を書くときに親しくなった。就活に失敗したまま大学を出た私は、どうにか第一句集『海藻標本』を出し、その1年は東京で粘ったが、その後2年間松山に帰り、とくにあてもないのにまた東京に出直してきた。それが2011年である。当時私が住んでいた笹塚の1Kのアパートで、生駒大祐と3人で遊んだ日の写真には、折り畳みのすのこベッドが写っている。狭かったが友達は呼べるようにしたかったから、普通のベッドを置かなかったのだ。この写真はお気に入りに入れていて、今でもたまに見る。

その後少し高円寺に住んだ。第一期guca時代。死んだゴキブリの処理ができず、雪舟さんが我が家に駆けつけてくれたのもいい思い出だ。このとき夢を語った太田ユリは左右社でどんどん夢を叶えている。雪舟えま『地球の恋人たちの朝食』、ついに書籍化。『**のうた』シリーズ、いいですよね。

10年前の2014年11月20日、第二句集『君に目があり見開かれ』が出た。

 手紙即愛の時代の燕かな
 歩く鳥世界にはよろこびがある
 風はもう冷たくない乾いてもいない
 冬晴れて君宛の手紙はすべて君に
 また美術館行かうまた蝶と蝶

そのころの私は、中野新橋のマンションに、自分より5〜10歳若い友達を呼んでは句会や鍋パーティーのようなことをして、元気を出していた。毎回写真を撮った、それらもお気に入りに入れてたまに見ている。飛騨高山に旅行に行ったのも懐かしい。そのとき一緒に行った黒岩徳将の第一句集『渦』が今年出た。青木ともじの第一句集『みなみのうを座』が、もうすぐ発売になる。一方で自分と同年代の人たちは、とっくにちゃんと社会人をやっていた。

鴇田智哉第二句集『凧と円柱』が出たのも2014年だった。田中裕明賞は誰がどう考えても『凧と円柱』だと思っていたが、蓋を開けてみると小川軽舟・岸本尚毅のイチオシは『君に目』で驚いた。あれはありがたいことだった。もしあのとき、この句集が完全に無視されていたら、私は俳句から離れていたかもしれない。自分にとって面白かった『凧と円柱』がちゃんと田中裕明賞を受賞したことも、よかった。

2014年、私は29歳だった。
俳句を書くこと、人を好きになること、酒を飲むことしかできなかった20代だった。

今もあまり変わっていないけれど、最近は、自由詩を書くことを覚えた。

若くんが「secret base〜君がくれたもの」を入れたから、私も歌った。
ハモりもしたが、ユニゾンのサビこそ素晴らしいのだ、この曲は。

君と夏の終わり 将来の夢 大きな希望 忘れない
10年後の8月 また出会えるのを信じて
最高の思い出を         
ZONE「secret base〜君がくれたもの」


 冬木立しんじれば日のやはらかさ   『君に目があり見開かれ』




2023年12月26日火曜日

第四句集『こゑは消えるのに』(港の人)のことと、写真展のおしらせ

集大成などと謳ってもみた『菊は雪』から2年半でもう次の句集を出すというのは、満を持しての刊行が通例の俳句世界において顰蹙を買うのは想定の範囲内だが、それでも刊行するに至ったのは出さないといけない個人的な事情があったためで、ここではそれについて少し書く。

本当は、アメリカでの言葉に関する経験についてのエッセイ集をつくる予定だった。それにあわせてアメリカの句をまとめて句集をつくろうと思っていた。構想の時点ではエッセイ集の付録か、間奏句集でいいと思っていた。が、結果として、エッセイ集はギブアップし、小さいながらも単行本の序数句集だけが完成した。

エッセイ集が出なかった理由はいくつかあるが、一番の原因は、文章が全然おもしろくならなかったことだ。アメリカにいた一年のうち半分くらいの時間は鬱だったのでいろいろ思い出すことが辛く、おもしろかった部分だけを抽出するには誇張するか虚構にするしかなく、自分にはそれができる技量がなかった。

