2021年8月31日火曜日

2021.8.31 ペガサス

句集を出して2ヶ月が経った。まぁすぐに読める本ではないので、もともと大反響たちまちなんやらなどは期待していないが(というより装幀に金をかけすぎたので重版できません)、そのわりには思いもよらぬ人からご連絡をいただいたりしており、ありがたく思っている。とは別に、これまでの集大成みたいな仕事やこれからの始まりみたいな仕事がいくつか来た。そういう星回りなんだろう。最近は占いもあまり読まなくなったが。

親不知を抜いた。3つに割って、奥で回転させて出したそうだ。なぜ全身麻酔にしてくれなかったんだ、というような辛さで、こういうときのために念仏というのはあるのだろうと思った。形容詞の活用語尾を唱えて耐え忍んだ。抜いたあともかなり腫れた上、帯状疱疹まで出て災難だった(一生に一度しか出ないと言われている帯状疱疹だが、まれに幾度も出るタイプの人間がいて、どうもそれらしい。もう慣れていて、ひどくなる前に薬を飲むので、神経痛と患部が痛痒いのと、少し熱を出す程度だが)。抜糸も済んだので毎日アルコール消毒にいそしんでいるが、まだ腫れている。

最近は自分のことをペガサスだと思い込んでいる。いや、自分がそんないいものではないことはわかっている。馬が、自撮りアプリでペガサスに見えているくらいのかんじだ。かつて流行った動物占いはコアラで、あまり当てはまらないと思った記憶があり、ペガサスの人はかっこいいけど、かっこよすぎるだろ、と思っていた記憶もある。

ペガサスは美しく、飛べるし走る、夢の生き物。そういうものに、私はなりたかったのかもしれない。なにかを理想とするというとき、自分にとって分相応な理想かどうかを見極める必要はないということを、最近ようやく知った。夫から「お疲れ、ペガサス」とLINEがきたとき、胸元を風が吹き抜けるような嬉しさがあった。夫は、先週は一度も終電で帰ってこれなかった。ペガサスはさみしかった。

ペガサスは果物とクリームを好む。酒を飲むと透ける。空を走りながら学ぶ。ペガサスはカリフォルニアにだって行けるだろう。あと1ヶ月だ。

このことは「ペガサス」というタイトルの日記を読んでくれるような人にしか、伝えない。どうせ1年だ。

2021年8月1日日曜日

2021.8.1 『菊は雪』ツアー

7月下旬に博多と長崎、大阪に行ってまいりました。句集出版後だったので、自分としては『菊は雪』ツアーと銘打っての旅行だったのですが、こんな時期なのでトークイベントなどをするでもなく、本屋さんへのご挨拶および最低限会いたい人に会うというだけのささやかなものでした。

旅行前の時点でワクチンは1度目を接種しており、直前数日も人と会う機会は最低限に減らした上で出発。帰京後1週間経過し、自分もお会いした方も罹患していないことを確認したので記録として残します。延期しなかった理由はこちら


 


博多を訪れたのは初めてでした。ジュンク堂書店福岡店では、担当の松岡さんがwebちくまの連載「ネオ歳時記」を読んでくださっていて盛り上がり(ナマエミョウジさんのファン!)、本のあるところajiroでは、店長の坂脇さんだけでなく書肆侃侃房の田島社長ともご挨拶できました。

大阪ではまず、紀伊國屋書店梅田本店さんと梅田蔦屋書店さんにご挨拶しました。 

紀伊国屋書店梅田本店

紀伊国屋書店梅田本店

梅田の蔦屋書店さんでは『天の川銀河発電所』のサイン本もつくりました。


最終日は葉ね文庫にてサイン会。お久しぶりの方や会ってみたかった方と会えてよかったです。


本当はもっといろんな思い出があるのですが、それはまた別の機会に。

旅の作品はこちらでお読みいただけます。

→翻車魚ウェブ 028*2021.8 佐藤文香「夏一覧」 
長崎4句+大阪1日目2句+2日目4句=計10句。

 

2021年7月30日金曜日

2021.7.30 尊敬尊重ズ

母親と船に乗る。母親は168cmあり、ふだんはあまりヒールのある靴を履かないが、今日はピンヒールを履いているので、いつもに増して背が高い。というのを、陸から船に渡された板を通るとき、足元を見て気付いた。

船に乗るといってもどこかへ行くわけではない。船は、この湾に停泊させてちょっとした美術展示スペースのように使っている遊覧船のようなもので、我々はその展示を見に来たのだった。

