2025年3月10日月曜日

2025.3.7-9 須磨・姫路・岡山・倉敷

3/7(金)
ひかり号の自由席で西明石へ。ホテルに荷物を置いて須磨海浜公園。
むかし来た砂浜、と思い出せはしなかったが、幹線道路には記憶があった。
どこかの高校の、たぶん一学年全員が来ていた。レクリエーション行事だったのだろうと思う。

神戸須磨シーワールドへ。水槽にはりつくタコの吸盤、圧巻。好きな魚は真鯛。詩にもしたが、真鯛は大きくていい。シャチのショーを見ることができた。シャチは二頭いて、つやがあり、すごく大きかった。観客席からシャチを見ると、そのむこうに海が見えて、サンフランシスコの球場・オラクルパークを思い出した。


ショーのあと、展示2周目。触れるコーナーで小さいエイに触ったら、やわらかかった。小さいエイは、活発だった。

夜は自由港書店プロデュースの「春の一粒」@若宮食堂。お酒とお食事をいただきつつ、俳句と詩の話。参加してくれたお子さんが雛壇を見て、「幼稚園のとお雛様の場所が逆だよ」とすぐ気づいていて、その観察眼があれば俳句はすぐに書けそうだなと思った。



 
3/8(日)
新快速で姫路へ。姫路文学館「生誕120年記念 詩人 坂本遼展」を見た。坂本遼は関西学院大学在学中、その方言詩の朴訥さを草野心平に見出され詩誌「銅鑼」に参加、詩集『たんぽぽ』を刊行したが、詩集はその一冊のみ。のちにこどもへの作文指導を生きがいにした、厚く深い心の人。いい展示を見た。常設展には、俳句では赤尾兜子と永田耕衣がいるので(私も播磨育ち)、嬉しかった。


姫路城は外から眺めただけで、またひかりに乗って岡山へ移動し、大森静佳さん企画の「晴れの国 短歌の午後」を聴く。第一部が歌会、第二部はクロストーク。最後に平井弘さんからの提言があった。

 三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや 山中智恵子

あの天体が「月」と呼ばれるようになったばかりの、なんの意味も付随しない言葉「月」を、もう一度思い出そうというお言葉。「月」を季語として用い、その意味の層を信じてやってき(てしまっ)たので、非常に身に沁み、ありがたかった。歌会に提出された歌に破調が多かったことについては、今までご自身がやってきた「短歌の関節外し」が報われたと、そして今後も「ゆるやかに定型を外してゆく」ことで、「どこにもない歌を」書いていってほしいという旨のご発言。平井さんだからこその未来の見通し方だった。

夜は詩型越境飲酒集団「のんべえ大学(略して「のん大」)」の仲間と打ち上げ。御前酒、赤磐雄町などよかった。関係者打ち上げと合流し、勤勉なのん大生なので5月の別イベントの打ち合わせをした。


3/9(日)
久しぶりに岡山駅の西側に宿泊したので、懐かしくなって奉還町商店街を散歩。




11時集合でのん大の仲間と倉敷へ。私は倉敷も本当に久しぶりだった。昼ビールを飲み、大原美術館蟲文庫へ行き(『こゑは消えるのに』を置いてくださっていた)、散歩ののちゆずの日本酒を。夕日の差すカフェではかなしい音楽が流れていて、どうでもいいことを話したり、話さなかったりしながら、5人で時間を過ごした。それがとてもよかった。展示では、ピサロの「ポントワーズのロンデスト家の中庭」が好きだった。




岡山駅に戻って、またみんなで日本酒やビールを飲み、鰆を食べて、帰りはのぞみの指定席で帰京した。日本酒はHARE、ビールは独歩だった。

  春は夕暮 大人は夢を叶えられる  文香