2018年9月28日金曜日

K高校に指導者として若い俳句作家が集まっている理由と、今年の私がK高校推しに見える理由

*K高校、とイニシャルトークにするのは、単に検索にひっかからないようにするためです。

私は4年前に東京で俳句甲子園OBOGの俳句講座をしたあとで、K高校のH先生から声をかけていただいて、何度か高校に行きました。その際、今後なにかあったら引き継ぎできるようにと福田若之さんにも一緒に来てもらいました。そのあとK高校のみんなは、自力で俳句甲子園を目指しました。K高校が地方予選で敗れた年から、全国大会に行けることになるまで、心のなかではけっこう応援していましたが、本大会については私は仕事で取材や実況などがあり、あまり表立って応援することはしませんでした。

今年1月、H先生から連絡をいただきました。「生徒から、コーチがほしいという声が上がっている」という話でした。私はここ何年かで俳句甲子園OBOGの講座から実質的に引退したということもあり、4年前に一緒に行った福田さんと、私の後任として柳元佑太さんと一緒に、K高校に出向きました。柳元さんにお願いした理由は
1書いている俳句が面白く、私よりも俳句についてよく考えていること
2若いこと(生徒との年齢差が少ない)
3高校から家や大学が近いこと
です。

それが決まったあと、学校側に講師として、安里琉太(俳号)さんが赴任。若い俳句の書き手が指導者としてたまたま3人揃ったかたちになりました。

よって、指導者が3人が集まった理由としては
1生徒自身、謙虚な気持ちで、指導者が必要だと感じたこと
2顧問の先生が(4年前も含め)フレキシブルな対応をしてくれたこと(私立の学校で顧問が変わらなかったのも利点)
3たまたま(安里さん)

ですが、俳句甲子園が全国大会であることを考えると

4場所がいい

が挙げられるでしょう。俳句の若手は、一極集中とまではいかなくても、東京近郊にたくさんいます。K高校は、新宿から1駅。東京のなかでもアクセスがいいんです。



今年は、私は(はじめて、くらいだろうか)俳句甲子園本戦で、なにも仕事がありませんでした。なので、以上のような理由から、縁のあるK高校とA高校(母が顧問をしている)を特に応援していました。「どこかを応援する気持ちで見た方が盛り上がる」からです。K高校については、地方大会で見て作品も気に入っていました。

でもそれは、親戚の子がいる学校を応援している、というかんじに近いものです。ほかの学校にもたくさんいい句はあるし面白い子もいます。すべてを平等に見た上でK高校に注目したわけではなく、はじめから見ている範囲が狭いです。あと、今年はレジャーとして俳句甲子園の時期の松山を楽しんでみたかったので、朝もだらだらして敗者復活戦が終わってから起床したりしていました。

なお、佐藤はもっと責任を持って発言をした方がよい、一部の生徒のファンだと公言したりするのは控えよ、というご意見については、もっともだと思います。と言いつつまた言ってしまいそうだが。すみません。



なにも仕事をしなかった俳句甲子園でしたが、終わってから仕事が発生しました。それは、今月末くらいにアップされる予定の、K高校へのwebのインタビュー記事です(これはほんとはまだ内緒の予定でしたが)。上記のとおり

1私がK高校の子たちとは話したことがあるのでしゃべりやすい
2声をかければ先生がフレキシブルに対応してくれることが目に見えている(取材に行きやすい)
3K高校が決勝リーグに残った(作品やディベートによいところがあった)

ということに加えてやはり

4場所がいい(取材に行きやすい)

という理由で、K高校を選んでいます。
たまたま私に来た仕事だったので、K高校になりましたが、ほかの俳人に依頼が行っていたら、ほかの学校になったと思います。
へんな言い方ですが、ほかの高校に比べてK高校が注目に値するからK高校に行ったわけではありません。単に条件が揃ったからです。