一方、俳句は既に書けていた。 苦しい日々であっても、〆切さえあれば俳句は書ける。書いてきた。パターンで書ける俳句や敗戦日、という句を書いたのは誰だったか、いやはやパターン様々である(もっとも自分は内容に更新があれば書き方に旧来のパターンを用いることに抵抗はない)。海外詠の前例はいくらでもあるが、佐藤文香の海外居住詠には前例がないから、佐藤の句の第一読者である自分は、作品が記録以上の価値を少しでも持ちさえすれば悪くないと思えた。

句集の編集はすぐだった。今回はたった一年間の作品のまとめで、料理でいえば「さっと煮」的な趣を大切にしたかったため、無闇に厳選したり推敲を重ねる必要がなかった。少し気を配ったのは、刊行後日の浅い第三句集『菊は雪』の続きものとして読めるよう仕立てること、同じ版元から出版した第二句集『君に目があり見開かれ』とセットにも見えるような仕掛けを用意すること、くらいだろうか。
  

相変わらずデザインの評判がいいのはデザイナーの吉岡秀典さんにほとんどお任せしているからで、今回の要望は「アメリカ風でなくアメリカにしてください」のみ。 ジャケ買いして読まなくても価値はあると思うが、中身も少しは見てもらえるとありがたい。章タイトルの英語の監修は詩人で翻訳者のWeijia Panさんにお願いした。アメリカで得た素晴らしい友人の一人だ。

そうそう、住んでいたところの雰囲気の参考に、とデザイン打ち合わせに一応持参した写真をずいぶん使ってもらうことになり、これはなかなか嬉しかった。表紙の写真も私が撮ったもの。

嬉しいついでに、小さな写真展をやることにした。

2024年2月2日(金)〜2月12日(月・祝)


















会場のmonogramという写真屋さんでは、幼稚園・小学校の同級生である東尚代が店長をやっている。今回、展示のほとんどを彼女に任せるつもりだ。

長く生きているといろいろなことが起こる。生きて帰ってきたのだから、何をやってもいい。

アメリカから帰ってきて、また日本で1年と少し生きることができた。いろんなところへ行き、好きな人と会えて、2023年は本当にいい1年だった。句集はできてよかった。詩集もできてよかった。おやすみ短歌も。



みなさん、あたたかくして、よい年末年始を。

2021年12月30日木曜日

2021.12.30  2021年回顧『菊は雪』とその後のこと

2021.12.30 ふつうの年間回顧(壁新聞的な)

自分を女だと信じるかはさておき、さらに厄年とかいうのも信じるかはさておき、女には本厄が男より1回多くしかも32歳(大厄)・36歳(小厄)と30代に2度あって、そのあたりはお産や子育てなど大変な時期、ということなのかもしれないがうちに子供ができる気配は一切なく、ただし私は32歳で『天の川銀河発電所』と結婚、今年36歳で『菊は雪』と渡米、ということになったので、厄や女などというのも、残念ながら自分に関していえば信じるに値する。

2020年晩秋の時点で、春の渡米も難しかろうから今句集をつくるしかない、とジャッジした自分の正しさ以外を褒めるのはただの自己愛であるから、ここではその点のみを取り上げようと思ったが、それはよく考えたら2021年回顧ではない(2020年だ)。とすればやはりご自愛ご慰労するか/しないかしかない。だいたい回顧記事などというのは人様に見せるべきものではなく、おうちで壁新聞にでもして貼り付けて楽しむのがよい。とすればここからはBerkeleyのぼろアパートの白く塗り込められた壁面。わざわざいらしてくださったあなたにのみお見せするのがよかろう。

 *

2020年末から始まったプロジェクト『菊は雪』。
第一句集、第二句集で句集づくりというものは経験しており、最近では人様の句集をお手伝いさせてもらったりしているものだから、自分ができる範囲というのはたかが知れていて、自分の一冊で自分を驚かせるには自分だけでは力不足だという自覚があった。