体験するはずのプログラムはふたつあり、ひとつは船内の内覧、もうひとつは教室風にコクヨの机が並べられた部屋で漫画を描いてみるというものだった。本来ならば内覧からの予定だったが、我々は漫画にさきに取り掛かる。むかし手塚治虫記念館ですでに体験したことがあり、すぐに終わらせられると踏んだからだ。しかしそれが見当違いで、二人並んで子供のようにまじめに描いた。鉛筆はどれもとがっていて、ライトが黄色かった。

おかげで内覧はできず、その代わり階段を下りていき、よって船というよりは潜水艦といったかんじの、そのなかでも小さめの簡素な一室へ通された。我々以外にも5、6人の客がいて、みな床に体操座りとなる。そこで始まったのが「尊敬尊重ズ」による漫才だ。

「尊敬尊重ズ」は二人組で、ボール紙でつくられた大きな箱に二人横に並んで入っており、頭側も目元まで隠れるように二人まとめて蓋のようにボール箱がかぶせてあるので、口元だけ見える。

漫才といえども、二人はしゃべることはせず、リコーダーの音色の声マネでハモる。それが大変素晴らしい。胸元にスクリーンが出てきて、そこにはリコーダーの指づかいが映し出される。向かって左がソプラノリコーダー、右がアルトリコーダーの担当であるらしかった。そのうちうしろにもう二人現れて四重奏となる。圧巻だ。とくにソの音がよく響いた。

船を出て、セブンイレブンに寄る。カップにホイル状の蓋のカフェオレを手に取り、会計前にうっかりストローを挿してしまう。中央のレジへ持っていき、「すみません、はやく飲みたくて」と言うと、若い店員さんが「欲望に負けたカフェオレですね」と笑いながら、売っていいものか、一応隣のレジの年長の店員におうかがいを立てる。そこで我々も「隣の客は欲望に負けたカフェオレ客」と、指差しながら言い合う。よく笑った。



 #夢

2021年6月27日日曜日

2021.6.27 妹

自分は顔に似合わず、負けず嫌いではない。小学校低学年のころセーラームーンごっこで水野亜美ちゃん役を譲らなかった、という話をあとから聞いて恐縮したことはあるが、それも別に負けず嫌いというのではなく、単に自分にマーキュリー以外の選択肢がなかったからだと思う。少なくとも今まで、勉強や運動で、俳句でさえも、誰かに勝ちたいとか、誰かに負けて悔しいとか、思ったことはない。向上心自体はあるので、「目標3位」「賞を獲るぞ」みたいなことは思うけれど、目標が達成できなかったときに、ライバルを憎んだ経験はない(審査員に文句を言うことはある)。妬みという気持ちが根本的に欠如しているし、競争を持ちかけられそうになるとすぐ降りる。中学時代バレー部で、同学年8人中6人がスタメンとなるとき、自分は副部長だったが能力的には6番目〜7番目くらいのかんじだったので、補欠にしてくださいとコーチに泣いて頼んだことがある。それくらい競争が怖い。

負けず嫌いでないことのよさとして、自分より能力の高い人と一緒にいるのが大好き、というのがある。能力というのは人それぞれなので、相手より自分の方がすぐれている部分もあるから一緒にいてもらえるわけだが、とくに自分には記憶力が乏しく、難しいことを理解する能力が足りていないと感じるので、家庭生活や「翻車魚」などはその点を補ってくれるメンバーと一緒にやっているというかんじだ。それは自分を大きく見せたいがための見栄などでは毛頭なく、たいへん心地よいからそうしているんであって、しかしなぜ自分はそういう現場を心地よいと感じるのであろうか、と考えた。

私には4歳下の妹がいる。どこかにも書いたが、喧嘩をしたことはほとんどない。4歳離れていればとくに不自然なことではないと思うが、妹と接していて大きく印象に残っていることが2つある。

