15日土曜日の続き。
天気はよく、結婚式は無事に終わった。
とくに期待していなかった自分のウエディングドレス姿もそんなに悪くなかったし(エステは功を奏した)、夫は若干緊張して壇上で眼鏡を曇らせていたもののどうにかなった。私はまったく緊張せず、ずっとにやにやしていた。終わったあと神父さんが「新婦の方(の親族)は(聖歌を歌うときに)よく声が出ていましたね、歌がうまい人が多い」と言った。それもそのはず、うちの妹夫婦はアカペラサークルで出会ってまだアカペラをやっているし、うちの両親もカラオケ好き、おばあちゃんでさえコーラスをやっている。
教会を出たところでフラワーシャワーを浴びるというとき、親族が8人しかいないので、そのへんのスタッフさんが何人も来てくれて花びらを振りかけてくれたので嬉しかった。
話が合わなかったらどうしようと懸念していた食事会も和やかにすすみ、AIは俳句をつくるかなどの話になって、「最新の俳句といえば〈ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ〉(田島健一)っていうのがあるんですよ、これなんかは、なかなか、今までの俳句のやり方をインプットするだけではできない句です」という話もした。
食事会の最後にうちの祖母が急に「なぞなぞを出します」と言い出した。「上野には浴衣の西郷さんがいます。さあ、西郷さんは何向きでしょう」……「正解は夏向きです」。祖母はわりとおしゃべりなわりにそれまで静かにしていた。その間これを考えていたのかと思うと何度思い出しても笑えた。
食事会のあとは妹夫婦を誘ってバーへ。待ってましたとばかりにうちの両親も来て6人で二次会。うちの母とわが夫は柴田元幸の話などをしていた。
部屋に帰ってやはり疲れていたのか、新郎新婦ともにパンツ一丁で寝ており、ふたりで3時ごろ起きて洗顔や歯磨きなどをした。外は雷雨だった。
16日日曜日。
相変わらずひどい天気で竜巻注意報まで出て、飛行機が飛ぶか心配だったが、11時ごろには晴れた。鹿児島中央駅で少し時間をつぶし(ここでも夫は紀伊國屋でなにか本を購入していた)、空港へ。示し合わせたわけでもないのに、妹夫婦とは帰りの飛行機が一緒で、席も前後だった。羽田からは直接小石川後楽園・涵徳亭へ。週刊俳句の10周年記念オフ会。夫も連れて行ったら、皆さんに祝ってもらって恐縮した。結婚後佐藤文香は私のペンネームになったわけだが、本名は基本的に非公開なので夫に名字を名乗らせないようにした。夫はトオイダイスケさんと話してもらっていたので、安心して適当に何人かと話した。鹿児島の焼酎の古酒を買って持って行ったが、食べ物が少なかったので薩摩揚げにすればよかったかもしれない。二次会は出ず、新御徒町から流山おおたかの森経由で柏に帰宅。
17日月曜日。
PCの電源コードを宅急便に入れてしまったことがわかり、仕事をするのを諦めて散歩。流山おおたかの森S・C(ショッピングモール)に行くがとくに興味あるものはなく、ららぽーと柏の葉まで行くがいまいちで、サンマルクカフェに入ってチョコクロを食べ、わくわく広場(ここにもあった)で野菜を買って終わった。
柏に着いて夕飯をつくる気がなくなったので、高島屋の地下で惣菜とワインを購入して帰宅。雨に降られた。ローストビーフと赤ワインでひとりの夕飯。祖母と夫の実家、うちの実家にお礼の電話。祖母が、「本当は謡曲をうたおうと思っとったけど、謡用の扇を忘れたでやめといた」と言うので驚いた。来年の妹の結婚式ではなぞなぞでは済まず謡をやるのではないかと不安だ。夫はちゃんと朝から仕事に行き、23時ごろに帰宅。
18日火曜日。
リハビリの担当者が若い男性に変わってあまりよくなくなった。プロの仕事というのは普通全体の把握から入ると思うのだが、細部をどうかなどうかなと押されるだけなので「違います」「もっと強く」など言うのみ。怖い人だと思われただろう。前の担当の小林さんもいたが、代わってほしいと言えないのは残念だった。帰りに、前から行こうと思っていた雰囲気のいいカフェに行ったが期待したほどではなかった。
ヤオコーで芹や筍などを買って帰り、夕飯をだいたいつくって、山下澄人『しんせかい』を読みながら宅急便を待つ。『しんせかい』はよかった。初めから最後まで、固有名詞としての「天」が効いている。読んだところで宅急便が到着し、開封。ホテルで捨てるのは忍びなかったブーケは、少し茶色くはなっていたがまだ見られるので脚立に飾った。
PCと電源コードを持ってタリーズへ。滞っていた諸連絡を終えただけで満足してしまい仕事をやる気は出ず。何もかも明日からにしよう。