昨日はトオイダイスケさんのライブに行ったのだが、ふたりで1時間ずつというやつで、前半の人が酷すぎて危うく野次を飛ばすところだった。ジャズピアノを教えているというが作曲が専門だと言う。どうやらアメリカの大学に行ったことが人生の頂点だったようだ。手が動かないから長い話をすると言う。長い話がまったく面白くないし同じことを何度も言う。ジャズは飲みながらやってもいいからビールは6杯目だと言う。演奏がうまけりゃそりゃ何杯飲んだってかまわないが少なくともジャズには聴こえない、発表会レベルだったので、みんな辟易していた。ジャズはこういうのもアリ、敷居が低いとわかってもらえれば嬉しいです、と言っていたが、素人だと思ってなめないでください。素人ですが鍵盤のタッチひとつでプロかどうかくらいわかるよ。
トオイダイスケは最高。1曲目でもうさきほどのアレを忘れさせてくれた。トオイさんの演奏はけっこうパワーがあって官能的。私はご飯と芸術に関しては、いいものにしか金を払いたくない。
今日は三菱一号館美術館で「オルセーのナビ派展」を見た。期待通りかなりいい展示で、というか私はこの美術館が好きなので、本来ならば夫とのデートで行くつもりだったのだが、夫が忙しいからいつになるかわからないと思って、まぁ美術館は平日が吉だし、よかった。
特に気に入ったのはセリュジエ「タリスマン、愛の森を流れるアヴェン川」、マイヨール「女性の横顔」で、ボナールの作品がどれもよかった(たしかあのヌードもボナールだったと思う、あれもよかった)。途中肖像画の章で「ナビ派の画家たちは、作品の内部に内面性というフィクションを提示することで、親密さの詩情というものを作り上げたのである」ということが書かれており、この説明を書いた人いいなと思った。
本当なら今日は俳句文学館で調べ物をするはずだったけれど昨日昼寝で寝違えた首が痛くて調べ物ができる気分でなく美術館に行ったわけだが、ふつうの職業ならそういうことは許されないわけで、それを思って東京駅で泣いていた。春になれば、風邪が治れば、バリバリ仕事ができるような気がしていたがそんなことはない。自分はバリバリ仕事ができたりすることはもう一生ない、それを忘れずにいなければ、ふつうにできないことに毎日泣いたりして好きな人に迷惑をかけ続けることになる。仕事はいかに調子がよくても一日せいぜい4時間が限度であり、できない日はほとんどできないけれど、そんな人間でも生存することは許されているというのを毎日自分に言い聞かせ続けなければならない。
昨日の午後くらいから夫に何かプレゼントをしたいという気持ちが強まり、昨日は柏の高島屋や今日は東京駅付近でいろいろ見てみるのだが、これというものは見つからなかった。東京駅構内の日本百貨店にも真工藝のぬいぐるみが置いてあることを発見して少し嬉しくなった。
帰宅して買い物に行き、ボルドーの白ワインを飲みながら苺とせとか(柑橘)を食べている。近所の公園の桜が咲き始めていて、この大したことのない公園で夫とよなよなエールでも飲みながら小一時間花見ができたらどんなに幸せだろうかと思った。明日明後日ぐわっと咲けばそれも叶うかもしれない。