2020年12月30日水曜日
2020.12.30 2020年回顧
2020年11月8日日曜日
2020.11.8 嘔吐恐怖症
先日友人と飲んで帰宅し、寝ようとしたあたりから具合が悪くなり、とうとう夜中の3時ごろトイレで吐いた。吐くのは9年ぶり。小学校高学年以降で数えて2度目。結婚してからは初めて。
酒を飲む機会が多いためひどい二日酔いは年に2回くらいあるのだが、吐くという行為を極度に恐れているので毎度どうにかやり過ごしている。というか、どちらかといえば頭痛の方がつらいタイプなので、今回はそれがなくて油断していたというか、上限量を守っていたからそんなことになるはずはないと思っていたというか(ちなみにもうあんまり強くはなく、その日もワイン4杯でストップ)。食後にみんなで散歩をして体を冷やしたのか、悪いものを食べたのかもしれない。翌日はほとんど何も食べられなかったし、3日経った今日もまだ本調子でないところを見ると、単に腹からくる風邪か何かか。ちなみに、9年前に酒を飲んで帰宅してはじめて吐いたときは、翌日38度台の熱が出たので、体調が問題だったのだと思う。
小学生のとき、地元のスイミングスクールに通っていた。ある日調子が悪くて行きたくないとぐずったら、「ピアノの練習をするかプールに行くか」と親に言われ、しぶしぶプールに行ったところやはり調子がすぐれず、ほかの子より少しはやく上がらせてもらったのだが、ひとりで着替える途中で更衣室の床に吐いた。それはコーチに片付けてもらい(たくさん吐いてしまい「具が大きいね〜」と言われたことを覚えている)、さらに、建物を出たところでも吐いた(それは母親が持っていたタオルなどで片付けたと思う)。というのが何年生のころだったかは覚えていないが、たいそうトラウマになっており、嘔吐というのは自分のことにもかかわらず急におとずれる、しかも人に迷惑をかける、という恐怖で、それ以来「どんなことがあっても絶対に吐いてはならない」と思って大人になったのだった。
人が吐くのを見ると気分が悪くなるので、夜乗った電車などで具合の悪そうな人を見るとそっと別車両に乗り換えたり、アルコールに弱い友達と飲むときはやたらと飲みすぎないよう気を配ったり、(私と飲んだことのある人はおわかりかと思うが)酒がめちゃくちゃ好きなわりにかなりセーブの効いた飲み方をするのはこの"嘔吐恐怖症"のせいだ。にもかかわらず、大学時代はカラオケボックスで寝て吐く彼氏の袋を持ってあげつづけなければならなかったり、社会人になってからも家飲みしたときに友人がベランダから屋根に吐いたり(当時の彼氏がバケツに水を汲んできてざあざあ流した。1階は大家さん)、妊娠した友人の代わりに飲み屋のママを週1日やることになって初めて一人で店に立った日に来た客が店内で2度も吐いて参ってしまいその日で店をやめるなど(たまたま来ていた別日のスタッフが全部片付けてくれた)、受難が続いた。別に嘔吐に抵抗のない人なら受難とも思わないのかもしれないが。全部便所でやってくれれば、と思うのだが、それができない場合があるからこういうことになるわけで、やはり急だし迷惑である。こわい。
思えば自分は、なにか事件が急に起こること全般が苦手なのだ。つよい光や大きい音が急に降りかかるのが苦手なのと、隣の人が、ましてや自分が急に吐くことが苦手なのは、似ているかもしれない。
まぁ今回の自分の場合は3時間近くうめき続けて吐いたので、急ではなかった。が、迷惑という意味では、夫を起こしてしまい「いろんな音がした」と言われたので、迷惑をかけた。そして、なぜか夫が腹具合を悪くし、熱を出した。何かうつしたか。すまん。
2020年10月10日土曜日
2020.10.10 洋楽と英語とミスカト
中学1年のときに選択英語の「英語の歌を歌おう」で習った曲の曲名がどうしても思い出せず、「So excuse me forget」で調べたらElton John「Your Song」だとわかったのでインターネットに感謝している(forgettingだったが)
— sato ayaka (@kamonnohashi) October 10, 2020
あのときミスカトが全員のカセットテープ(!)に入れてくれたプレイリストは何度も聴いた。全曲の英語と日本語訳(たぶん先生自身が考えたのではないか)の歌詞カードも配布され、ホチキス留めの冊子にした。今思い出せるだけでも、
Eric Clapton「Tears In Heaven」
もっと聴きたい人はさらにもうひとつカセットを渡すと、それにも曲を入れてくれたように思う。中学生には難しいものもあったけど、とにかく歌うことが好きだったので、歌えそうなものは「イッツァリルビッファニ〜」などと一所懸命カタカナを振ったりして、英語っぽく歌えるように練習した。普通の授業でも、[θ]、[æ]などの発音記号から発音を教えてくれたので、授業をよく聴く生徒だった私は、ミスカトのおかげで、単語ごとの発音なら悪くはない。なお、歌の意味内容にはほとんど興味がなかった。
