2021年12月30日木曜日

2021.12.30  2021年回顧『菊は雪』とその後のこと

2021.12.30 ふつうの年間回顧(壁新聞的な)

自分を女だと信じるかはさておき、さらに厄年とかいうのも信じるかはさておき、女には本厄が男より1回多くしかも32歳(大厄)・36歳(小厄)と30代に2度あって、そのあたりはお産や子育てなど大変な時期、ということなのかもしれないがうちに子供ができる気配は一切なく、ただし私は32歳で『天の川銀河発電所』と結婚、今年36歳で『菊は雪』と渡米、ということになったので、厄や女などというのも、残念ながら自分に関していえば信じるに値する。

2020年晩秋の時点で、春の渡米も難しかろうから今句集をつくるしかない、とジャッジした自分の正しさ以外を褒めるのはただの自己愛であるから、ここではその点のみを取り上げようと思ったが、それはよく考えたら2021年回顧ではない(2020年だ)。とすればやはりご自愛ご慰労するか/しないかしかない。だいたい回顧記事などというのは人様に見せるべきものではなく、おうちで壁新聞にでもして貼り付けて楽しむのがよい。とすればここからはBerkeleyのぼろアパートの白く塗り込められた壁面。わざわざいらしてくださったあなたにのみお見せするのがよかろう。

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2020年末から始まったプロジェクト『菊は雪』。
第一句集、第二句集で句集づくりというものは経験しており、最近では人様の句集をお手伝いさせてもらったりしているものだから、自分ができる範囲というのはたかが知れていて、自分の一冊で自分を驚かせるには自分だけでは力不足だという自覚があった。

相棒として、すでに仕事をともにしていたデザイナーの佐野裕哉を選んだ。というより、佐野に自分の本をつくらせてみたいというのが、句集制作の大きな動機だった。彼のデザインの精緻さ美しさは知っていて、正直、雑多でだらしのない私には似合わないと思っていたが、話してみると佐野裕哉という人の面白さは、デザイン素人の私が彼の作品から感得できる以外のところにも多くあり、佐野がどう思っているかは知らないが私としては気の合う人、結果としてコロナ禍において家族以外でもっともよく話した相手となった。私はデザインのみならず音楽や絵、詩などいろいろなことを彼に教わったし、素直に美しいものを好きだと言っていいということにも気がついた。

あとは句集巻末の「菊雪日記」に書いたとおりで、こちらからデザインの指示は出さず(「大きい本がいい」「女らしくなく」程度)、佐野が作品を読み、意図を聞き出し提案をくれ、それにしたがって私は作品を組み、お金を出し、予算ははみ出したが、彼が思うようにつくってくれた(ちなみにこの本は少し負担を軽くしてもらった自費出版、である)。しっかり日記を読んでくださった読者のために日記の続きを少し書くならば、「私が数度にわたって輸送した折鶴は、結局、どこにも使われなかった。かくして裏表紙に、箔の折鶴だけが残った」。

「俳句年鑑 2022年版」での加藤かな文氏による「多様な俳句に目が眩む。ここでいう多様とは、自然界の雑多ではなく、たとえばアマゾン倉庫の整然とした過剰」との『菊は雪』評の、「整然」が可能になったのも、エディトリアルデザインを得意とする佐野のおかげとしか言いようがない。

こういった随分なわがままを許容し、販売可能な方向に導いてくれたのが編集者の筒井菜央だ。内容についてはほとんど自分で編集したけれども、筒井のバランス感覚なしには、全国に流通するかたちでの刊行はできなかった。「ダ・ヴィンチ」2022年1月号「あのデザイナーが選ぶグッドルッキング本」で水戸部功氏が『菊は雪』を挙げてくださり、「著者の装丁者への信頼は言わずもがな、版元の理解もなければ成し得ない、幸福な本」と評してくださったのは、まったくそのとおりである。

このあたりでようやく今年の自分を褒めておくなら、他者の能力を信じきることができる、それがちゃんとかたちになった、といったところだろうか。半年以上にわたる夢のプロジェクトは、6月末に完遂できた。


『菊は雪』のあと、『遠山陽子俳句集成』(素粒社)と遠山陽子著『三橋敏雄を読む』(私家版)、そして佐藤智子第一句集『ぜんぶ残して湖へ』(左右社)の手伝いをした。すべてデザインは佐野による。
仕事とは別に名刺もデザインしてもらった。美しかった。webサイトをつくれつくれと言った。さっき見たらできていた。→こちら

『遠山陽子俳句集成』については、私がやったのは作品と初句の打ち込み程度で、編集は素粒社の北野さんである。行き届いたいい一冊になった。私は素晴らしいデザイナーを連れてきた、と褒めてもらってしまって恐縮している。その付録的に個人誌への連載を加筆修正した『三橋敏雄を読む』、こちらは私家版とはいえ編集者ナシで一冊をつくることになったため、佐野との共同作業が続いた。私が素人であるせいでレイアウトを数度組み直してもらったり、旧漢字を作字してもらったり、校正にも随分対応してもらったし、さらには入稿など印刷会社とのやりとりまで佐野に任せた。天才デザイナーの使い道としては間違っているが、まぁしょうがない。ちょうど渡米前後のタイミングだった。出国直前に、鮨はおごっておいた。以前、太田うさぎさんがおごってくれたうまい店で。そういえば、太田うさぎ句集『また明日』(左右社)が、「菊は雪」チームでのはじめての仕事だ。

佐藤智子『ぜんぶ残して湖へ』のデザインは、もともと佐野に決まっていた。編集は筒井。これも「菊は雪」チームである。こちらも出国数週間前の打ち合わせ、ここで私は栞文を頼まれたのだけれど、たとえば一言くらいのものにして、デザインでどうにかならないか、などと言っていた。
その夜。智子さんこんな句もいいんだよねーなどと佐野とだらだら通話しながら、佐藤智子作品をあらためて見直していた。そして翌朝、一気に栞文を書いた。書けた。その文章に引用した〈紙詰まり直しにすぐに春の指〉という句から、あの栞のデザインが生まれたらしい。わざとズラして折るのは金がかかるそうで、筒井&智子さんですべての栞を折ったそうだ。アメリカにいて作業に加われなかったのが残念だった。


と、ここまでが今年の大きな仕事だった。壁新聞をお見せしたというより、昔の話を聞いてもらった気分だ。
佐野さん、今後忙しくなっても、仕事を頼めば引き受けてくれるといいなと思う。
私自身が今後また本を出すことがあるかはわからないが。

『菊は雪』は、私の人生最後の一冊でもいい。
刊行から半年が経った。