1つ目は、私が小学6年生、妹が小学2年生のときのことだ。
松山の小さな小学校に転校した私たち姉妹は、神戸の小学校となにもかもが違うことに戸惑いながらも順応しようとしていた。まだ幼かった妹がそのとき何を考えていたかはわからないが、少なくとも私は(ヤバい、ここではすべて1番になってしまう)と思った。神戸の新興住宅地のマンモス小学校では、何をやっても自分よりできる子がいて、とくに何かで目立つということもなかったが、松山に来たら、絵を描けば入選するわ、字を書けば金賞だわ、勉強もできてしまった。はじめは嬉しかったけれど、途中からクラスの女子の嫌がらせも受けるようになり、軽い恐怖を味わった。なかでも自分自身恐怖だったのは、ピアノ伴奏だった。
神戸の小学校では、ピアノのコンクールですごい賞を獲ったりする子もいて、音楽会でのピアノ伴奏をするのはそういう子だった。私などは家にクラビノーバしかない、普通に習い事としてやっている程度、のほほんとしたものだった(小学校5年生でツェルニーとソナチネ、と言えばわかる人にはわかると思う)。転校するなりコーラス部に誘われ、歌が好きなのですぐ入りますと言ったはいいものの、ソナチネが弾けると言うとすぐさま伴奏を仰せつかった。小学生ながらに(私のレベルでいいのかよ)と思った。幸い、その年のNHK合唱コンクールの課題曲のピアノはそこまで難しいものではなく、そればかり練習して、どうにか酷いことにはならず弾けた(自由曲はアカペラ曲だった)。授業で先生の伴奏を聞くと、先生自身ピアノが苦手で、しかも学校にもあまり上手な子がおらず(本当はいたのかもしれないが、少なくともうまい人がその本性を表すことはなかった)、誰でもいいからマシな子を見つけることが急務だったというのが、わかってしまうほどのものだった。
NHKのコンクールは終わった。が、自分が本当に辛かったのはここからだった。音楽会での全校合唱の伴奏が待っていたのだ。「歌はともだち」という、タイトルに反して短調の速い曲で、私にとっては難しく、毎日この曲ばかり練習した。全校合唱だから全校の練習があり、そのときはズタボロで心配もされた。本番はギリギリどうにかピアノが気にならない程度までにはなったが、どうがんばってもノーミスで弾くことはついにかなわなかった。
そのころ、小学2年生の妹が弾いていたのは湯山昭の「チョコ・バー」である。→コチラ
短い曲だが、私も楽譜を見れば、どの程度の難易度かはわかる。今まわりを見回せば、少なくとも妹が天才というほどではないことはわかるが、このときの自分ははっきりと(私はピアノは凡人だ。妹は才能がある)と感じた。私の人生で最もピアノを弾いたのはこの1年であり、自分の中では一番うまかったけれども、この小学校から受験して女子でただ一人入った附属中学校には、ピアノのうまい子がわんさかいて、心底安心したのを覚えている。実際妹は小学校中学年から全校の伴奏を買って出て、私と同じ中学に入学しても毎年合唱コンクールの伴奏をしていたから、私の見立ては間違っていなかった。妹はコード進行の勉強をする何冊かセットの本も通読し、絶対音感もあって、中学では合唱曲を作曲したりしていた。私は結局高校まで毎週ピアノ教室に通ったが、練習はほとんどしなくなった。音楽は私じゃなくていい。妹だ。そう思った。

勉強に関しても妹は、私が小学校2年生で習う九九を一緒に覚えていたし、小学生で横山光輝の歴史マンガを次々買い揃え登場人物を記憶していくのを見るにつけても只者ではない雰囲気だった。一番驚いたのは、私が高校1年、妹が小学6年のある日のことだ。たまたま部屋に入ってきた妹に、その日習ったばかりの複素数平面を説明したところ、「あ、なるほど、じゃあここが1-iってことね」といったかんじで、グラフを見てすぐに正しい位置を指し示したのだ。今思えば、もし自分が妹だったとして、同じことを姉に教わったら、自分もそのくらいのことはわかったかもしれない。けれども、妹が虚数の概念を瞬時に受け入れたことへの驚きは、学校でだんだん難しいことを教わって人はかしこくなっていく、というのではなく(それはもちろんそうではあるのだが)、人間の特徴としてかしこさを備えた人がいる、ということを実感をもって理解するのに充分だった。
その後も妹はやはり、圧倒的に勉強、とくにテストができた。中学のときに、姉が俳句をしているという理由で俳句甲子園のエキシビジョンマッチに出場させられて、もう俳句はいいや、と言っていたが、数年前に米光一成さんと私の句会イベントに参加してふたりともの特選をとるくらいの句はつくれていた。

自分はある時点で学校では相対的にピアノや勉強が得意な側だったが、家庭内においては相対的にピアノや勉強が苦手な側であり、この"相対的に"といった感覚を、妹のおかげで身に付けたことが、負けず嫌いになり得なかった理由だと思う。実際親も、姉は努力、妹は天才、といった見方をしていた。自分としても、それでよかった。私は体育がまあまあできたり、字がまあまあうまかったりしたから、妹と役割を分担するような気分だった。それが現在の、かしこい人と一緒にいるのが安心という気持ちにつながっている。実際、夫が夫となる前、「横山光輝の三国志は全巻読んで覚えている」と言うのを聞いて、これは妹に似ているから家族になれる、という理由で結婚した。いい判断だったと思っている。

そんな妹がどんな大人になったかというと。現在はクリエイターと結婚し、一般企業に勤め、料理に凝り、ベランダで植物を育て、趣味で語学を勉強したりしている。世界は広く、妹くらい音楽ができる人や、妹くらい勉強ができる人は、実はたくさんいたのだった。では、姉の方はどうだろう。