「こんなにがんばっているのに、じぶんは注目されていない」と感じている人がいると思います。(「注目されるとかされないとかどうでもいい」とおっしゃる隠居派俳人のみなさんは、これ以降の文章は読まないでください。)でも、読んでいただければわかるように、注目というのは偶然やメディア側の事情でつくられるものです。今わたしは少しメディア側に立ってみて、そう感じます。
私の高校時代は、俳句甲子園は今と比べものにならないほど小さい、レベルの低い大会でしたが、それでも、そのなかでいえば、自分は注目される側の人間でした。田舎の高校だったので、自分はなかなかいい線いってると思っていました。でも、大学に出てきて、大人と同じ土俵で審査される賞に応募してみると、俳句甲子園の予選で負けてからずっと俳句を熱心にやっていた同級生が予選通過し、自分は通過しなかった。焦りました。それから本気で句会や講座に通いました。自分にはこの経験があってよかったと思っていますが、どこで注目されるのがいいかは、その人次第なのです。
俳句は狭い世界です。これは、多くは悪い意味で使われる言葉ですが、いい意味もあります。作品が面白ければ、必ずや誰かが読んでくれます。くさらず、面白い俳句を書いていこうではありませんか。また、どうしても注目されたいのなら、いい読み手「目利き」になるといいです。いい作品を取り上げて、どこがいいかを言い続けていたら、絶対にみんなから必要とされる存在になります。原稿依頼もたくさん来ます。なぜなら俳句の世界は、俳句を書きたい人が多くて、読んでくれる人が少ないからです。プロの俳人とは、読みのプロです。夏井いつきさんを見てください。毎月どれだけ他人の作品を読んでいることか。(そういう意味で、自分はプロの俳人ではないなーと思います。俳句のプロデューサーみたいなところをやりたいのかもね)


地方にいて、指導者がほしい、同世代や若い書き手と会える機会が少ない、という人へ。まず、誰に教わりたいか考えましょう。そして、顧問の先生と協力して、コンタクトをとるのです。今はwebの時代です。メールやskypeなど、いくらでも手段はあります。私が灘高校を教えていたときは実際にskypeで夜中までぐだぐだやってましたし、今年は名古屋高校の句会に遠隔参加したりもしました。


すべての人に平等な環境、というのは難しい。でもそれは、大人になってもそうです。みんな、頭をつかって、うまくやるんだ。そして面白い句を書いて、きっとどこかで会いましょう。

2018年9月25日火曜日

2018.9.25 ベランダから1分くらい月を見た

9/12
ネオ歳時記の締切。書く。月に2回の締切はすごいはやさで迫ってくる。
後日公開されたのはこちら。→ 栗鼠/シルバー・ウィーク
髪を切った。白髪が隠せなくなってきたので、むしろ部分的にブリーチしてもらいまだらにしてもらって誤魔化す方法をとる。

9/13
ワタリウム美術館で梅沢和木・TAKU OBATA「超えてゆく風景展」を見る。梅沢和木さん、同い年くらいだろうと思ったらぴったり1985年生まれだった。ツイッターでも書いたけど、そういうことが前にもあって、山本さほさんも、1985年生まれ。いつか同い年の別ジャンルのクリエイター同士で何かしたいなと思った。
夜は赤坂で夫の元上司・同僚の方と夕飯。秋刀魚ご飯に山椒が効いていてとてもうまかった。

9/14
クズウジュンイチさん(昆虫図鑑とか執筆してる)を誘って東大の昆虫標本展。古い標本と新しい標本では保存状態が違うんだけど、タマムシとかは古くてもけっこう綺麗で、甲虫(こうちゅう)はすごいなと思った。むかしは蛾はこわい、蝶は綺麗、というステレオタイプな感覚だったけれど、大人になって蛾のかっこよさに気づいたと話したら、蛾は種類がすごく多くてファンが多いことなど教えてもらった。根津まで歩いてお茶して、さらに鶯谷まで歩いて飲んで帰宅。人生相談も聞いてもらってしまった。

9/15 土
3連休1回目初日。家で過ごす。事務所を借りるなら、という妄想で物件検索をしまくった。引っ越し癖というのは自傷癖にちょっと似ていて、今の自分をやめたいみたいな気持ち。それを回避するには今をよくするのが一番で、リビングの本棚をきれいにしよう、と思い至ったので、2時間物件検索し続けたが、わるいことではなかった。

9/16 日
昼からシャイニング句会。実家に戻った照子ちゃんが上京するというので、加藤さんが幹事役をしてくれた。私は捌き。番号の鍵が2度もあって、めちゃめちゃきれいな会議室だった。最近たまにスペイシーで部屋を借りるけど、それぞれ味があって面白い。
夜は夫と川崎で待ち合わせてユヴェントス・フィルハーモニーの創立10周年記念演奏会。マーラーの「千人の交響曲」という、壮大な曲だった。ちゃんとホールでオーケストラを聴くのは初めてだったが、よかった。夫が大学時代3ヶ月間クラシックを聴くサークルに入っていたというのは初耳。