2020年9月11日金曜日
2020.9.11 たまに死にながら生きていく
旅に出ることはふだんいる場所からいなくなることなので、突発的な旅はかるい自死といえる。突発的に飲みに行くだけでも、ちょっとした死だと思う。死だなんていう言い方があれだとすれば、つまりは単に非日常ということで、私は長いあいだ非日常を渡り歩いてきたのだった。日常を拒み続けるというのは、毎日死んでは生きかえるみたいなことだ。今日生きていた価値がないと感じても、その日の夜で死ぬと思えば、その日の夜が楽しいことも許される気がした。それでいて、自分はわりかしちゃんと帰宅して寝て、生き延びた。
できるだけ準備をしない旅ほど、自分を殺すかんじがつよい。ものすごい薄着で羽織るものを持たずに知らない電車に乗るときの、自分へのいたわりを振り払った快感は、一人でお酒を飲み過ぎたり体のどこかを故意にいためつけたりするときのそれと似ていて、しかも体に悪くないという意味で(電車の冷房にやられて体調をわるくするということはあるが)旅はまだ、体によいといえる。(だから、友人と急に飲みに行くのは、もっと体によい。)
かつて、つかっていない口座に思ったよりお金があったから、と言って強羅のよい宿につれていってくれた人がいた。その人も私もたぶん、仙石原のすすきのなかでいったん死んだ。私たちは愛し合っていたというより、それぞれ死にたがっていたんだと思う。ここでの死とはもちろん、単なる非日常のことである。
そういうことが、世界のすすみ具合や人生のなかでゆるされなくなるのはしかたのないことなのかもしれないけれど、自分にとってたまに死にながら生きていくことはほんとうに死なないために必要なことだと思うし、それを理解してくれている夫に感謝している。
*
生活における日常は週3回のバイトだけ、あとはすべてが非日常、みたいな暮らしだったころのバイト先の先輩に雇われて、昨日からまた少しバイトをすることになった。「あいちゃんは一番結婚むいてないと思ってたのに。笑」と言われて、まぁそうだろうなと思った。あのころ一緒に働いていた女性たち4人は、たまたま結婚していないらしい。
結婚にむいていないと思われていた私だが、結婚せず今生きていられたかは怪しいところだ。お金を稼ぐ仕事をしないでも生きられるようにしてもらえて、なおかつバイトをさせてもらえて、「パスタのAのお客様」と言いながらトマトパスタを提供して、はじめて生きている心地がした。私にとっての新しい生活様式は、非日常を超える日常の構築によってはじめて成り立つ。
(この漫画↓を読んだ感想でした)
ツイッターで漫画描いてるインキャくんがフォロワーの女の子と会う話 1/11 pic.twitter.com/hBCYUGsuEV
— ぎどれ (@gidre_) September 10, 2020
2020年8月31日月曜日
2020.8.31 「好き」に関する考察 思いナマコと思われマリモ
人と人との関係において、「好き」の量や質が完全につり合う奇跡というのはほとんど起こりえないので、たいていの場合は相対的にどちらかの方が相手をより「好き」、ということになる。もちろん人の数だけ「好き」のやり方があり、その人のなかでのめいっぱいの「好き」が他の人から見たら豆粒のように見えることもあるから一概に比較はできないが、とはいえ、「好き」同士に見える恋人たちや夫婦であっても、よくよく観察すれば、どちらかの方が相手をより「好き」であることはよくある話だろう。恋愛関係に限らず、上司と部下とか、友人同士でもそうだ。
仮に、ナマコとマリモいう2人で考えてみる。ナマコはマリモのことがめちゃくちゃ好きで、マリモはナマコのことがある程度は好きだという場合だ。
1対1の間柄なら、相手から思われる質・量は、自分が相手を思う質・量と同程度であってほしいとのぞむ場合が多いだろう。ナマコはマリモにもっと好かれたいと願って近づきすぎて、マリモはナマコの愛が重すぎると感じて遠のく。そこで2人の距離感は、マリモ(気持ちが弱い側)の意思によって決定づけられ、そこでバランスをとるのが一般的であるように思われる。「好き」は凶器になることがあるので、当然といえば当然だ。
ただし、まれにナマコ側の気持ちが優先されて、非常に近い距離感でバランスが成り立つことがある。マリモはナマコに(自分が相手を思う以上に)好かれていることを許容しており、一方ナマコはマリモから(自分が相手を思うほどには)好かれていないことを理解しながら、それでもいいと考えているわけだ。ここではナマコの片思い力と、マリモの愛の受容力(または鈍感力、または愛されたい力、または受け流し力、または心身がたまたまヒマであることなど)が釣り合っていて、思い自体がつり合っているわけではないのだが、はたから見ると、ただの仲良しである。