今後も君とは役割を分担していく。誕生日おめでとう。句集読んでね。

2021年6月3日木曜日

2021.6.3 第三句集が出ます

昭和60年6月3日生まれなので、令和3年6月3日で36歳になりました。令和3年6月30日に第3句集を刊行予定です。

『菊は雪』という本です。
 





















ずっと、俳句のことを考えてきました。

今までお世話になったみなさんへ感謝の気持ちを込めて、これからお会いするみなさんへのご挨拶としても。
お手にとっていただけると嬉しいです。

流通の都合で、Amazon発売日は7月7日の予定、重陽の一つ前の節句、七夕です。
書店搬入は6/30からとなります。
内容については、また。

2021年5月28日金曜日

2021.5.28 「知らないところにいさえすれば」

朝からブログの内容を考えて、その長大でエモーショナルな流れに涙ぐんだりしていたが、書くとなるとパワーがなくなってしまうのはなぜなんだ。だいたいいつもそうだ。自分は話の"流れ"を書きながら保ち続ける持久力がないんだと思う。俳句はいい。俳句は思いついたら、そこで完成するから。あと、写すのはできる。誰かがしゃべったこととか。
書き物のなかでは仕事のメールが一番好き。送らなければいけない内容が決まっているから、どう書くかだけに注力できる。

最近は自分の句集のまとめ以外に、他の方の句集に関する仕事を2件やっているので、仕事以外の時間は俳句以外のものに触れたくて、音楽ばかり聴いて、短歌や現代詩を読んで過ごしていた。GRAPEVINEの新譜が嬉しくてつぶやきまくってしまった。

今日はオンラインで、四元康祐さんと岡本啓さん、sofabedのイベントを聴いていた。


岡本さんの、さきに音を聴かせてくれての朗読は面白い。
「ニュータウンは個性のなさで世界とつながれる」
「知らないところにいさえすれば楽しくて仕方がなくて」
という言葉もよかった。
私もニュータウン育ちの散歩好きです。
四元さんが岡本さんの誕生日を聞いて、その日の詩を読んでくれるのもよかった。占いは詩に似ているので好き。あと、数字も好き。

sofabedもよい。声的にはフィッシュマンズ好きな人は好きだと思う。音楽的には、空間現代のシンプルなかんじか。あくまでも方向、いや、これはちょっと聴いただけの私の勝手な解釈ですが。
1週間は見られるはず。



世田谷線沿いの立葵がすごい。
夜の風がわりと冷たい。

2021年4月25日日曜日

2021.4.25 過去作/『君に目があり見開かれ』のころ


poem 君に目があり見開かれ


同じ部屋にいてもすれちがうたびに体をさわる、3回に1回は君の顎を手にとって、濡れた目をあわせてはキスにもちこむ。そのとき閉じた目をふたたび見開く君の、睫毛が起こす風を、わたしはコンタクトレンズの際の白目で感じる。左手で君の後頭部を下向きにおさえて、君の瞼に唇を当て、睫毛を食む。その口を眉間に移し、肌にふれず産毛のみを下唇で撫でるようにしながら、右腕をきつく背中に這わせる。

そういうことを4ヶ月も続けていると君はわたしに飽きるので、わたしはもう、いつでも君を嫌いになれる。




世界に旅立つわたしとその前後のわたしたちについて 


君はいつだって風邪をひいてしまうから、わたしは君をおいて世界に旅立つだろう。

ゆくさきざきで、わたしは君を思い出す。

カヌレに出会うたびに君に送ろう。ふたつ手に入ればひとつはわたしが食べて、いちいちコメントを紙袋に書いて送ろう。ひとつしか手に入らなかったときはひとくち齧ってから送る、そうすると君はカヌレの、完璧なかたちでないことを嘆いて食べもしない。

シロクマに出会うたび、シロクマとわたしはツーショットで写真を撮って君にあげる。君はツーショット写真の、わたしの部分を人差し指で隠して、そこにじぶんがシロクマといることを想像して微笑むだろう。わたしは、シロクマは大きくて少し黄ばんでいるのがいいんだよと言うけれど君は聞いていない。

君は風邪をひいているから、リクライニングチェアでずっと映画を見ているか本を読んでいて、完璧なカヌレが届くたびにカヌレを食べてシロクマのように太ってしまう。わたしの唾液でかびの生えたカヌレを、食べない君はしかし捨てるごみばこがないから、君の家はカヌレ屋敷になって、近所からの苦情が絶えず、そのたびに君はわたしからもらった完璧なカヌレを配るようになり、痩せおとろえる。

