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2024年5月27日月曜日

2024.5.27 5/17~19 松山・今治

ここ最近、旅づいている。
2月の博多・久留米、4月末に山口、5月3〜6日は神戸・宝塚・京都。5月17日〜20日は松山・今治。6月は小野・大津、7月は香川、8月はまた松山、10月京都、11月静岡、の予定。旅のことを書き残していかないといけないな。

とりあえず、先日の松山・今治の話。
まったく仕事と離れて、帰省を兼ねての旅だったので楽しかった。

歌人の伊藤一彦さんと大森静佳さん、研究者の細川光洋さんが今治で若山牧水トークをするよね、という話を、宮崎大の中村佳文先生と飲んだときにして(その飲み会とは万葉集研究会飲みで、私は両親の代打で参加)、それなら松山・今治で会いましょう、ということに。ちょうど母は仙台で俳句の所属結社「澤」の大会があるというので、私とは入れ替わりとなった。


5/17
松山空港着。空港まで高校1年生のときの担任のK先生が迎えに来てくれた。K先生は現在は校長職、愛媛大学で2年間教えている。研究室でお話しした。あれから23年か。
大学までは父親が迎えに来てくれ、いったん帰宅後、父と私と佳文さんで道後のいよ狸飲み。ここはカメノテやチャンバラ貝などがある。カメノテは万葉集的には馬声蜂音石花蜘蛛荒鹿の石花(せ)。酒は京ひなの一刀両断など。

5/18
朝から佳文さんと父と3人で道後散歩。道後公園に青鷺がいるのを、父が勝手に「あをちゃん」と名づけてよくfacebookにアップしており、それを見に行くことに。堀にはたしかに青鷺がいた。20年ぶり?に湯築城址に登った。


午後は大森静佳・土岐友浩さんが到着し、父の案内で子規博をまわった。2人は道後温泉に入り、道後ビールを飲んでから大街道の漁恵丸へ。カリスマ漁師から魚を仕入れている店で美味しかった。酒は初雪盃(純米吟醸)、石鎚(純米吟醸)、一刀両断(辛口)、賀儀屋(純米大吟醸)。2軒目はmarineccoでワインを。

5/19
父と朝7時に家を出て特急で今治へ。岩波文庫で『みなかみ』の部分をざっと読んだが、だにやら泥棒猫やらひな人形やらえらい面白かった。午前は伊藤さんの講演、大森さん細川さんとのトークショー。牧水の五七調、破調が、伊藤さんの音読で心地よく入ってきた。

  ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきて居り 若山牧水『みなかみ』
  全身にくる会いたいという気持ち山ですという山の迫力 谷川由里子『サワーマッシュ』

一首目は『みなかみ』の一首目の山の歌。二首目は大森さんが現代の山の歌として最後に挙げた歌で、牧水ファンの方がみななるほどと納得されている様子だったのが感慨深かった。



ランチ後、岩城島へのクルーズは船がかなり揺れて驚いた。かるい雨。肌寒かった。
牧水の歌碑に群馬の谷川岳を献杯。レモンを購入した。
 
夜は宴会。各地の牧水顕彰会のみなさんが酒の差し入れを持ってきているのがよかった。とくに愛知の方々はお揃いの青い法被で参加しておられ、外部からの参加者である私も楽しくお酒をいただいた。2次会、3次会と続いたようだが、私は特急で松山に帰った。

2022年2月9日水曜日

2022.2.8 信号のない横断歩道を渡るときだけ

信号のない横断歩道は、Berkeleyにもわりとある。が、90%以上の確率で、車が止まってくれる。東京より、断然だ。

引っ越してきたころは、恐縮です、というようなかんじで、頭を下げ、小走りで渡っていた。

けれども、どうも私と夫以外、誰も頭を下げていない。あるときようやく気づいたのは、頭を下げる、お辞儀をするということ自体、日本の方法だということだった。語学学校の先生が、「日本人のおじぎの角度による謝罪レベル」をおもしろ動画として見せてくれたのもこのころだった。日本人あるあるとして、笑われるということだとすら知らなかった。