で、自分の場合はというと、友人関係にしろ恋愛関係にしろ完全に片思いナマコ体質なので(思いの質の境目が曖昧なので、ある種の友人や尊敬する人への気持ち=恋というケースが多いがまたこの話は別の機会に)、思われマリモ型の人にここぞとばかり愛を注ぐことで仲良くしてもらっていることが多い(いやもちろん、ふつうに相手を友人として好き、で、それと同程度相手からもそう思ってもらえている場合もある)。自分が相手を思うほどは相手から好かれないことに、なかば安心しているともいえる。かつて一度、自分と愛がつり合いそうな人と付き合ったことがあるが、ガチでお互い身を滅ぼすところだった。自分が敬愛していた相手に、自分が思うより思われてしまったときには、均衡を保つのに苦労した。そのときは、いったん引いて相手の気持ちを逸らしてから、お慕い申し上げ直した。
こういう人間は本来、誰か(手の届かない芸能人など)の「ファン」になるとか「推し」を設定するとかで気持ちを昇華していくのが望ましく、実際現在宝塚歌劇団には大変助けられている。結婚してどうだったかというと、夫はやはりマリモ型なのだが、ナマコよりデカい特大マリモみたいなかんじなので、いくら体当たりしても全部吸収するから安心だ。ただ、私の愛は愛で無限大∞なので、別に結婚したからといって一部の友人のみなさんに対しての片思いをやめることはないから、それについても安心(?)していただきたい。
2020年7月20日月曜日
2020.7.20 風呂と挨拶
翌日風呂に入っていたら夫に「おかげんはいかがですか」と聞かれたので「いいあんばいです、ありがとう」とかえした。夫は、うまくいったと思ったようで、喜んでいた。ああこれは挨拶で、定型で、約束なのだな、と思った。テンプレの応酬はもはやもとの言葉の意味を失っていて、「やりとり」というコミュニケーションとなる。動物が、親愛で鳴き交わすのに似ている。
英語の豆知識記事を見ていると「英語では「いただきます」「ごちそうさまでした」「ただいま」「おかえり」はありません」と書いてあり、それぞれの状況に応じた言い方がそれに続く。意気揚々と「これさえ覚えれば!」と思っている学習者にとっては残念ながら臨機応変にがんばらねばならなくなるが、呪文のような決まり文句を覚えなくてもコミュニケーションが成立するので暗記が減ってよいとも言える。が、私はわりと挨拶のテンプレが好きなのかもしれない。そのシーンで、その言葉を発しさえすれば、コミュニケーションの仲間入りできたように感じられたり、相手に気持ちが伝わったりするからか。
今まで好きな相手に「好き」とか「愛してる」と言ってきたけれど、相手は困ったり話をそらしたり顔芸でこたえてくれたりすることが多かった。これは我々にとって「愛してるよ」「私も」みたいなのが定型表現となり得ていないからで、言葉の意味を真に受けて赤面してしまうということなのだろう(イタリア人はこのあたりが定型化されているのかな)。同じ気持ちで「にゃあ」とか言うと、「にゃあ」とは返してくれたりする。「にゃあ(愛してる)」「にゃあ(僕も)」ならいけるとすれば、意味を抜いた方がコミュニケーションが取りやすい場合もあるわけである。内実は「にゃあ(愛してる)」「にゃあ(バイオハザード楽しかったな)」かもしれないが、まぁ解釈は自由だ。
風呂で思い出したが、小さいころ親に風呂に入れてもらうと必ず「お父さん(またはお母さん)、お風呂に入れてくださって、ありがとうございました!この御恩は、一生忘れません!」と言うことになっていた。「お風呂に入れてくださって」だからそのレベルの年齢なわけで、そんな幼児に毎日「この御恩は一生忘れません」と言わせていた親はどうかしてると思わなくもないが、今になって思い出した。
どうやって風呂に入れてもらっていたかは覚えていなくても、「この御恩は一生忘れません」という、おおげさなお礼のテンプレを、私は一生忘れない。
2020年6月12日金曜日
2020.6.12 歯
いそいで歯医者に電話して15時があいてるっていうんで行ったら、説明もないまま即座に麻酔を打たれ、「キュイーン」開始ですよ。しかもめちゃ痛くて麻酔を追加。追加したら体が震え、うがいさえうまくできず「ちょっと休みましょう」と言われ、そこでようやく「なんなんですか」て聞いたら、虫歯で歯がダメになって欠けたんですね〜、て。虫歯の部分を削って埋めますね、て。それさき言ってよ。もう一箇所しみるところがあるといったらそこもなんかを塗ったりなんなりされて、終わってから「知覚過敏ですね」て。まぁいいそれはいいさ、それよりさ、アメリカ行くからって2~3月に3回通ったときになんでそこ治療してくれなかったんです?そのときも黒くなってて虫歯のなりかけですけど様子見ましょうかて言われたの覚えてますよ。いや、アメリカ行けてないからいいですけどね?3ヶ月で劇的に虫歯が進行したんですかね。そりゃ私も毎日礼真琴オススメ喉飴を平均3つは食べてましたからそれが悪いと言われたらしょうがないですけど、アメリカは歯の治療高いんですよ?歯磨きのやり方2度にわたって教わってそれも大事やったと思いますけどね?こちとら欠けた歯飲んだんやで?