世界に旅立つ前のわたしはふたりでスキーに行きたかった。だぶだぶのスキーウエアでカラフルなシロクマのようになって、君のご指導でめきめき上達し、ほめられて調子にのりたかった。翌日は日常生活に支障がでるほどの筋肉痛で、5割増にかっこよかった君のスキーしてる姿を思い出してすごしたかった。

カヌレは一度君に買ってあげたことがあった。その代わり、君は宅配ピザを食べたことがなくて、わたしと食べたいと言った。しかしふたりで食べたかった宅配ピザをひとりで食べた君に、だから風邪が治らないんだよと言ったわたしの、包丁で切ってしまった薬指に、永遠にもらうことのない指輪の話を、君にはしないようにしていた。

本当は、埼玉県あたりのラブホに君と行き、宅配ピザとカヌレと、ついでにやらとの羊羹を食べたかった、そしてふたりとも風邪でまっしろなシロクマになって、永遠に黄ばみつづければいいと思っていた。



『君に目があり見開かれ』選書フェア用リーフレットより
2014年11~12月に書いたものです

2021年3月27日土曜日

2021.3.27 花見と俳句、俳句と思い出

ここ最近は俳句の並べ替えをしながら文章を書いていたので力尽きてしまった。美容室に行けていないのも原因だが、白髪の勢力がすごい。筋トレもさぼっていたので体脂肪率が増えてきた気がする。月末締め切りの(短いが難しい鑑賞文の)原稿も一文字も書いておらず、確定申告もまだだ。しかしながら、今日は花見に行く。

私の言う花見とは、花時のかんたんな散歩である。もともと花の宴にはそこまで興味がなく、というのもすぐに尿意をもよおすため便所との往復や待ち時間ばかり長くなってだるいのが主な理由だが、ソメイヨシノがきれいという価値観を疑いもしないような友人と楽しく付き合うことにも限界があり、コロナ以前でさえある程度趣向を凝らした宴会以外に顔を出すのは控えていた。

ただし咲いているというだけで缶ビールを飲みながら歩く人間に寛容な社会になるのであればクローンの繁栄もありがたいこと。あるいは、飲み歩く人間の自責の念を霧散させるフェロモンを花が放出しているならそれもよし。とにかく、異界感の演出を引き受けていただけるソメイヨシノさまにおかれましては量が命。そういった気持ちを基盤に俳句を書いてまいりました。

   想像のつく夜桜を見にきたわ  池田澄子


ちょうど去年の3月27日にも日記を書いていたので読んだ。


去年のこの時期よりはいささか穏やかな気持ちでいられていることをありがたく思う。あいかわらず渡航時期は未定だが。

日記や写真を何年かして同じ時期に見返すと、めぐる四季と進む年月が描く螺旋をつよく感じる。そういう感傷は日々の潤いなので、今後も未来における娯楽のために日記を書いたり写真を撮ったりするだろう。一方俳句に関しては、いつ書いたものにもさして懐かしさはない。仮に出土した作品に郷愁をおぼえるとすれば、自らの作家性からは漏れるものとして捨てるのみ。そこで捨てられないものがあるとしたら負けだ……ただし自分に負けることもまた、替えの効かない事態なのかもしれない。そのあたりへの気づきが、最近の作業の成果である。

2021年2月23日火曜日

2021.2.23 今なら言える 外山一機さんへ

2017年9月に刊行された『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(左右社)の3刷ができあがった。


つくったときは全く余裕がなくて反応しかねたが、自分の気分もだいぶ変わっているので、ここで改めて外山一機のnote記事について考えてみたい。

外山一機 2017/09/02
「私的」のままではいられない―『天の川銀河発電所』感想走り書き―

まず、この文章を読むのにはけっこう読解力がいる。「外山が佐藤を批判している」と思った方は、もうちょっと注意深く考えながら読んでほしい。

①佐藤は力不足ながら引き受け、佐藤のアンソロジーとしてはよくやった、しかし公共性をおびるのはどうなのか。
②「俳句を、よろしくお願いします」だなんて僕は言いたくないが、僕もそう言わせたうちの一人かもしれない。
③佐藤は純粋に俳句が好きなようだし、なんか悲しいな。

だいたいこんなかんじだと思う。が、違うかもしれない。もし違うとすると、ここからの文章はてんで見当外れになるが、まぁしょうがない。あと、書かれてないけど、「僕の句の扱いもどうにかならんのか」というのもあったかもしれない。それは、気に入らなかったとしたら、ごめんなさい。

外山の文章は評論とは違うと捉えて、自分の苦手とする評論でこたえることはせず、①から順番に、こたえになるようなならないような、当時のことや思ったことを書く。最後の方は個人的な手紙になってしまったが。