相棒として、すでに仕事をともにしていたデザイナーの佐野裕哉を選んだ。というより、佐野に自分の本をつくらせてみたいというのが、句集制作の大きな動機だった。彼のデザインの精緻さ美しさは知っていて、正直、雑多でだらしのない私には似合わないと思っていたが、話してみると佐野裕哉という人の面白さは、デザイン素人の私が彼の作品から感得できる以外のところにも多くあり、佐野がどう思っているかは知らないが私としては気の合う人、結果としてコロナ禍において家族以外でもっともよく話した相手となった。私はデザインのみならず音楽や絵、詩などいろいろなことを彼に教わったし、素直に美しいものを好きだと言っていいということにも気がついた。

あとは句集巻末の「菊雪日記」に書いたとおりで、こちらからデザインの指示は出さず(「大きい本がいい」「女らしくなく」程度)、佐野が作品を読み、意図を聞き出し提案をくれ、それにしたがって私は作品を組み、お金を出し、予算ははみ出したが、彼が思うようにつくってくれた(ちなみにこの本は少し負担を軽くしてもらった自費出版、である)。しっかり日記を読んでくださった読者のために日記の続きを少し書くならば、「私が数度にわたって輸送した折鶴は、結局、どこにも使われなかった。かくして裏表紙に、箔の折鶴だけが残った」。

「俳句年鑑 2022年版」での加藤かな文氏による「多様な俳句に目が眩む。ここでいう多様とは、自然界の雑多ではなく、たとえばアマゾン倉庫の整然とした過剰」との『菊は雪』評の、「整然」が可能になったのも、エディトリアルデザインを得意とする佐野のおかげとしか言いようがない。

こういった随分なわがままを許容し、販売可能な方向に導いてくれたのが編集者の筒井菜央だ。内容についてはほとんど自分で編集したけれども、筒井のバランス感覚なしには、全国に流通するかたちでの刊行はできなかった。「ダ・ヴィンチ」2022年1月号「あのデザイナーが選ぶグッドルッキング本」で水戸部功氏が『菊は雪』を挙げてくださり、「著者の装丁者への信頼は言わずもがな、版元の理解もなければ成し得ない、幸福な本」と評してくださったのは、まったくそのとおりである。

このあたりでようやく今年の自分を褒めておくなら、他者の能力を信じきることができる、それがちゃんとかたちになった、といったところだろうか。半年以上にわたる夢のプロジェクトは、6月末に完遂できた。


『菊は雪』のあと、『遠山陽子俳句集成』(素粒社)と遠山陽子著『三橋敏雄を読む』(私家版)、そして佐藤智子第一句集『ぜんぶ残して湖へ』(左右社)の手伝いをした。すべてデザインは佐野による。
仕事とは別に名刺もデザインしてもらった。美しかった。webサイトをつくれつくれと言った。さっき見たらできていた。→こちら

『遠山陽子俳句集成』については、私がやったのは作品と初句の打ち込み程度で、編集は素粒社の北野さんである。行き届いたいい一冊になった。私は素晴らしいデザイナーを連れてきた、と褒めてもらってしまって恐縮している。その付録的に個人誌への連載を加筆修正した『三橋敏雄を読む』、こちらは私家版とはいえ編集者ナシで一冊をつくることになったため、佐野との共同作業が続いた。私が素人であるせいでレイアウトを数度組み直してもらったり、旧漢字を作字してもらったり、校正にも随分対応してもらったし、さらには入稿など印刷会社とのやりとりまで佐野に任せた。天才デザイナーの使い道としては間違っているが、まぁしょうがない。ちょうど渡米前後のタイミングだった。出国直前に、鮨はおごっておいた。以前、太田うさぎさんがおごってくれたうまい店で。そういえば、太田うさぎ句集『また明日』(左右社)が、「菊は雪」チームでのはじめての仕事だ。