昼飯少なかった上に麻酔1.5本打たれてふらふらですわ。頭にきてゆるゆるのクチで白ワイン飲んだりましたわ。とはいってもビビリなもんで「歯医者 麻酔 酒」でググった結果まぁ1杯くらいなら大丈夫なのは確認済みです。ようやく麻酔切れてきたから飯食べられそうですけど。飯はさっき帰りに買ったエビのなんやらです。もう1杯白ワイン飲みます。それ以上はやめときます。こう見えて歯磨き毎日ちゃんとしてるんやで。銀歯も1本しかないし。自分のいいところ聞かれたら歯並びてこたえるくらいやのに。麻酔切れて痛なってきましたわ。
2020年5月30日土曜日
2020.5.30 千種創一『千夜曳獏』(青磁社)
4年ぶりの新作『千夜曳獏』予約開始です。青磁社より。https://t.co/ot7vnGjANk— 千種創一 (@chigusasoichi) April 30, 2020
獣の獏(バク)のように色々な表情を見せるこの装幀は、濱崎実幸氏の手によるもの。
前作の感情や修辞をさらに深く、さらに鋭くした一冊です。ぜひに。 pic.twitter.com/c9ZfOaqa5c
(かねてから書物の価値というのは内容:造本=1:1だと提唱している私としては) こんなに手に気持ちのよい本は生きてきてはじめてで、何度も触って触った。愛。
鳥がたまに花を食べるじゃないですか、あれ、めちゃうらやましいなと思う
あらすじに全てが書いてあるような雨の林を小走りで行く
朝の河を見たいのだろうセーターの袖で車窓の露を拭って
炭酸がどんどん抜ける夜の港 欲望ならば簡単なのに
梨の花 あなたとなまでするたびに蠟紙のように心を畳む
僕らより長生きをする亀を飼おう。僕らのいない庭を歩くよ
千種創一『千夜曳獏』より
千種さんの「音楽の話」を見るかぎり、自分とほとんど同じあたりに(音楽というか詩というか、こういうとき「エモさ」と言うといいのか、の)「的」を感じている人のようで、それは『砂丘律』のときに気づいていたことでもあるけれど、この人がいてくれるなら私は安心して短歌を書かないでいられるというものだ。
2020年5月2日土曜日
2020.5.2 ぼーっとしている
4月は毎日「今日だけ日記」というのを書いていて(こちら)、5月もそれを続けようと思っている。その日記やツイッターなどをご覧の皆さまはご承知のとおり、近所(人通りの少ない住宅街)を走るようになって、自分は運動が好きだと思い出すことができたのが4月の収穫だった。5月の目標は、10km以上走ってみること、5'30"/kmで10km走りきること。走るときは、最後かならず苦しくなるまで速度を上げるのだが、自分はそれで生きている感覚を味わおうとしているのかもしれない。
4月に嬉しかったことといえば、柿本多映さんの蛇笏賞受賞。俳句に貢献するやり方はいろいろあるが、私に関しては、いい作品を残すお手伝いをするということをやるようになっている。とくに、結社に入っていない作家の作品をまとめて書籍として刊行するのは、かなり大事だと思う。最近お手伝いしていた、連休明けに入稿する予定の一冊も楽しみ。
zoom飲み会などを頻繁にやるようになった。句会にも活用している。だいたいはふだんの飲み会同様誘う側なんだけど、親以外ではじめて誘ってくれたのが今も仲のいい高校の同級生で、4日の夜にzoom同期会が開催される。9人かな。高校時代はそんなに友達いなかったので、ふつうに嬉しい。
細馬宏通さんのツイキャス「かえるさんの沼ヴィジョン」が好きで聴いている。ただ、いつも23時半〜なのでリアルタイムでは聴けず(その時間帯、寝る準備してる)、あとで聴こうと思っていたらいつの間にかたくさん溜まっていた。
伊豆シャボテン動物公園のミナミコアリクイが最高。
— 伊豆シャボテン動物公園公式ツイッター (@izushabotenpark) May 1, 2020
2020年3月27日金曜日