『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』は、2015年に出版された山田航編著『桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表』(左右社)の俳句版を、と、左右社から依頼されてつくることになった本である。依頼された時点で、私が採ることのできる選択肢は4つあった。

A ことわる
A' ことわるが、誰かを紹介する
B' 引き受けるが、誰かに協力をお願いする
B 引き受ける

変な並べ方だけれど、当時の自分に浮かび上がった気持ちのグラデーションからするとこんなかんじだ。結果として、私は、B'を選んだ。

ことわらなかった理由は、これも結論から言うと、「自分以外にやれる人がいない」だった。いや、自分以上にそつなくアンソロジーを編むことができるだろう人は、何人も思いついた。ただ、私に依頼が来た理由は、「新しい俳句のアンソロジーをつくってほしい」であり、思いついた何人かより、客観的に見て、自分の方が新しい句が選べると思った。もちろん、新しい句が選べる人もほかにいる。ただ、そのなかでは、私だけが無職だった。後見人や仲間の協力を得て、新しい仕掛けを考え、私が代表して実務を負うのが、一番現実的だと思われたので、引き受けることにした。

公共のものであるかのようになってしまったのは、俳句と左右社と私、それぞれに原因がある。
 まず、『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』(「新撰シリーズ」と呼ぶ)以降、俳句において若手の網羅的なアンソロジーが出ていないのは大きい。短歌では2018年に『短歌タイムカプセル』が刊行された。アンソロジーはいくつもあれば相対化されるから、これはいいことだと思う。『天の川銀河発電所』刊行から3年半が経とうとしているが、この本を相対化してくれるような新しいアンソロジーはまだ出ていないのでちょっと怖い(ただ、新撰シリーズで止まっていたとしたらもっと怖いから、この本は出てよかったとも思う)。市場の寡占や独占はよくないが、これは私の責任ではない。
 新撰シリーズはパトロンありきでつくられたアンソロジーだが、今回は企画出版なので、左右社は売れる本をつくらなければならなかった。マイナージャンルの本を売るには、そのジャンルの統一された価値によるものであるかのようにつくって、ジャンル外の人に興味を持ってもらう必要があることくらいはおわかりいただけるだろう(あるいは、有名人の監修か編著によるものでないといけない)。ジャンル内の方は、これくらいの惹句については、販売の際店頭で付いた汚れくらいに思っていただきたいものだ。
 短歌が「現代短歌日本代表」であるのに対して「現代俳句ガイドブックにしてくれ」と言ったのは私で、選ばれなかった人が代表落ちみたいになるのを避けるためにそうしたけれど、結果的には「ガイドブック」という言葉で公共感が出てしまったかもしれない。そして私としては、「佐藤文香」という名前では、対外的に、俳句の中にさえも、売れないのが申し訳なかった。

俳句を背負わなくていい、みたいなことは長嶋有にも言われ、そして泣いた。そのエピソードは長嶋有『俳句は入門できる』(朝日新書)にもある。当時、佐藤は俳句を代表したかったのか? そんなことはなかった。じゃあなぜ、「俳句を、よろしくお願いします」だなんていうふるまいを、恥ずかしげもなくやってしまうのか。これについては、ふと、自分で思い出したことがあるので書いておく。

私の祖父は西讃の田舎町に住んでいた。平成の大合併の際、この町も合併を余儀なくされ、多くの町民の意見に反する決定を下しそうな町長がリコールされた。にもかかわらず、次の町長選にまた、元町長が出馬するという。対抗馬がいない。ここで誰か相対的に一番"マシ"な人間が出なければ、元の木阿弥である。そうは言っても、かしこい人や仕事ができる人は選挙になど出ないものだ。
佐藤義憲には、町内での知名度と人望がある。そう考えたのはその妻だった。
当時選挙管理委員長だった私の祖父に、祖母は「あんたが出な」と言った。70歳を過ぎた、政治の知識も経験もないおじいさんだったが、合併の方針を変えるための町民の一時的な代表としては、役に立つだろう。そうして祖父は選挙に勝ち、無事三野町は合併して三豊市になって、祖父は三野町史最後の町長として短い任期を終えた。

「二十一世紀は短歌が勝ちます」という短歌アンソロジーに対抗するかたちで、「俳句を、よろしくお願いします」と、浅はかな、あるいは悲しいプロレスを興業するとして、かしこい人や仕事ができる人を、まさかリングに立たせるわけにはいかないだろう。その人たちはそれぞれの仕事をするべきだ。私には祖母の血も流れているから、ここで無職の自分が代表して見せるという役割分担が、自分の程度を考えればお似合いという判断を下した。
『天の川銀河発電所』が刊行されて、私は任期を終えた。選挙とは違って、勝ち負けがないのはありがたかった。いや、短歌のアンソロジーは出たのに、俳句のアンソロジーは刊行されない、という可能性だってあった。それこそ、不戦敗だ。
このころの自分は、何かと自分がジャンルの際に立つことで、外山ほか作家それぞれの仕事を敬い、守るような気持ちだった。これは当時、うまく言えなかったことだ。

