また運動のことを書く。
承前
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自分は高校時代、好きな科目を聞かれるといつも体育と答えていた。国語より断然好きだった。評定(通知表の成績)も、体育大学に行く子の次くらいによかったらしいので、得意と言っていいと思う。
好きで得意だったので、ツイッターなどで学校の体育への不満がまわってくるにつけ、悲しい気分になる。だって、体育、あんなに楽しかったのに。バレーもバスケも、水泳も柔道も、障害走も持久走も。
でも、学校の体育が好き・得意、といえるためには、
①運動が好き・得意
②体育で扱う種目が好き・得意
③集団行動、同級生が好き
④体育の先生が好き
⑤学校が好き
これらがすべて揃わないといけない、と気づいた。運動が好きでも学校が嫌いだと体育を好きになりようがないし、同級生と仲が良くても球技全般が苦手だと体育は厳しい。だいたい高校生にもなって、④先生が好き、⑤学校が好き、などという無邪気な人間は、将来ものを書こうだなんて思いようがないから、自分のまわりにいないのは当然ともいえる(私もまさか自分がなにか書くことを仕事にするようになるだなんて思っていなかった)。
私はといえば、俳句部だったが、いつも体育が楽しみだった。中学時代バレー部だったから球技はだいたいできて、誰にでもやさしく声もでかいから、いつだってチームのムードメーカーだった。高校3年のときの春のリレーカーニバル・秋の運動会ではどちらもリレーで200m走り、どちらでも1人抜いた。生徒会をやっていたから体育教官室にいつも出入りしていて(生徒会担当は必ず体育教師だった)、どの先生とも仲がよかった。さらに高校3年の1年間は皆勤賞だ。(自分が教員だったら、こんな生徒はちょっと気持ち悪いと思う)
なのに、大人になったら体育が得意なことは役に立たなかった。
ボウリングも、ダーツも、ビリヤードも、あんまり上手にできなかったし、それどころかうまく就職もできず、バイトも続かず、酒を飲むくらいしか楽しみがなくなった。本を読むのはもともと苦手だ。
でも、最近は、自分の元気な気持ちのために、走れるようになった。走っているとき、体育が好きだったことを思い出す。高校のときの自分は、クラスメイトからは若干浮いていただろうが、緑の短パンで楽しそうだ。今も、ものを書く人のなかでは若干浮いていると思うが、自分が楽しいのでよい。
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0歳のときに川崎病で入院して、この子はもう体育はできないかもしれない、と言われたというその子が、35歳になっても元気で、走っているというだけで、いいだろう。