2023年9月2日土曜日

俳句甲子園、学校との関わり方の話(灘校編)

岩田奎さんの「週刊俳句」(2023.8.27)の記事

俳句甲子園で(再現性をもって)勝つ方法

を読み、2023年、第26回俳句甲子園で灘高等学校に関わった私のケースについて書きたくなったので、顧問の森本先生の許可をいただいて、少し書かせていただくことにしました。

⒈ 前置き

私は愛媛県立松山東高校在学中第4回・5回俳句甲子園に出場し(高校2年で引退)、東京の大学に進学、俳句を続けました。卒業後すぐに第一句集を刊行したはいいものの、就職がうまくいかず、大学卒業後2年目、3年目(2009,2010年)を実家のある松山で暮らし、そこで当時俳句甲子園に初出場となる松山西中等教育学校の指導にあたりました。このときは毎週土曜日に指導に通い、自転車で吟行、ファミレスで粘って句作など、かなりがっつり一緒にやりました。私も若かったですし笑、楽しかったです。

その後東京に帰ってからは「俳句甲子園OBOG派遣事業」という松山市の事業にかかわり、メイン講師として、全国各地で簡単なワークショップと対戦形式の講座をやっていました。今まで参加したことのなかった学校の参加を促す事業でしたが、大会への参加を決めている高校生にとっても、比較的年の近い先輩たちにアドバイスしてもらえる、他校と交流できるなど、いい仕組みだと思います(現在は自分より若いOBOGに講師業務を引き継ぎ、私は退いています。コロナ禍で中断していたものの、また開催されるようです)。

ほぼ同時期(2012年)から毎年「灘校土曜講座」という、社会人が土曜日に来て話をする講座に講師として呼んでいただいていて、これは今も年に1回やらせてもらっています。午前中に講座をやって、午後は有志で句会です。

2013年(10年前!)は灘校の俳句甲子園初出場に際して、少しお手伝いをしました。その当時すでにSkypeを繋いで深夜まで話していたことを思うと、わりと先端的だったかもしれません。それ以後、灘校の文藝同好会には毎年いろいろな生徒が入れ替わり、俳句甲子園は全国大会に進めたり進めなかったりといったかんじ。ずっと顧問は森本先生ですが、先生が先頭に立ってチーム一丸となって……ということはなさそうです。完全に生徒次第。とても健全なことだと思います。

⒉ 大会まで

さて、今年の地方大会のあと、森本先生より「大垣大会で灘A・Bチームとも優勝しました!」とご連絡がありました。聞くと去年の土曜講座に参加してくれていた面々が活躍したとのこと。去年の午後の句会には文藝同好会所属の生徒だけでなく、その日の土曜講座から流れて参加してくれた子もいて、そこで勧誘されて俳句甲子園に出場するに至ったというのだから、嬉しいですね。

森本先生は充分俳句のよしあしのわかる先生なので、指導の質に心配はなかったのですが、私が思ったのは「単純に大人の人手が足りないのではないか」ということでした。やはり1チーム(5人、補欠を入れると6人)に1人程度は大人のまとめ役が必要だと思います。どんなにチームに俳句をよく知っている生徒がいたとしても、予選で使う句を選んだり、順番を決めたりといった交通整理には客観的に見られる大人がいた方がいい。地域の方や他の灘校の先生についてもらってもいいですが、もし必要なら、と前置きした上で、よかったら手伝いましょうかと申し出ました。そうして、先生と方法や条件などを話し合い、全国大会の選句をサポートすることになりました(母校でない学校の指導にあたる場合はどこまで関わるかなど、大人同士の信頼関係も大切です)。

遠隔なので、まずZoomで挨拶だけして、Aチーム・Bチームそれぞれでスプレッドシートを共有、生徒がどんどん句を書き込み、私と森本先生はどちらのチームの作品も見て、○とかコメントをつけていく形式です。コメントといっても「中七下五はよい」「ロマンチックすぎ」「そんなことある?」といったくらいで、森本先生と選が重なることも多く、大掛かりな指導はしていません(少し提案もしましたが、添削はしていません)。

ただ、作品をつくりつづける生徒にとっては「純粋な読者が一人増える」というのは貴重なことなのではないかなと感じました。たとえ森本先生と選が重なっても、一人に選ばれるのと二人に選ばれるのでは、安心感が違うということもあるでしょう。

ここでの「◯」の条件は、「ほとんどの審査員が見て、作品点で7点以上になるだろう」という句です(岩田さんと意見が一致)。最近の俳句甲子園の全国大会で、作品点6点の句が勝つことはほとんどないと思います。7点以上だと、審査員の好みや信じるものの違いもあり、正直何点になるかわからないこともありますが、6と7の間にはわりと大きな差がある気がしていて、それは俳句の俳句らしさ(指導や添削、選句の機能しやすさ)ともつながると思います。