9/17 月・祝
打ち合わせで鎌倉の港の人へ。とはいえ、人が多いから、観光などはせずに帰った。友人の句集の打ち合わせだったが、私の次の句集についても話した。江ノ電の車内で100円玉を拾ったので募金した。

9/18
走鳥堂句会@枡野書店。6人の固定メンバーのうち4人がお休みだったが、2人来てもらって4人で句会。10~12月は毎週火曜に枡野書店を借りることにする。南阿佐ヶ谷での少人数の句会に参加したい方いらしたらご連絡ください。参加条件は、私の活動を面白いと思ってくれていること、面白い句が書きたいこと。

9/19
鰺句会。私ふくめ5人。指導句会として松本さんが立ち上げてくれた句会だが、このタイミングでやめることを思い立つ。今後は句会でお金をもらうのは基本的にやめようと思った。→こちらに詳しく書きました。

9/20
蔵前で対談の仕事。川沿いのおしゃれなカフェ。仕事後にチョコレートのお店へ。ここもおしゃれ。それ以外にもちょこちょこいいかんじの店があり、蔵前への認識を新たにした。

9/21
大相撲を見に国技館へ。行きつけ(?)の日本酒のお店で、常連さんが間違ってマス席を2日分とってしまったというのを聞き、それなら買い取りますと申し出て、夫と妹夫婦を誘って行くことにした。私は国技館は3度目。
14時に妹夫婦と待ち合わせ(妹夫はたまたま現在無職、妹は午後休をとった)、少し館内を見て回り、十両の取り組みから見る。夫が来れるか危ぶまれたが、17時ごろ到着。一番いいところだけ見ることができた。稀勢の里vs白鵬の日でたいそう盛り上がったけれど、あっけなく白鵬の勝ち。
夕飯は、雨の中15分くらい歩いて、ちゃんことふぐと鳥の店。ここ、高校の同級生と来たことがあった。うまくて安くてよかった。

9/22 土
2回目の3連休初日。guca2号のデザイン打ち合わせで、ユリちゃんと息子、デザインのマリコマリコンビ(この言い方はダサいからやめろと言われている)がうちに来てくれた。ユリちゃんの息子Tははじめ誰も相手をしてくれないのでえんえんおやつやキュウリなどを食べ続けていたが、会議が終わったあとマリコ&マリに遊んでもらってめちゃくちゃテンションが上がっていた。夫は自室で仕事。
夜は夫とふたりで散歩に出て、ご飯を食べてなっちゃんの店に寄って帰った。カべルネ・フラン、うまし。あいかわらずなっちゃんは最高。

9/23 日
午後、友人の著者近影を撮る。夫は大学時代写真部だったこともあり、まぁまぁよいミラーレス一眼とレンズを6つくらい持っているので、そのなかから望遠レンズを借りた。私が一時期写真を撮っていたときはGR1(フィルム、広角)とかヤシカフレックス(二眼レフ)とかだったので、レンズを交換するというのはなかった(叔父にもらったEOS Kiss(一眼)でも撮ってたけど、あまりレンズに興味がなかったし、単に金がなくて売ってしまった)。同人誌などをつくっていると、まずまずの写真さえ自分で撮れれば……という機会が多いので、これを機に少し練習してみることにする。

9/24 月
近所に区営プールがあることを知ったので、夫と一緒に水着を買いに行く。以前買った水着はパツパツすぎて脱ぎ着で死にそうになるため、セパレート型のを買った。夫は買わなかった。昼はタイ料理。いつものように書店へ行って午後帰宅。夫はアガサクリスティーの文庫を2冊購入し、夜には1冊読みきっていた。どうりで本が増えるわけだ。私はマクロレンズで少し写真の練習。
中秋の名月とやらで、夫と一緒にベランダから1分くらい月を見た。
夫とはじめて会ったのは2年前の9月。私はだいぶ精神が安定してきたし、夫は生姜とわさびが食べられるようになった。3年目、飽きずに元気にやっていきたい。