ここだけ、外山のnoteから引用する。

(前略)たんに俳句が好きで、俳句をしている君が好きなのだ、という素朴な告白である。佐藤はこんなふうに俳句と向き合っているのだろうか。とすれば、佐藤が「俳句を、よろしくお願いします」などと書かねばならない今日の状況が、僕にはいよいよ悲しいものに思われてならない。

外山は、作家として、俳句なんて書きたい人だけがやっていればいい、別に裾野を広げなくたっていい、そう思うことも多いだろう。作品かそれ以上に評論も書き、俳句のジャンルの中心の仕事に貢献している。しかし一方で、高校の国語の教員として授業でちょこっと俳句を教え、俳句甲子園に引率をし、わざわざ部活にゲストとして佐藤を呼び、卒業した生徒が佐藤の句会に出たりしていると聞いて嬉しそうにしている。好きですよ、そういうところ。
私だって、本当は、自分が俳句を書いて、読める人に読んでもらえればそれでいいと思っている。でも、それにしては私たち、俳句を愛しすぎている(嫌いすぎてもいる)。そう思いませんか。
学校の専任の先生が、教科やクラス以外に、生徒会や部活動を担当しなければならないように、私たちは今、俳句の専任だから、俳句を書く以外に、そのときそのときなにかしら担当するのは、デフォじゃないですか。たまたま、私は、あのときそういう担当だっただけ、必要ないことまでしたかもしれないけど、思慮深くないのはいつものことです。
また、いろいろ教えてください。頼りにしています。

  僕は季語ここは湖みたいに明るい  外山一機
  赤紙をありったけ刷る君に届け
               『天の川銀河発電所』より

2021年2月21日日曜日

2021.2.21 学校体育大好き人間の現在

また運動のことを書く。

承前
翻車魚ウェブ;俳句無酸素運動説 (2020.4.15)


自分は高校時代、好きな科目を聞かれるといつも体育と答えていた。国語より断然好きだった。評定(通知表の成績)も、体育大学に行く子の次くらいによかったらしいので、得意と言っていいと思う。

好きで得意だったので、ツイッターなどで学校の体育への不満がまわってくるにつけ、悲しい気分になる。だって、体育、あんなに楽しかったのに。バレーもバスケも、水泳も柔道も、障害走も持久走も。

でも、学校の体育が好き・得意、といえるためには、

①運動が好き・得意
②体育で扱う種目が好き・得意
③集団行動、同級生が好き
④体育の先生が好き
⑤学校が好き

これらがすべて揃わないといけない、と気づいた。運動が好きでも学校が嫌いだと体育を好きになりようがないし、同級生と仲が良くても球技全般が苦手だと体育は厳しい。だいたい高校生にもなって、④先生が好き、⑤学校が好き、などという無邪気な人間は、将来ものを書こうだなんて思いようがないから、自分のまわりにいないのは当然ともいえる(私もまさか自分がなにか書くことを仕事にするようになるだなんて思っていなかった)。

私はといえば、俳句部だったが、いつも体育が楽しみだった。中学時代バレー部だったから球技はだいたいできて、誰にでもやさしく声もでかいから、いつだってチームのムードメーカーだった。高校3年のときの春のリレーカーニバル・秋の運動会ではどちらもリレーで200m走り、どちらでも1人抜いた。生徒会をやっていたから体育教官室にいつも出入りしていて(生徒会担当は必ず体育教師だった)、どの先生とも仲がよかった。さらに高校3年の1年間は皆勤賞だ。(自分が教員だったら、こんな生徒はちょっと気持ち悪いと思う)

なのに、大人になったら体育が得意なことは役に立たなかった。
ボウリングも、ダーツも、ビリヤードも、あんまり上手にできなかったし、それどころかうまく就職もできず、バイトも続かず、酒を飲むくらいしか楽しみがなくなった。本を読むのはもともと苦手だ。

でも、最近は、自分の元気な気持ちのために、走れるようになった。走っているとき、体育が好きだったことを思い出す。高校のときの自分は、クラスメイトからは若干浮いていただろうが、緑の短パンで楽しそうだ。今も、ものを書く人のなかでは若干浮いていると思うが、自分が楽しいのでよい。