佐藤智子『ぜんぶ残して湖へ』のデザインは、もともと佐野に決まっていた。編集は筒井。これも「菊は雪」チームである。こちらも出国数週間前の打ち合わせ、ここで私は栞文を頼まれたのだけれど、たとえば一言くらいのものにして、デザインでどうにかならないか、などと言っていた。
その夜。智子さんこんな句もいいんだよねーなどと佐野とだらだら通話しながら、佐藤智子作品をあらためて見直していた。そして翌朝、一気に栞文を書いた。書けた。その文章に引用した〈紙詰まり直しにすぐに春の指〉という句から、あの栞のデザインが生まれたらしい。わざとズラして折るのは金がかかるそうで、筒井&智子さんですべての栞を折ったそうだ。アメリカにいて作業に加われなかったのが残念だった。


と、ここまでが今年の大きな仕事だった。壁新聞をお見せしたというより、昔の話を聞いてもらった気分だ。
佐野さん、今後忙しくなっても、仕事を頼めば引き受けてくれるといいなと思う。
私自身が今後また本を出すことがあるかはわからないが。

『菊は雪』は、私の人生最後の一冊でもいい。
刊行から半年が経った。

2021年8月1日日曜日

2021.8.1 『菊は雪』ツアー

7月下旬に博多と長崎、大阪に行ってまいりました。句集出版後だったので、自分としては『菊は雪』ツアーと銘打っての旅行だったのですが、こんな時期なのでトークイベントなどをするでもなく、本屋さんへのご挨拶および最低限会いたい人に会うというだけのささやかなものでした。

旅行前の時点でワクチンは1度目を接種しており、直前数日も人と会う機会は最低限に減らした上で出発。帰京後1週間経過し、自分もお会いした方も罹患していないことを確認したので記録として残します。延期しなかった理由はこちら


 


博多を訪れたのは初めてでした。ジュンク堂書店福岡店では、担当の松岡さんがwebちくまの連載「ネオ歳時記」を読んでくださっていて盛り上がり(ナマエミョウジさんのファン!)、本のあるところajiroでは、店長の坂脇さんだけでなく書肆侃侃房の田島社長ともご挨拶できました。

大阪ではまず、紀伊國屋書店梅田本店さんと梅田蔦屋書店さんにご挨拶しました。 

紀伊国屋書店梅田本店

紀伊国屋書店梅田本店

梅田の蔦屋書店さんでは『天の川銀河発電所』のサイン本もつくりました。


最終日は葉ね文庫にてサイン会。お久しぶりの方や会ってみたかった方と会えてよかったです。


本当はもっといろんな思い出があるのですが、それはまた別の機会に。

旅の作品はこちらでお読みいただけます。

→翻車魚ウェブ 028*2021.8 佐藤文香「夏一覧」 
長崎4句+大阪1日目2句+2日目4句=計10句。

 

2021年6月3日木曜日

2021.6.3 第三句集が出ます

昭和60年6月3日生まれなので、令和3年6月3日で36歳になりました。令和3年6月30日に第3句集を刊行予定です。

『菊は雪』という本です。
 





















ずっと、俳句のことを考えてきました。

今までお世話になったみなさんへ感謝の気持ちを込めて、これからお会いするみなさんへのご挨拶としても。
お手にとっていただけると嬉しいです。

流通の都合で、Amazon発売日は7月7日の予定、重陽の一つ前の節句、七夕です。
書店搬入は6/30からとなります。
内容については、また。

2017年7月18日火曜日

2017.7.18 小津夜景『フラワーズ・カンフー』イベント「悦子の部屋」のことや極私的なこと

7/14
タリーズで仕事をしてから美容室へ行って、カットとカラーをしながらメールで連絡をし続ける。結婚パーティーのヘア打ち合わせ。その後左右社へ行って19時から23時まで校正。終わって一杯飲もうと思ったらどの店も23時半閉店で、仕方なくカレーうどん屋でビールとカレーうどん。なかなかうまかった。

