2021年2月23日火曜日

2021.23 今なら言える 外山一機さんへ

2017年9月に刊行された『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(左右社)の3刷ができあがった。


つくったときは全く余裕がなくて反応しかねたが、自分の気分もだいぶ変わっているので、ここで改めて外山一機のnote記事について考えてみたい。

外山一機 2017/09/02
「私的」のままではいられない―『天の川銀河発電所』感想走り書き―

まず、この文章を読むのにはけっこう読解力がいる。「外山が佐藤を批判している」と思った方は、もうちょっと注意深く考えながら読んでほしい。

①佐藤は力不足ながら引き受け、佐藤のアンソロジーとしてはよくやった、しかし公共性をおびるのはどうなのか。
②「俳句を、よろしくお願いします」だなんて僕は言いたくないが、僕もそう言わせたうちの一人かもしれない。
③佐藤は純粋に俳句が好きなようだし、なんか悲しいな。

だいたいこんなかんじだと思う。が、違うかもしれない。もし違うとすると、ここからの文章はてんで見当外れになるが、まぁしょうがない。あと、書かれてないけど、「僕の句の扱いもどうにかならんのか」というのもあったかもしれない。それは、気に入らなかったとしたら、ごめんなさい。

外山の文章は評論とは違うと捉えて、自分の苦手とする評論でこたえることはせず、①から順番に、こたえになるようなならないような、当時のことや思ったことを書く。最後の方は個人的な手紙になってしまったが。

『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』は、2015年に出版された山田航編著『桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表』(左右社)の俳句版を、と、左右社から依頼されてつくることになった本である。依頼された時点で、私が採ることのできる選択肢は4つあった。

A ことわる
A' ことわるが、誰かを紹介する
B' 引き受けるが、誰かに協力をお願いする
B 引き受ける

変な並べ方だけれど、当時の自分に浮かび上がった気持ちのグラデーションからするとこんなかんじだ。結果として、私は、B'を選んだ。

ことわらなかった理由は、これも結論から言うと、「自分以外にやれる人がいない」だった。いや、自分以上にそつなくアンソロジーを編むことができるだろう人は、何人も思いついた。ただ、私に依頼が来た理由は、「新しい俳句のアンソロジーをつくってほしい」であり、思いついた何人かより、客観的に見て、自分の方が新しい句が選べると思った。もちろん、新しい句が選べる人もほかにいる。ただ、そのなかでは、私だけが無職だった。後見人や仲間の協力を得て、新しい仕掛けを考え、私が代表して実務を負うのが、一番現実的だと思われたので、引き受けることにした。

公共のものであるかのようになってしまったのは、俳句と左右社と私、それぞれに原因がある。
 まず、『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』(「新撰シリーズ」と呼ぶ)以降、俳句において若手の網羅的なアンソロジーが出ていないのは大きい。短歌では2018年に『短歌タイムカプセル』が刊行された。アンソロジーはいくつもあれば相対化されるから、これはいいことだと思う。『天の川銀河発電所』刊行から3年半が経とうとしているが、この本を相対化してくれるような新しいアンソロジーはまだ出ていないのでちょっと怖い(ただ、新撰シリーズで止まっていたとしたらもっと怖いから、この本は出てよかったとも思う)。市場の寡占や独占はよくないが、これは私の責任ではない。
 新撰シリーズはパトロンありきでつくられたアンソロジーだが、今回は企画出版なので、左右社は売れる本をつくらなければならなかった。マイナージャンルの本を売るには、そのジャンルの統一された価値によるものであるかのようにつくって、ジャンル外の人に興味を持ってもらう必要があることくらいはおわかりいただけるだろう(あるいは、有名人の監修か編著によるものでないといけない)。ジャンル内の方は、これくらいの惹句については、販売の際店頭で付いた汚れくらいに思っていただきたいものだ。
 短歌が「現代短歌日本代表」であるのに対して「現代俳句ガイドブックにしてくれ」と言ったのは私で、選ばれなかった人が代表落ちみたいになるのを避けるためにそうしたけれど、結果的には「ガイドブック」という言葉で公共感が出てしまったかもしれない。そして私としては、「佐藤文香」という名前では、対外的に、俳句の中にさえも、売れないのが申し訳なかった。

