2017年4月6日木曜日

2017.4.6 かけがえがないので交遊録だって書かざるを得ない

昨日は午前中カフェで仕事をしたのち、昼はパンを買って近所の公園に行った。家族連れで溢れる桜の下、ひとりでベンチであんクロワッサンとチキンのピタを食べた。鳩が来たのでパンを少しやったら4羽も来た。鳩に餌をやりまくるおばさんの意味がわかった気がした。気分がよかったのでPCを開き公園で少し仕事をした。帰宅して野菜を茹でて、また頭痛になったので少し寝た。

もともとは夫が飲み会だと言っていたから、じゃあ花見にでも行ってくるとれなりんを誘い、そしたら日帰り出張が入ったと言うので、ならば出張帰りの時間にあわせて一緒に帰れるかなと期待したのも束の間、出張から帰った夫はそのまま職場に行ってまた仕事だというので、あーあと思いながら浅草へ向かった。れなりんと鞆彦さんと酒屋の角打で飲んだあと、仕事がはやく終わったという惣一郎と雷門で待ち合わせ、隅田川沿いを歩いてりゅーたんと合流した。敷物などは持ってきていなかったので、5人でビールを飲みながら歩いた。桜は満開で、そこまで寒くもなく、夜桜を見る日としては最高だった。私は夫の父親がくれた甘栗の大袋(小袋が6つ入っている)を持参して、皆に小袋を配布した。歩きながら鞆彦さんがここはハッテン場で危険な目にあった、などと話してくれた。皆で写真を撮っては夫に送った。
二軒目に行く流れになったあたりで頭痛がひどくなりだしたので、さきに帰宅した。浅草からだと東武線で北千住乗り換えなので、柏はわりと近い。頭痛でそのまま布団に入ったらいつの間にか寝ていて、夫はやはりタクシーで帰宅した。

交遊録的なことを書いたりせずにいたい、というのを誰かが書いていてそうだとも思ったし、仕事でアンソロジーのことなどやっていると、つくづく誰とも友達でなければどんなにラクかと思うのだが、今の私にとっては友達といることを書かずにおくことは少ない喜びを減らしてしまうことになるので書くことにした。大好きな誰かといられることが直接幸せに結びつく。その記憶を反芻でもしなければ生き難い。

去年まで桜は別に好きではなく、今だって梅の方が好きで、ソメイヨシノのぞっとする感じはいまだにいただけないのだが、今年はとにかく淋しいので、桜の下にいれば誰かと心がつながる気がして、毎日桜を見るたびに慰められている。
父によると、昨日西日本で一番遅く、鹿児島で桜が開花したらしい。満開は15日だという。われわれの結婚式は、その日に鹿児島でやる予定だ。天気がよいといい。