2020.3.27 渡航延期・いつになるかは未定
状況が刻一刻と変化し、それにともなって気持ちもぐらついていたから、延期が決まったことには安堵しかなかった。タイミング的に企画していただいた飲み会などはすべて開催することができ、さぁこれから自宅に籠ろうという段になって、ちょうど忙しくもなくなったので、ラッキーといえばラッキー。とにかく時期が1ヶ月ズレていなくてよかった。
ここまでくると収束がわかってからでないと出国はできないだろうから、収束がいつになるか見えない限り、いつ行けるかもわからない。やることがないわけではなく、アメリカに行ったらがんばろうと思っていた英語や、落ち着いたらやろうと思っていた仕事などを今やればいいわけだが、よっしゃーやるぞー!という気になれないのはおわかりいただけるのではないかと思う。ぼんやり、している。
昨日は川沿いを散歩した。ホトケノザにハコベ、ナズナとカラスノエンドウ、ヒメオドリコソウにオオイヌノフグリ、カタバミとカタバミのでかいやつ、ハナニラの群生。馬酔木、山吹、雪柳、連翹。春がはやく来たのはありがたかった。23日、井の頭公園では、著莪の花と石楠花まで咲いていた。初夏だ。そのときは、鴨だけでなくキンクロハジロとオオバンも見た。桜はほぼ満開で、微妙な気分ながらもそれらを見ることができたのはよかった。
ベンチに座って缶ビールを飲んでいたら、鴉が巣作りのための小枝や紐などを一度に嘴に挟んで集めていた。鴉はなかなか綺麗で羽も真っ黒ではない、青みがかった部分や紫がかった部分がある。大きくて賢そうでよかった。川越しの日差しが頬に直にくるので移動することにして、また少し歩いた。
2020年3月16日月曜日
2020.3.16 雑記、を書く時間があるんだったら、と
肩こりが本当にひどい。腰も痛い。毎日、整形外科でもらった強い湿布を、肩と腰の相対的に痛い方に貼っている。ヨガに行ったり風呂につかったりしているがダメだ。デパスもはじめは効いた気がしたがやめてしまった。根本的に何かがまずいんだと思う。24歳のころは週5日働いて金曜日17時半から飲んで二次会でカラオケ三次会でお好み焼き、土曜日は高校生に俳句を教えるみたいな生活をしていたが、どんだけパワーがあったんだろう。今は家だと座っているのもしんどくてつい横になってしまう。以前はめちゃ高い整体にも通ったし、鍼がいいですよと教えてもらったりもするんだけど、行っていない。整形外科の先生が、カリフォルニアは肩こりにはいいと言っていたのをよすがにしている。
先生「どれくらいアメリカにいる予定なんですか」私「1年間です」先生「いいなぁ」
先生「仕事ですか」私「いや、夫の仕事について行くんです」先生「…いいなぁ」
というやりとりがとてもよかった。先生、大好きなんだけど1年間会えなくなるのがつらい。先生もカリフォルニアに遊びに来てください、と言えばよかった。先生も肩こりらしいから。
明日の夜やることを考えなくてはならないんだけど考えつかない。明日は朝はやく起きなければならない。明日の朝は寒いらしい。やだなぁ。
と、ここまで書くと、非常に鬱々として見えると思いますが、たくさんのみなさんに壮行会を開いていただき、とても嬉しい日々でもあります。あと、樋口由紀子さん編著の『金曜日の川柳』(左右社)がいい反響をいただいていて、それもよかった。
さつま芋の中身と皮みたいな色のセーターの人たちの向こうでなぜか変顔をしている私 |
2020年2月14日金曜日
2020.2.14 私は "英語ペラペラ" になりに行くわけではない(新井リオ著『英語日記BOY』読後メモ)
→ Amazon
さて、これ以降は読んで考えたことを自分用のメモとして書いておきます。
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(そのために必要であれば英語もちょっとやる)
以上、長々失礼しました。ハッピーバレンタイン!