2018年9月20日木曜日

2018.9.20 定期的に初心者向けの講座や句会をやるのをやめることにします

2018年9月末までで、今やっている2つのことをやめることにしました。

・NHKカルチャー青山教室(毎月)
・鰺句会(隔月)

初心者向け講座に何回か通って、その人が初心者のままであるとしたら、教える側が手加減をしているか、教わる側にやる気がないか、どちらかだと思います。だから、初心者向け講座というのは、そうですね、6回くらいでメンバー総入れ替えが必要だと思います。そんなかんたんに初心者じゃなくならないって? それは、お互いがその程度の気構えだからじゃないでしょうか。私の感覚だと、そのままのメンバーでいくなら、次の6回は中級編にならないとおかしい。とはいえ、初心者も上級者も一緒に楽しめるのが句会でありますから、ふつうのカルチャー句会の先生は、そこのところの采配が実にうまく、新しく来た人にも古参の人にも学びがある。

ですが、私にはそれがうまくできませんでした。とくに私が弱いのは、知識がないというところです。いい先生というのは、少しずつ的確なタイミングで古今の作品のいい例を出して、ハウツーや例外的なやり方を補強できます。私の場合は、そこにあるその句のことしか言えません。

しかも私の講座や句会は、「もともと俳句が面白いと思って句会に来た人」以外にはあまり親切でないものでした。たぶん、適当な気持ちで句会に来てみた人は「マジじゃん、こりゃ無理だわ」と思ったでしょうし、ちょっとやっていたという人も、褒められないから面白くないと思ったりしたでしょう。私だって、居酒屋のカウンターで知り合ったおじさんが一句詠んだけどどう? みたいなときにはうまく褒めますよ。下手な句を褒めるのは話芸です。でも句会で楽しむべきは私の話芸ではなく、俳句そのもののはずです。

もちろん、全員に俳句ガチ勢になってもらいたいわけでもないですから、ある程度どんな句会に行っても恥ずかしくないというところまで俳句が書けるようになりさえすれば、俳句とは適度な距離を保って、たまに句会に遊びに来る、というのは大歓迎です。ふだん俳句と関わりが薄いから書けるおもしろい俳句というものがあり、俳句どっぷりの人は刺激をもらえます。
(ただ、ある程度俳句が書けるようになる、というのは、遊ぶ上で大切です。オセロだって、ルールがわかるだけでは、うまい人とやったら必ず負けます。けっこううまい人と遊んでも、うまい人を楽しませるくらいのことができるくらいのところまでは、できるようになってほしい。なぜかというと、私は、おもしろい句会以外に出たくないからです。おもしろい句会というのは、今まであんまり見たことのない句をどう読むか考える場です。少し学べばわかるようになることを指摘してもらいに来るのは、甘えだと思ってしまう。)

「もともと俳句が面白いと思って句会に来た人」には、別の句会への参加や結社への入会をすすめたり、句集を紹介したり、賞への応募を促すなどして、「自力で初心者じゃなくなってもらう」ようにしてきました。また、初歩からきちんと教えてほしい、やさしく教えてほしいという人には、それができる先生を紹介しました。その結果、私の初心者向け講座や句会からは、どんどん人が少なくなりました。当たり前です。今来てくれている人たちはだいたい、生徒というより仲間です。

というわけで、これからは以下の方針をとろうと思います。

・句会では指導料はとらない(会場代、雑費はいただきます)
・やりたくない句会はしない
・初心者向けの講座や句会は、必要があれば単発で行う
(参加者5人以上、会場を用意してください。時と場合によりますが、一人あたり1000円〜でやります)
・指導する以外のことでお金を稼ぐ(これが一番ムズい。がんばろう)


というわけで、2018年度後半からも、どうぞよろしくお願いします。

2018年9月11日火曜日

2018.9.11 ついに思ったとおりのランチョンマットを見つけた

8/23
カフェへ。台風が来て寝まくっていた。

8/24
けものとオーニソロジーのライブを見に行く。久しぶりの代官山。オーニソロジーさんは初めてだったけどとてもよかった。けものもナマは初めて。休憩時間、トオイダイスケさんの曲が流れ続けていた嬉しかった。

8/25(土)
夫と新宿へクッションなどを買いに行く。ついに思ったとおりのランチョンマットを見つけた。

8/26(日)
ユリちゃんが仕事に行くあいだ、息子を預かる。知識系を夫が担当し(ウルトラマンの図鑑を一緒に見るなど)、それ以外を私が担当(絵本読み聞かせ、お絵かきなど)。ピザを頼んでみんなで食べた。

