2023年12月26日火曜日

第四句集『こゑは消えるのに』(港の人)のことと、写真展のおしらせ

集大成などと謳ってもみた『菊は雪』から2年半でもう次の句集を出すというのは、満を持しての刊行が通例の俳句世界において顰蹙を買うのは想定の範囲内だが、それでも刊行するに至ったのは出さないといけない個人的な事情があったためで、ここではそれについて少し書く。

本当は、アメリカでの言葉に関する経験についてのエッセイ集をつくる予定だった。それにあわせてアメリカの句をまとめて句集をつくろうと思っていた。構想の時点ではエッセイ集の付録か、間奏句集でいいと思っていた。が、結果として、エッセイ集はギブアップし、小さいながらも単行本の序数句集だけが完成した。

エッセイ集が出なかった理由はいくつかあるが、一番の原因は、文章が全然おもしろくならなかったことだ。アメリカにいた一年のうち半分くらいの時間は鬱だったのでいろいろ思い出すことが辛く、おもしろかった部分だけを抽出するには誇張するか虚構にするしかなく、自分にはそれができる技量がなかった。

一方、俳句は既に書けていた。 苦しい日々であっても、〆切さえあれば俳句は書ける。書いてきた。パターンで書ける俳句や敗戦日、という句を書いたのは誰だったか、いやはやパターン様々である(もっとも自分は内容に更新があれば書き方に旧来のパターンを用いることに抵抗はない)。海外詠の前例はいくらでもあるが、佐藤文香の海外居住詠には前例がないから、佐藤の句の第一読者である自分は、作品が記録以上の価値を少しでも持ちさえすれば悪くないと思えた。

句集の編集はすぐだった。今回はたった一年間の作品のまとめで、料理でいえば「さっと煮」的な趣を大切にしたかったため、無闇に厳選したり推敲を重ねる必要がなかった。少し気を配ったのは、刊行後日の浅い第三句集『菊は雪』の続きものとして読めるよう仕立てること、同じ版元から出版した第二句集『君に目があり見開かれ』とセットにも見えるような仕掛けを用意すること、くらいだろうか。
  

相変わらずデザインの評判がいいのはデザイナーの吉岡秀典さんにほとんどお任せしているからで、今回の要望は「アメリカ風でなくアメリカにしてください」のみ。 ジャケ買いして読まなくても価値はあると思うが、中身も少しは見てもらえるとありがたい。章タイトルの英語の監修は詩人で翻訳者のWeijia Panさんにお願いした。アメリカで得た素晴らしい友人の一人だ。

そうそう、住んでいたところの雰囲気の参考に、とデザイン打ち合わせに一応持参した写真をずいぶん使ってもらうことになり、これはなかなか嬉しかった。表紙の写真も私が撮ったもの。

嬉しいついでに、小さな写真展をやることにした。

2024年2月2日(金)〜2月12日(月・祝)


















会場のmonogramという写真屋さんでは、幼稚園・小学校の同級生である東尚代が店長をやっている。今回、展示のほとんどを彼女に任せるつもりだ。

長く生きているといろいろなことが起こる。生きて帰ってきたのだから、何をやってもいい。

アメリカから帰ってきて、また日本で1年と少し生きることができた。いろんなところへ行き、好きな人と会えて、2023年は本当にいい1年だった。句集はできてよかった。詩集もできてよかった。おやすみ短歌も。



みなさん、あたたかくして、よい年末年始を。

2023年11月10日金曜日

第一詩集『渡す手』(思潮社) あとがきに代えて

詩集をつくった。

2014年、だからもう9年も前になるが、ウェブ連載のまとめとして『新しい音楽をおしえて』(マイナビブックス)というオンデマンド版の詩集をつくったことがある。今回の『渡す手』はそれ以降の作品をまとめて第一詩集とし、『新しい音楽をおしえて』を初期詩集と呼ぶことにした。

「俳句しかない気がする」と「俳句じゃない気がする」という、ふたつの気持ちのあいだで揺れ動きながら創作を続けてきて、ようやく俳句以外の出力回路を正式なものとして登録するに至った。もともと言いたいことなどないが、やりたいことはまだたくさんある。

現代詩を本格的に書きたいと思うきっかけとなった詩人の岡本啓さん、「現代詩手帖」連載時にお世話になった思潮社の藤井一乃さんに相談し、おふたりそれぞれの詩集編集の方法を学ばせてもらった。詩集を編もうと思わなければ、得られない体験だった。

信頼する書き手である歌人の平岡直子さん、私にとって大切な詩集『針葉樹林』の作者である石松佳さん、そして岡本啓さんに文章を寄せていただいた。原稿を見てコメントをくれた詩の友人たち(広橋山羊さん、中邨政也さん、浦塚未来さん)にも感謝している。

デザインは第三句集『菊は雪』でお世話になった佐野裕哉さん、表紙の英訳は京都文学レジデンシーでご縁を得たCorey Wakelingさんと小磯洋光さんによる。著者である私が日本語詩のこれからを考えていくよう、アシストしていただいたような気分だ。

自分一人では到底辿り着かない一冊が出来上がったことは、願ってもない、いや、願ったとおりの幸運だ。運を摑む腕の長さと、掌のひらき具合には自信がある。
それは私の「渡す手」でもある。

2023.11.10