7/15
夫とデートでB&Bで小津夜景さんと関悦史さんのイベント。小津さんの「日本語の縦書きは転ぶもの」「屹立だけが価値ではない」というあたり、まずなるほどと思った。「20代までは屹立が許される年齢」とも。かといってふわふわしていることが本意ではない、と。
以下ざっくり。

・散文とあわせた俳句を応募するときにこわいと思ったのは前衛と思われることだったが、韻文とのはじめての出会いは「伊勢物語」「奥の細道」だったことから、散文と俳句を入れてもおかしくないと思った
・句集は編年体も考えたが、自己模倣を避けるために内容が要請する句(連作的なもの)にした
・1ページを1小節として俳句を組んだ
・「サビ頭から始まったら10年後恥ずかしい」と柳本々々さんに言われて、「ぷろぺら」の句から始めるのをやめた
・母音は普通にしてたら揃ってしまうが子音は痕跡として体に残る
・句集のなかにB級的なものがないとやってられない(これは先日夏井いつきさんとの対談で関さんも似たことを言っていた)
・ふだんフランス語のなかにいるからわからない言語(俳句)のなかでゆったりしていられる

飲み会まで混ぜてもらった。夫も来た。おじいちゃんの家のような飲み屋で、自家製梅酒の漬かった梅がうまかった。小津さんに最後セクハラをしてしまったのを後悔している。

7/16
夫とだらだら過ごした。結婚パーティーの景品を買いに行き、名札をつくり、タイムテーブルを考え、自己紹介文をつくった。いい部屋を見つけたので不動産屋に問い合わせた。

7/17
「つぶや句575」のため松山へ。今回のゲストはミュージシャンの関取花さん。事前に小西アナから「きっと佐藤さんと関取さんは話が合うと思います!」と言っていただいていたのをいいことに、楽屋に少しお邪魔してお話もした。

7/18
今から帰京。そのまま不動産屋に行って家を見にいき、左右社に寄ってから柏に帰る予定。

2017年3月1日水曜日

2017.3.1 3月になったこと、岡村知昭『然るべく』(人間社)より8句

3月になった。最近は調子の悪い日が続いて辛い。どうにか気分を上げて仕事をして、仕事が終わるとまた調子が悪い。耐えるしかない。

季節的な問題と環境の変化、仕事の局面など、今たまたま調子が悪い時期なのだ、この10年の調子の悪かった局面を考えればだいぶマシになっているじゃないか、と俯瞰して考えれば多少楽になるものの、なかなかふだんの値がマイナスから浮上しないので吠えたりしながら耐えている。

尾形亀之助は読まねばと前から思っていてようやく買えてよかった。俳句書いている若い人にはぜひ読んでほしい。

話は変わって、岡村知昭『然るべく』(人間社)より8句。

うつむくやチューリップ農協に咲く
軽症の父を擁する田植かな
初鰹この人握手会帰り
しろき蛾よ幕府よみがえらぬすぐには
眉剃ってひよこめぐりのみんなかな
銃後ではあたまがよくてバター買う
梅擬ひなたはなにもしておらぬ
晩鐘よ即戦力のはなびらよ

「農協」「軽症」「握手会」「即戦力」などの言葉がナチュラルに入ってきていて面白い。さらに、農協のチューリップや握手会帰りの人というのは、ただのチューリップやふつうの人なのにただのチューリップやふつうの人でないのがいい。「眉剃って」「銃後」「梅擬」「晩鐘」の句は頭の悪そうさが元気で気持ちよい(←褒めている)と思った。

2017年1月29日日曜日

2017.1.29 たとえばその本をあなたが買いそびれていたとしても

皆が話題にしている句集や歌集が、住んでいる場所のせいで、あるいはタイミングが合わなくてうまく手に入らなかったり、本当は買えるはずだったのになんとなくスルーしてしまったりして、疎外感をおぼえて悲しい気持ちになったり、自分だけ遅れているような気がして後悔したりすることがあると思います。

そんなのは大丈夫、読みたいと思っていればどこかで会えるよ。