土日は夫と過ごした。
土曜日はまず夫に俳句月評の相談に乗ってもらう。最後の一文が決まらず、ふたりで悩み、夫も案を出してくれたりした。
午後は夫は眼科に行き、そのあと落ち合って、サカゼンで夫のスーツを買った。サカゼンに入るとすぐに結構年配のおじさんが夫の腹回りを測ってくれる。そしてこのサイズから選ぶようにと促す。丈を詰めるのもささっと手配してくれて、非常に満足な接客。ただしそのおじさんはレジ打ちは若い子にやらせていた。きっとあれは百貨店なんかでずっとスーツを売っていた人が再就職したのだろう、サカゼンもなかなかいい、と思った。でももしかすると働き者の店長とかかもしれない。
ユニクロでふたりの普段着を買い、本屋で6冊購入。
私は
平田俊子『低反発枕草子』(幻戯書房)
絲山秋子『離陸』(文春文庫)
マデリン・パケット ジャスティン・ハマック『The WINE』(日本文芸社)
夫は
太田肇『なぜ日本企業は勝てなくなったのか』(新潮選書)
天野祐吉編・南伸坊絵・正岡子規著『笑う子規』(ちくま文庫)
現代俳句協会編『昭和俳句作品年表(戦後篇)』(東京堂出版)
なお、すべて支払いは夫のクレジットカードから。
夕飯は駅前の回転寿司。こちらは私のおごり。
私はエンガワ、生ダコ、鮟肝巻きなど、夫は玉子、ネギトロ、サーモンガーリック炙りなどを食べた。
魚の好みは、夫よりも、後からふたつ隣の席についたおじさんの方が私と似ていた。
日曜日もまずは私の仕事のことを考えた。アンソロジーの小論がまったく進まないのでどうするかを考えていて、座標に分布させる案を夫に言うと、すぐさま座標をパワーポイントでつくってくれ、知っている俳人の名前を適当に分布させて見せてくれた。
イオンモールへ。夫は処方箋薬局で目薬をもらい、私はわくわく広場でクレソンと小蕪と長葱を買う。そして私の枕を購入。枕について、詳しくは「鏡」24号(次号)のエッセイをご覧ください。
土曜の朝昼、日曜の朝昼晩の食事は私がつくった。それが当然であるということに改めて驚くとともに、なぜできるようになったか検証した。
一人暮らしのときは昼セブンイレブン、夜は飲みに行く、みたいな人間だった。もちろん、ふたりいるから相手のためにつくる、というのはあるのだが、今までは彼氏がいても毎日つくるということにはならず、よくふたりで飲みに行っていた。それがなぜ、朝起きたらスクランブルエッグをつくり、昼になったらうどんをつくり、夜は蕪のスープと牛肉とネギのすき焼き風をつくれるようになったのか。
考えた結果、「私が食事をつくると信じている人がいるから」だろうと思った。味に期待はせず、しかし私がなにかしらつくると疑わない。なるほど、「今晩は彼女の手料理!なにかおいしいものをつくってくれるかもしれない」というのと逆だ。うちはもう、夫は仕事、私は家事をすることに決まっている。ただし私も少し仕事をするし、夫はゴミ出しとクリーニングに服を持っていく係、土日の買い物では荷物を持ってくれる。それは、夫が男で私が女だからではなく、単純にお金を稼ぐ適性がある人が仕事に行くという分担だ。もし私がバリバリ働ければ、私は別に家事が得意というわけではないので、自分より家事の得意な人と結婚したかもしれない。
夫は土日の隙間時間すべて三国志13をやっていたが、夜はやる気が出たようで仕事をしていた。私は時折呻いたりしながら「鏡」24号の作品をまとめてエッセイを書いた。