俳句を背負わなくていい、みたいなことは長嶋有にも言われ、そして泣いた。そのエピソードは長嶋有『俳句は入門できる』(朝日新書)にもある。当時、佐藤は俳句を代表したかったのか? そんなことはなかった。じゃあなぜ、「俳句を、よろしくお願いします」だなんていうふるまいを、恥ずかしげもなくやってしまうのか。これについては、ふと、自分で思い出したことがあるので書いておく。

私の祖父は西讃の田舎町に住んでいた。平成の大合併の際、この町も合併を余儀なくされ、多くの町民の意見に反する決定を下しそうな町長がリコールされた。にもかかわらず、次の町長選にまた、元町長が出馬するという。対抗馬がいない。ここで誰か相対的に一番"マシ"な人間が出なければ、元の木阿弥である。そうは言っても、かしこい人や仕事ができる人は選挙になど出ないものだ。
佐藤義憲には、町内での知名度と人望がある。そう考えたのはその妻だった。
当時選挙管理委員長だった私の祖父に、祖母は「あんたが出な」と言った。70歳を過ぎた、政治の知識も経験もないおじいさんだったが、合併の方針を変えるための町民の一時的な代表としては、役に立つだろう。そうして祖父は選挙に勝ち、無事三野町は合併して三豊市になって、祖父は三野町史最後の町長として短い任期を終えた。

「二十一世紀は短歌が勝ちます」という短歌アンソロジーに対抗するかたちで、「俳句を、よろしくお願いします」と、浅はかな、あるいは悲しいプロレスを興業するとして、かしこい人や仕事ができる人を、まさかリングに立たせるわけにはいかないだろう。その人たちはそれぞれの仕事をするべきだ。私には祖母の血も流れているから、ここで無職の自分が代表して見せるという役割分担が、自分の程度を考えればお似合いという判断を下した。
『天の川銀河発電所』が刊行されて、私は任期を終えた。選挙とは違って、勝ち負けがないのはありがたかった。いや、短歌のアンソロジーは出たのに、俳句のアンソロジーは刊行されない、という可能性だってあった。それこそ、不戦敗だ。
このころの自分は、何かと自分がジャンルの際に立つことで、外山ほか作家それぞれの仕事を敬い、守るような気持ちだった。これは当時、うまく言えなかったことだ。

ここだけ、外山のnoteから引用する。

(前略)たんに俳句が好きで、俳句をしている君が好きなのだ、という素朴な告白である。佐藤はこんなふうに俳句と向き合っているのだろうか。とすれば、佐藤が「俳句を、よろしくお願いします」などと書かねばならない今日の状況が、僕にはいよいよ悲しいものに思われてならない。

外山は、作家として、俳句なんて書きたい人だけがやっていればいい、別に裾野を広げなくたっていい、そう思うことも多いだろう。作品かそれ以上に評論も書き、俳句のジャンルの中心の仕事に貢献している。しかし一方で、高校の国語の教員として授業でちょこっと俳句を教え、俳句甲子園に引率をし、わざわざ部活にゲストとして佐藤を呼び、卒業した生徒が佐藤の句会に出たりしていると聞いて嬉しそうにしている。好きですよ、そういうところ。
私だって、本当は、自分が俳句を書いて、読める人に読んでもらえればそれでいいと思っている。でも、それにしては私たち、俳句を愛しすぎている(嫌いすぎてもいる)。そう思いませんか。
学校の専任の先生が、教科やクラス以外に、生徒会や部活動を担当しなければならないように、私たちは今、俳句の専任だから、俳句を書く以外に、そのときそのときなにかしら担当するのは、デフォじゃないですか。たまたま、私は、あのときそういう担当だっただけ、必要ないことまでしたかもしれないけど、思慮深くないのはいつものことです。
また、いろいろ教えてください。頼りにしています。

  僕は季語ここは湖みたいに明るい  外山一機
  赤紙をありったけ刷る君に届け
               『天の川銀河発電所』より