小走りも必要なかった。こちらの歩行者用信号は、赤信号に変わる前にあと何秒で赤になるかが、数字でカウントされる。日本と違って、赤になるとすぐに車が来るので、あと5秒なんてときには走って渡っていた。が、こちらの人は誰も急いでいない。残り10秒もあるのに、渡らずに待っている。たまに、堂々とゆっくり渡っている人もいる。信号がない横断歩道では、いつも、誰も急いでいない。横断歩道を小走りで渡るというのもまた、自分の自分らしさが、アメリカにいる日本人っぽさと重なっていたのであった。

聞くところによれば、車の免許の試験の際、歩行者がいたら必ず止まるように習うのだそうだ。というより、歩行者がいるのに止まらないと、罰金が課せられるらしい。私が横断歩道を渡るときに、車がみな止まってくれていたのは、やさしさや気遣いではなく、ルールだったのだ。

ならばその代わりにと、止まってくれた車の運転手に対して、手を挙げたり振ったりするようになった。これが、いいのである。運転手もみな急いでないから、手を振り返してくれたりする。笑顔なのも見える。英語ができなくて心細い朝も、運転手が笑顔で手を挙げ返してくれると、それだけで涙が出そうなほど嬉しかった。

だいたい、このあたりはいろんな人種がいるから、私がどれだけアジア人然としていたところで、はじめからゆっくり話しかけてくれたりはしない。聞き取れなくて聞き返しても、「英語がわかる人がたまたま聞こえなかった」という話し方しかしてくれない。それはもっともな話で、日本でだって、いくら外国人に見えても、ふつうの大人に、子供に話しかけるようにゆっくり話したのでは、失礼にあたるからだ。私は、多少のフレーズは言えるようになったが、親切にたくさん話しかけてくれる相手には、「あ、この人は英語できないんだ」と気づいてもらえるように、早い段階で、わざとつまりながらしゃべる、という方法をとっている。が、かんたんなフレーズが流暢に言えてしまうと会話が成立しないというのは、聞き取りや単語がダメなわりに発音はマシ、という人間にとって、自分のいいところが何もなくなるわけだからわりと屈辱で、はやく聞き取れるようになりたいのだけれど、家で英語をやらないのでそうはならない。結果、はじめての場所ではだいたいの場合、おどおどしたアジア人という様子で、お会計に並んでいる。

でも、信号のない横断歩道を渡るときの私は違う。にこやかに、「ありがとね!」というかんじで、姿勢よく、さっそうと渡る。このときだけは、このあたりの立派な住人になれた気がする。

道ですれ違う犬と赤ん坊にも、笑顔で手を振るようにしている。今のところこちらでは、笑顔で手を振れるということが、自分の最大のコミュニケーション能力なのである。

2019年2月4日月曜日

2019.2.4 親父のウコン乾燥機

年始、香川の叔父叔母の家に遊びに行った。叔母というのがうちの父の妹だ。
元体育教師の叔父、「最近は飛っびょんよ」というので何かと思ったら退職してパラグライダーを始めたらしい。

叔父に誰かから電話がかかってきて、電話を切った途端、「今週末スキー行くことになったわ」と言う。「スキーは前からやっりょんですか」と聞くと「平成十七年にな、」と話が始まった。

「納屋が燃えたんよ。スキーの板やら一式全部燃えてしもたん」

「え、それって何が原因やったんですか」

「思うに、親父のウコン乾燥機や」

どうやらウコン乾燥機が発熱したかなんかで火が出て納屋が焼けたらしい。その後スキー用具を買い直し、またスキーをやるようになった、という話だったんだが、私は「親父のウコン乾燥機」という単語に釘付けで、スキーのことはどうでもよくなった。

ウコンはじぶんちで育てるものなのか。ウコンはじぶんちで乾燥させるものなのか。そのウコンはどうするのか。売るのか。粉末にして家で飲むのか。ちゃんと聞けばよかった。