19歳のときに入会した里俳句会を、この3月末で退会することにした。一昨年、個人誌(同人誌)「翻車魚」をつくったので、それくらいのころからそろそろ里を卒業しよう、みたいな気持ちでなんとなく毎月投句を続けていたが、この4月からちょっと生活スタイルを変更するのにともなって、3/1に退会の旨をメールした。
奇しくもこの日、19歳からずっと聴いていたGRAPEVINEのLIVEがあり、このバンドを好きになったきっかけである「光について」がアンコール1曲目だった。今日が人生の節目だ、という気持ちになった。
「里」への投句は、入ってわりとすぐに1年くらい休んだことがあったけれども14年半くらいいたんだから、1回7句×12ヶ月×13年半=1134句、それに特集などで特別作品を出しているので1200句近くは発表している計算になる。2012年の4号から参加している「鏡」は、1回に見開きで14句とエッセイが掲載される。30号まで出ていて欠詠なしなので、ここでもすでに378句を発表したことになる。
0号と1号で終刊した大学時代の「ワセハイ」、1号2号は紙媒体、3号は「週刊俳句」に掲載させてもらった「クプラス」、これらはすぐ終わってしまったけれども思い入れがある。「里」若手による「しばかぶれ」1号2号にも参加した。現在つくっている雑誌は第2期「guca」(第1期「guca」は電子書籍で3冊と紙で1冊出して2年の活動期限を満了)と「翻車魚」、ともに2017年創刊で2号まで出ている。「guca」は作品発表の場ではないが、ほかはそれぞれ10句程度以上は掲載されている。
発表というのとは少し違うものとしては、2006年から10年ほど角川俳句賞に応募していて(落選していて)、それだけで500句ある(一部は読めます→こちら)。その他、各総合誌や新聞等の依頼で書いたものもあるが、依頼が特段多いわけではないので、そのへんはほかの人と変わらないと思う。1年に1000句くらい書いた年もあったが、ここ2年は450句くらいだ。以前に比べれば捨てる句の割合は減った。
発表数が多ければ素晴らしいというわけではない。同人誌の場合、完全に自分の判断で発表するわけで、発表後恥ずかしくなるパターンも多く、あとから黒歴史が暴かれる可能性がある。高校時代から少しのあいだ入っていた結社「櫟」にも作品が載っているし、その前でいえば雑誌ではないけれども「FAX句会 俳句の缶づめ」には中学時代の句があったりするのは恐怖だ。けれども、一旦発表したものをあとから見て恥ずかしいとわかれば句集には入れない、とフィルター代わりになるのはありがたい(私の既刊句集2冊が厳選気味な所以である)。
「里」に出した句は、〈絵心よこんにちのカレーの名店よ〉〈ドット絵のおすしのうるむ日永かな〉〈松葉松脂すぺしゃるな海を出て〉のような外部からの依頼に出せなかった妙な句が多いが、〈手紙即愛の時代の燕かな〉は、たしか初出が「里」で、それを越智友亮が見つけてきたのではなかったか。
だからどうというわけではないが、少し感慨深くなったので書いた。