0歳のときに川崎病で入院して、この子はもう体育はできないかもしれない、と言われたというその子が、35歳になっても元気で、走っているというだけで、いいだろう。

2021年1月31日日曜日

2021.1.31 日本語自由詩と日本語定型詩

なんとなく一ヶ月に一度このブログを更新することにしていて、今月はまだで、今日が今月の最後の日で、あっという間に今年も12分の1が終わるなどと思い、こういうみんなが思うようなことを思ってどうすると思い。再びの緊急事態宣言により大好きな誰かとの外食(この場合の「大好きな」はどちらにかかるか)が封じられ、作品も書けず、仕事も滞っている。

去年のおわりごろにやっていた英語の詩の音読を中断してしまったのは、句集をつくりはじめたからというのと、日本の現代詩に興味がわいたからというのがある。それはそれでいい。英語は忘れてもまたやればいい。

これまで現代詩は三角みづ紀、文月悠光、大崎清夏、岡本啓、鈴木一平あたりを読んでいたのだが、今回またいろいろ読もうと思ったきっかけは石松佳『針葉樹林』で、岡本啓『ざわめきのなかわらいころげよ』も出て、これはうまくジャンルの更新の時期にあたったなと。ちょうど『現代詩手帖』2月号が新しい雰囲気をざっと摑むのにちょうどよく(詩と書評しか読んでないけど)、なるほどかっこいいなと感じている。

これらの詩を現代詩、と呼ぶのがいいのかはわからない。自分も詩を書いてみることがあるけれど現代詩を書いているとは思わない。575で季語が入ってれば俳句じゃん、と外の人に思われ、まぁそうだけどそうじゃないんだよと我々が思うように、詩っぽければ詩じゃん、現代の詩は現代詩じゃん、でいいとはやはり思えない。2021年現在の現代詩のコードが知りたいのでもう少しいろいろ教わりたい。個人的には、現代詩の難しい部分のうち難しくしかひもとけない部分をのぞいて、翻訳可能な部分について多少粗くても仲間に共有していきたい。そういうことを聞いて考えるのに飲み屋での雑談はぴったりで、私は大人になってからすべてのことをそうやって飲み友達に教わってきたんじゃないか。知らないことの飛沫を浴びるために酒はある。つまみも。

現代詩を読もうと思ったのはもうひとつ理由がある。私が今度携わるイベントの告知文を書くときに、これは私の卑屈な思い込みなのかもしれないが、どうしても今まで「(日本の)詩」というジャンルの下の階層(または特殊型)に「短詩型」として俳句・短歌・川柳が置かれている気がして、新しい句集と歌集のイベントに「短詩型」という言葉を用いない方法を考えたのだ。アメリカ詩や漢詩(小津夜景『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』)を少し読んでみて、自由詩と定型詩は並列であるべきなのではないかと感じたことを思い出し、「日本語定型詩」という言葉を思いついて、そうしてみた。



自分はずっと日本語について考えていて、そのうちの詩、のうちの定型詩、のうちの俳句、というつもりで書いていて、それぞれ面白い、作家はみな同士と思っているから、同じように言葉の作品をつくる同士、と思ってくださる方には聞いてほしいイベントです。鴇田智哉と永井祐はずっと慕っている定型詩の作家ですばらしい友人たち。鴇田さんと永井さんは今回初対面らしく、結びつけることができたことで私の仕事は8割終わっていて、残り2割も裏方でよく、当日はとくに出演する必要もないが、「笑点」でも座布団運びが画面に映ることで和むみたいな効果はあると思うので、(私に興味のない方も)そのようなつもりで安心しておふたりの話を聞いていただければと思う。

いうれいは給水塔をみて育つ
草の穂ははるかな舟を患へり
たくたくと鳴るのも檸檬きみどりの
tttふいにさざめく子らや秋
海苔あぶる額に海苔の風が来る
星が流れると誰かの目にかはる
あらすぢが見ゆ河骨のあかるみに
        鴇田智哉『エレメンツ』より
 
よれよれにジャケットがなるジャケットでジャケットでしないことをするから
寝てしまうならすぐに帰ればよかったな 飛行機と公園の一日
メールしてメールしている君のこと夕方のなかに置きたいと思う
セロテープカッター付きのやつを買う 生きてることで盛り上がりたい
遠くにあるたのしいことの気配だけ押し寄せてきてねむれない夜
                   永井祐『広い世界と2や8や7』より



自分の句集については3000句から900句まで絞る作業が終わり、そこでちょっと頓挫しているが、2月に入ったらここから600句くらいまでは減らしながら構成していく。1冊目と2冊目あわせても400句いかない自分にとってはつまり、3冊目でけっこうなオオモノをつくる意気込みで、それを誰かのためでなくがんばるなんて、そうとうなパワーがいるから、こういうときほど誰かに会いたい。パワーをくれ。