私は、素晴らしい経験をすると、これは思い出になるだろう、と思って、写真に撮る。
ふつう、素晴らしい経験をした結果、覚えているのが思い出なのだけれど、私は記憶力がとても弱く、すべて夢だったのではないか、というくらいに、あるいは、そんなことあったっけ、というくらいに、ほとんどすべてを忘れていく。写真を見返すことでしか思い出せないことが多く、写真を撮らない日はすべて、なかったものになってしまうような気がするし、実際そうなっている。だから、全部撮っておかないと全部忘れてしまう、と思う。撮っても、整理しないからどんどん溜まる。オーブンで焼いてはりついてぼろぼろになった鮭とか、別に写真としてはいらないのだけれど、そこにその一日がたしかに存在したことが愛しく思えて、削除できずにいる。そして、また今日も撮る。
(こうやって書いているのもそうだ。何か感じたからそれを表現したくて書く、のではなく、記録のために書く、のでもない。そう感じた自分のことを、自分が忘れないため。同じようなことを何度も書くことも、その期間ずっとそう思っていたことがあとからわかるように、と思えば、何度書いたっていい。焼鳥が食べられなくてつらい、とか。)
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アメリカには、写ルンですと、カメラと、フィルムを持ってきている。カメラは、アメリカに来る前に毎週会っていたFredがくれた、ドイツのかんたんなカメラ「AGFA」。写ルンですは4つ持ってきて2つ使った。フィルムは、カラー・モノクロあわせて6本持ってきて今5本目。インスタントカメラもフィルムもこちらで手に入ることがわかったので、好きなときに持ち歩き、好きなときにシャッターを切る。ミラーレス一眼は持ってこなかった。ふだんはスマホのカメラで十分だと思ったので。
こちらにも現像・プリントのサービスはあるけれど、帰国してからすべて、友達が店長をやっている写真屋さんに持っていくつもり。フィルムカメラは久しぶりだったので、1本目はフィルムを取り出すときに失敗して、たぶんほとんど感光してしまっているから、ダメなのはプリントしないでくれ、とか言えるのもいい。何より、そのときの自分にとってどんな光景が大事だと思ったかのこたえを、帰国次第一年分まるごと振り返れることが楽しみだ。
撮った写真を見せたい相手も、いないではない。
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私は残らないものも好きだ。音声は言葉になったとたん消えてしまうから、何度言っても、そこには今発されているその音しか存在しないのがいい。内容は覚えていたり、覚えていなかったりする。声を覚えていることもある。覚えている声に、言ってほしいことを言わせたりする。頭の中で。
[忘れる/忘れない]と[残らない/残る]。そこに意志を加えるか否か。
結局どの組み合わせも愛しい、ような気がする。
録音して持っていて、たまに聴く音声。
自分が書いたけれどもうほとんど開かない本。
アメリカに来て半年が経った。折り返し。
[sɯ]・[kʲi]・[da]・[jo]。