メンバーは期日までに各々書けるだけスプレッドシートに書き込み、オーダーシートをつくる段階に入ります。候補になる句にマーカーで色をつけて絞っていき、一人ずつ・一兼題ずつのベストを選びます。パッと決まるパターンもあれば、そこからまた数打つタイプの子もいるし、粘って推敲するタイプの子も。いったんは○をつけなかった句でも、案外よい句があるのではと見直したりしました。チーム内でバランスも考えつつ、私もコメントはしましたが(この句はいい句だから1句目か2句目にしてはどうか?など)、最後は森本先生とAチーム、森本先生とBチーム、で仕上げて提出しました。5人チームで予選リーグ4題、決勝リーグ4題、それをA・Bチームとなると80句。ふりがなまでミスのないように記入するのは顧問の先生の役割ですから、先生は大変です。

私は2チーム合計で1400句程度に目を通し、基本的にはそこまで。あとは生徒たちが自主的に合宿をし、作戦シートを作って考えて、ディベートの練習をしていたようです。私は合宿中に行われた句会の選句をしたり、質問があれば答えたりしました。同じ学校・同じ年齢くらいの生徒だけだと、人生経験の差が少ないので、句の見方がどうしても一通りにまとまってしまいがちです。自分達の作品がどう読まれるか、その豊かな可能性を提案できる大人がいるのはいいことだと思います(私は今回、ディベートの部分でもう少し関わってもよかったかも、とも思いましたが、いやいや、これくらいでよかった)。

⒊ 大会当日

8月18日。ウェルカムパーティーの前に灘校の生徒たちと少しだけ会う時間がありました。チームごとに1人の補欠と中学生4人、引率にもう一人神徳先生が加わり、計18人の大所帯で驚きました。笑 抽選の結果、予選ブロックがCとHに離れてしまい、しかも試合時間が完全に重なることになったので、森本先生/神徳先生と私、と二手にわかれることにしました。

19日。結果はなかなか思うようにはいかないもので、どちらのチームも予選ブロックで敗退してしまったのですが、実は少しイレギュラーなことが起こって、森本先生と神徳先生のふたりともがBチームを見ることになり、私はそのあいだ実質Aチームについている大人ということになりました。コーチとしては非公認ですが、たぶん保護者もいなかったため、Aチームで何かあったときに対応するなら私になったでしょう。8月の大街道商店街は暑いので、熱中症などにもなりやすく、チームそれぞれに、顧問の先生以外にもう一人大人がいると安心だなと感じました。

予選で敗退したAチームを引き連れて、敗者復活戦の戦略でも考えようとフードコートに行きましたが、気持ちを切り替えてがんばろう!!というタイプの人たちではなく笑、結局ぐだぐだと俳句の話をしていました。「別に景が見える句ばっかりじゃないんだから、はじめに固定しなくていいんだよ」「俳句甲子園風のしゃべり方でしゃべらなくていいんだよ」などなど。あとから合流したBチームはしっかり作戦を練っていたようですが……。ま、でもそういうのも含めて夏の思い出ですよね。灘校はその日のランチも夕飯も各自。先生がご飯屋さんを予約していたり、食事ごとに集まって作戦会議や練習をしている学校と比べると自由すぎて驚くかもしれませんが、それもいいと思います。先生もずっと先生をやらないといけないのは疲れますし。

20日。Bチームの方は敗者復活予選で句が選ばれて、ステージに上がることができました。私は家で急いでYouTubeを見て、慌ててコミュニティセンターへ。惜しくも復活とはなりませんでしたが、よくやったと思います。

弁当を食べたあと、もう試合は見たくないという生徒がいたので、会場外のベンチでいろいろ話していました。ちゃんと席について最後まで見て来年につなげよう!と、思えるならそれが一番いいですが、悔しかったり、疲れちゃったりする人がいるのも普通のことだと思います。私自身、ずっと座って見ているのが苦手で(映画なども苦手です)、2試合目ですでにスタバで実況を追っていたくらいだったので、私にとってもそれでよかったです。「俳句甲子園」で「認められる」とはどういうことか、今後どういう考え方で何をしていくのがいいかなど、話し合いました。自分にとってもいろいろ考えさせられる、いい時間でした。

⒋ おわりに

今回の灘チームのメンバーは「◯◯高校の**さんとLINE交換しました〜!」とか「僕今日もう4回も泣いちゃいました、感動して」とか報告してくる、学校名のイメージをいい意味で裏切る無邪気な生徒たちで、勝つためのコーチというより、一夏の経験のサポートに入れたことを、嬉しく思いました。

私が高校1年生で出場した第4回から22年。高校生のちょっと先輩くらいの気分のままここまで生きてきてしまい、教えに行ったかつての高校生たちがさきに立派な大人になっていますが笑、今後も自分なりの貢献ができればと思った次第です。

また、今回のケースを公開することで、OBOGの学校とのかかわり方、出場校や参加の仕方にバリエーションが出るとすれば、大会がより面白くなるのではないかと考えています。

観客としては、いろんな高校生のいろんな俳句が読めることが、何より楽しみです。