8/27
オダさん、アベさんとご飯。食べ始めたらすごい雨と雷。アベさんと2軒目に行って帰る。飲みすぎ。

8/28
人生でもベスト10に入るレベルのふつかよいで死んでいた。夜はNHKカルチャー。10句組んでもらって選評しあった。けっこう面白かった。飲まずにおとなしく帰る。

8/29
水中書店へ行って、そのあとお茶。三鷹事情に疎いので開拓したい。帰宅して低血糖になってうずくまっていた。

8/30
友人の安藤夫妻と4人でポルトガル料理。すごくいい店で大満足。ワインの飲みすぎに気をつけた。最近はいろんな国の料理に挑戦してみている。

8/31
対談アップされました。
たった17音の俳句に広がる、刹那と永遠。池田澄子×佐藤文香対談

神保町で打ち合わせ。すばらしい事務所におじゃまして、自分もめちゃめちゃ仕事できる人になったらこんな事務所を持ちたいものだ、と思う。

9/1(土)
芝不器男賞・与謝蕪村賞お祝いの句会とうちあげ。不器男賞の生駒くん・翔・惣一郎、蕪村賞の若くん、ムラコ、高山さん、藤田くん、あっちゃん、私で餃子を食べた。写真を撮り忘れた。こういうのはのちのち思い出になるやつ。

9/2(日)
週刊俳句で記事アップされました。
佐藤文香✕西原天気の音楽千夜一夜 GRAPEVINE「なしくずしの愛」

こちらは染野太朗さんに取り上げてもらいました。
「日々のクオリア」
枇杷の葉は日差しに透けず測量の人たちが集まって笑った
佐藤文香・高山れおな「君とうたへば」(「現代短歌」2018年9月号)

9/3
取材のためひとりで町田へ。取材の内容は後日記事になります。

9/4
新宿で打ち合わせ。台風が来る。でも、長靴で歩いてたのは私だけだった。

9/5
台風の被害がひどいようで心配。
ネオ歳時記3回目「秘密」「化粧水」
夜は先輩と飯へ。むかしの恋愛話などを聞いて盛り上がる。

9/6
朝起きたら北海道で地震があったと知る。翌日から札幌に行く予定だったが、キャンセルした。心配。
小部屋句会。4・4・5・3のリズムというお題が出ていて、みんなが面白がってチャレンジ。なんだかそっちがふつうみたいになって妙な句会になってよかった。沖縄から春馬が帰って来た。生レバー春馬という俳号を、斉藤春馬に変更した。

9/7
札幌に行けなくなって時間があいたので、行きつけの日本酒の店へ。お客さんから相撲のチケットを買っていて、そのお金を払いに行きついでに飲む。

9/8 (土)
午前中はあくびをし続けて終わる。あくびが出すぎるのも自律神経失調らしい。夕方は澄子さんちに少し寄ってから散歩。
夫が「未解決事件 警察庁長官狙撃事件」を見始めて、面白かったので一緒に見た。イッセー尾形さんのファンになった。

9/9 (日)
「週刊俳句」で
特集 山田耕司句集『不純』を読む
がアップされた。高須賀くんと伊東くんは句会の仲間。山田さんは相変わらずめちゃくちゃ面白い。
夕方はまた夫と散歩。だいぶ歩いた。最近できたらしい古本屋で収穫アリ。散歩中に本屋があると必ず寄ることになっている。

9/10
午前中医者。午後は悟空の会。そのあいだの時間で立川の電源があるカフェに行き、2時間半居座って原稿を書いて送った。書きあがってよかった。ギリギリ。
第二次悟空の会のメンバーは鴇田さんと若くんと遠山陽子さんと私。ひとり20句をA41枚に印刷して持ち寄る。毎度それぞれの作品を読むのが楽しみ。

9/11
久々のぼたんの会。といっても参加者は私ふくめ3人、しかも今日は欠席投句が1人しかおらず。でもいい句があったので嬉しい。夕方へんな時間にカオマンガイを食べてしまった。
帰宅して、さっきまでコスタリカV.S.日本を見ながらブログを書いてていた。サッカーや野球を楽しむ人間にシフトしていきたい。